鳩人間の息

久佐馬野景

鳩人間の息

 妖怪を作るぞ!

 そう意気込んだ博士はではどんな妖怪がよいかと思案し、平和の象徴とされる鳩を用いることに決めた。

 鳩の妖怪を博士は管見にして知らなかったが、それはむしろ好都合とも言えた。

 博士の発明した妖怪作成キットは、妖怪という概念にひとつ以上の要素を掛け合わせて妖怪を生み出す。たとえば「水辺」ならば河童やケルピーなどができあがるであろうし、「海」「予言」「瓦版」を掛け合わせればアマビエや神社姫などが現代に蘇る。

 つまりはすでに妖怪が有している要素、属性、文脈などを踏まえて引用し、妖怪を現実に形成する世紀の大発明であったが、ここで博士にちょっとした欲らしきものが芽生えた。

 どうせなら、まだ存在しない妖怪を生み出して世間をあっと言わせたい――というものである。

 だが災害級の妖怪を生み出して被害を出せばこの発明は闇に葬られかねない。それでなくとも妖怪というのはセンシティブなもので、不浄や不潔といったイメージが先行しやすい。

 そこで、鳩である。

 数が増えすぎ人間の生活圏にまで侵入する鳩が現実にはあまり好印象を持たれていないことを博士は管見にして知らなかった。だがこれは大した問題ではない。妖怪作成キットに入力するのはあくまで概念であり、鳩のパブリックイメージとしてはまだ平和の象徴が有効であった。

 博士は鳩の妖怪を生み出した。

 結果として、東京は壊滅した。

 現れたのは全長五〇メートルの巨大な怪物であった。腕を広げて羽ばたくと一瞬で建物が吹き飛び、口から怪光線を発射してそれに当たったものは爆発するか溶けてしまう。

「コレダモンナ」

 怪物はそう鳴いた。

「これは鳩人間ですね」

 壊滅した東京から逃げだした博士は当然全責任を問われて捕らえられた。そこに現れた妖怪研究家が、怪物を指してそう呼称した。

「鳩人間は平成六年の『山形民俗』第八号に掲載されたコラムで紹介された山形県の妖怪です。山形市松波で古くから伝承されており、魔界の使いで、人間が脳髄を鳩のものと入れ替えられて誕生したとされています。あとの特徴はご覧の通りです」

「そんな馬鹿げた妖怪がいてたまるかっ」

「そうですね。真偽は怪しいものとされています。ですが博士の妖怪作成キットは、鳩の妖怪のミーム解析にあたり、この鳩人間に行き着いてしまった。そして鳩人間は現実のものとなってしまったのです」

 なんたることであろうか。狂気と忘想の産物が現実に解き放たれ、東京は壊滅した。

「まあ落ち着いてください。鳩人間の伝承には続きがあります。鳩人間が本来出たのは福岡とされています。江戸時代に夷隅梅之助なる侍がオランダ医師に手術を施され、鳩の脳を移植されました。目覚めた侍は己の姿を見て怒り狂い、福岡を破壊し尽くした――と、福岡にいた武田毅麿という商人が山形に逃げ帰って故郷の人々にこの事件を語ったというのが鳩人間伝承の始まりということになっています」

 問題は――妖怪研究家はサングラスを怪しく光らせた。

「この商人の話が誰にも信じてもらえず、実際に福岡では何も起きていなかった――とされていることです」

「何が言いたいのですか」

「簡単な話です。いいですか、鳩人間の行った破壊は、実際には何も起こっていないことと見做すことができる――ということです。つまり今すぐ情報統制を敷き、東京では何も起きていないという情報を発信し続けるのです。そうすれば鳩人間自身の文脈によって、鳩人間の存在と、東京を破壊したという行為そのものを抹消することができる」

 東京壊滅の一報は、幸か不幸か東京が壊滅したために発信が遅れていた。そこで全メディアを結託させ、過去の映像と音声を使って、いつもと変わらない東京の様子を放送し続けた。無論とっくに市民たちは自身のスマホを使って東京が壊滅していることを発信していたが、公的機関が「東京は壊滅していない」という虚偽をファクトとして発信して居直るという行為に意味があった。鳩人間の破壊を無化する虚偽報告は意味空間から現れた妖怪に自己矛盾を繰り返させ、その存在を崩壊させていく。

「コレダモンナ」

 鳩人間はひと声鳴くと、空へと飛び去っていった。するとどうであろう。破壊し尽くされた東京が、元通りの姿へと戻っていったのである。

「まさか鳩の妖怪というのがこれほど恐ろしいものだったとは」

 夕焼けを見ながら、博士が悔恨の言葉を口にする。

「いえ、恐ろしいのはここからです。鳩人間は多くのひとの目に焼きつき、そのまま姿を消してしまった。あれが最後の鳩人間だとは思えない。我々が望めば、何度でも鳩人間は舞い降りるでしょう」

 博士の処遇を背後の役人たちに任せ、妖怪研究家は東京を去った。

「コレダモンナ――」

 鳩人間について詳細に書かれた『日本怪異妖怪事典 東北』を閉じると思わず、そんな言葉が口から漏れた。

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