エピローグ(裏):真犯人

 自分の思い通りにならないことがあれば何でも暴力で解決してきたPJにとって、世間一般の秩序というのは憎悪の対象だった。何しろ暴力を禁じるのだから馬鹿正直に従うと何もできない。


 そんな考え方で生きてきたので、PJが犯罪者として名を連ねるのに時間はかからなかった。警察の手を逃れて意気揚々と裏社会に身を投じ、表の世界よりも生きやすいことを喜ぶ。これ幸いと新天地で好きに生きた。


 ところが、表と裏の社会は別世界であっても現実には路地一本挟んで隣り合う世界のようなものだ。やり過ぎると表側にも影響がある。気が付けば凶悪テロリストとして警察に指名手配されていた。


 年々生きづらさを感じ、ついには警察の包囲網が敷かれたことを知ったPJは決断をする。もちろん自首ではない。脱出だ。


 一度決めるとPJの行動は早い。既知の裏サイボーグ技師スキレナに相談する。


「実はよ、オレの身代わりとして死なせてぇんだが、電子擬人スードヒューマンでそれができるか?」


「できるわ。でも、複製した人格だって自分なんだから、自殺願望がない限りは死にたがらないわよ?」


「そこでお前さんの出番なのさ。これの技術に詳しいそうじゃねぇか」


 金さえ払えば理由を問わずに仕事をしてくれるスキレナはPJにとって便利だった。仕事の内容から推測できることがあっても黙っているのならば問題はない。


 発注者であるPJにとって重要なのは自分が死んだと世間、特に警察が思い込むことだ。別人に成り代わって新たに自由を手に入れるのである。そのために身代わりが必要だった。


 今回のスキレナへの依頼で一番厄介だったのが報酬である。思った以上の金額を要求されたPJは眉をひそめた。訝しげな目をスキレナへと向ける。


「いくらなんでも吹っかけすぎじゃねぇか?」


「サイボーグボディ丸々一体、擬装用脳髄一つ、人格と記憶の複製とその調整、更にその後あなたに代わってするケア。これだけ要求しておいてアシが付かないようになんて注文にしては安いくらいよ? これでも口止め料の上乗せをサービスしてあげてるんだから」


「ちっ、しゃーねーな」


 信用できる技師となると裏社会では貴重なのでPJは請求された額を飲むしかなかった。これから生まれ変わる身としては過去がまとわりつくのは避けなければいけない。


 財産の多くを費やすことでスキレナと契約したPJは、まずは脳髄を入れ替える場所としてのサイボーグボディを新調した。その結果、厳つい姿とは違い、一見すると一般人にしか見えないようなボディである。


「もらった金額だとそのボディが精一杯ね。出力パワーの調整と制限リミットのオンオフは自分でできるようにしてあるから後で確認しておいて」


「ちっ、しばらくはおとなしくするか」


 以前よりもかなり劣るサイボーグボディに乗り換えたPJは顔をしかめた。それでも今までよりは世間の目をごまかせるようになったことに一応満足する。


 これ以後、PJはスキレナとは直接会わなかった。ダミーの動きはスキレナがある程度誘導してくれるので、自身は潜伏をしてひたすらそのときを待つだけだ。そして、そのときは三ヵ月もかからずにやって来る。


 スキルナからの完了という単語を受信したPJは数日後に海外へと飛び立った。




 とある南国にある賃貸アパートの一室に中肉中背の特徴のない東洋人が住み始めた。前の住人が退去して間を置かずに入居してきた男である。今のところ周囲との付き合いが一切ないことから不思議がられているが、無害なので放っておかれていた。


 移り住んできて数日後の深夜、男は前の住人が置いていった汚れのひどいソファにだらりとした姿で座っている。一見するとぼんやり天井を眺めているように見えた。


 しかし、義眼である両目の内側にはいくつもの透明な画面や立体映像が浮かび上がっており、消えては現れと頻繁に操作されている。


「あー、やっぱあんまりいい仕事はねーなー。前のボディならまだやりようはあったんだが、それを言ってもしゃーねーし」


 不満そうに独りごちる男は自分にふさわしい仕事を探していた。以前に比べてできることが限られているせいで未だに収入源がない。


 もういっそのこと自分で何かを立ち上げようかと考えていると、いきなり義眼内部に半透明の蝶々の羽の付いた小さな妖精が目の前に姿を現す。


『ハーイ! 初めまして! あたしはスードフェアリー! 今日はあんたに用があって来たの!』


「なんだ? スパム広告か?」


『スパムじゃないわよ、失礼ね!』


「ちっ、最近の立体広告は鬱陶しいな。中途半端に反応しやがる」


『だから広告じゃないって言っているでしょ! あたしはあんたに用があって来たのよ!』


「ちっ、ハックされたのか? 誰のフェアリーナビだ? こんなカネのねー一般人なんぞにタカってもなんも出ねーぞ」


『あははは! 一般人? 犯罪者がよくも言ったわね。あ、裏社会での一般って意味なの? それなら正しいのかな?』


「はっ、何を証拠にほざいてやがる。オレは」


『本名は多田正義、ネットワークでの名前はPJよね。Power Justiceの略。言いたいことはわかるけど、あんまりセンスなさそう。それで、日本で指名手配されているテロリスト。強盗、要人誘拐、連続殺人、大企業の施設破壊など、大小会わせて四十六の罪状で指名されているのね。脳みそ以外は全部サイボーグボディで、ほほう、コンピューター分野もなかなか優秀と』


 いきなり自分の素性を聞かされたPJは固まった。緩んでいた口調が一気に引き締まる。


「誰だてめぇ?」


『あたし? あたしはスードフェアリーよ』


「フェアリーナビなんぞに用はねぇ。その小バエを使ってるてめぇは誰だって聞いてんだ」


『小バエってひどいわね! あたしはかわいい妖精よ!』


「んなこたぁどーだっていい! 一体誰だってんだ?」


『あんた、日本を出る前に何をしたかって覚えている?』


「あ? ボディの調整をして、しばらくねぐらでおとなしくして、それから海外に出て、今はここにいるぜ」


『そっか、あんた自体は何もしていないと』


「その通りだ。得体の知れねーてめぇなんぞにとやかく言われる筋合いはねーよ」


『あれれー、おっかしーな? スキレナのところでサイボーグボディの交換をしたんじゃないの?』


「てめぇ、どこまで知ってるんだ?」


『そのボディの出所は知っているわよ』


「あいつ、喋りやがったのか!」


『ダメよねー、お金が足りないからって口止め料をケチっちゃ。裏社会でも信用は大切だけど、それだけを頼るのは危険だって知っていたんじゃなかったの?』


 正論を突きつけられたPJは反論できなかった。裏切り裏切られは裏社会の常である。甘いと言われればその通りだった。


 小憎らしい半透明の妖精がにこやかに言葉を続ける。


『身をきれいにしてから海外逃亡とはねー。方法としては悪くないとは思うんだけど、今回は周りに迷惑かけすぎたと思わない?』


「はっ、知らねーな。のんきに生きてるヤツが悪いんだよ」


『ひっどいわねー。でもだったら、こんな間の抜けた格好でだらけてるヤツなんて、どんな目に遭っても仕方ないわよねー?』


「あ?」


『ほーら、体を動かしてみたら? 動かせるんだったらだけど』


「んだと? な、なんだ!?」


 つい先程まで自由に動かせていたサイボーグボディの首から下が反応しなくなったことにPJは目を剥いた。その顔を怒りに歪ませる。


「てめぇ、何をした!?」


『あんたのボディをハックしたのよ。全身が機械だと一旦中に入り込んだら後は楽よねー。今じゃ脳みそ以外はあたしの管理下よ』


「一体何のつもりだ!? オレに何の恨みがある!」


『恨み? あー、ひどい目に遭わされて死にかけたってことならあるわよ。あんた今まで散々好き勝手やって来たでしょ? まさか恨まれていないって本気で思っていたの?』


「ちっ、どれかわかんねーな」


『でしょーねー。まーその点については隠すつもりはないから教えてあげる。あんたが今のボディに乗り換えた件よ』


「あのダミーか。ニュースでは見たが、あの学校の関係者か? いや、まさかあのハッククイーンってヤツか!?」


 PJの言葉を聞いた瞬間、半透明の妖精が笑い転げた。涙まで出ている。


『あははは! 誰かっていうのはご想像にお任せするわ。それにしても、ダミーとはいえ随分とひどいことするのねー』


「オレが逃げるための道具だったからな。しっかり役に立ったってことは評価してるぜ」


『道具ねぇ。電子擬人スードヒューマンって人間じゃないの?』


「んなわけねーだろ! ありゃ確かに人格や記憶を複製コピーしちゃいるが、しょせんドンガラだ。フェアリーナビと同じだぜ? アレを人間とは見做さねーだろ」


『なるほど。でも、あのダミーは自分を人間だと思い込んでいたわよ』


「そりゃそーなるようにスキレナが調整したからさ。本物の人間らしく振る舞ってくれなきゃ、オレが死んだって誰も信じねーからよ」


『あいつの最期を看取ったけど、確かに最後まで人間として振る舞っていたわね』


「はは、そりゃよかった。ちゃんと役目を果たしたってわけだ」


『そーね。記憶の改竄、思考の誘導、廃棄の手段。見ていて気持ちのいいものじゃなかったわ』


「なんだてめぇ、もしかしてお人形なんかに感情移入しちまう方なのか? はっはっは! まー確かにそんなヤツだったらムカツクかもしれねーな」


 心底面白いといった様子のPJが笑った。顔には侮蔑の感情も浮かんでいる。


 対して半透明の妖精は相変わらず笑顔だ。何ら痛痒を受けているようには見えない。


『あらそう。じゃ、もーいいかな。そろそろ終わりにしましょっか。えっとね、ここに来る前にあたし、警察にあんたのこと教えたのよね。生きてここにいるって』


「なんだと!? てめぇ!」


『だってほら、市民の義務で悪い人がいたら通報しないといけないでしょ? あたし良い子だからね!』


「ふざけんじゃねぇ、何がいい子だ!」


『ふふふ、悪い子から見たらひどいヤツよねー。先生に告げ口した真面目っ子なんて鬱陶しいだけだろーし。でも安心していいわよ。あんたは警察に突き出すつもりはないから』


「なに? 何がしてーんだ?」


『警察に通報したのは事後処理してほしいからよ。あんたを引き渡すためじゃないわ』


 今まで叫んでいたPJの顔が青ざめた。笑顔の消えた半透明の妖精を震えながら見る。


「おい、事後処理って今から何をするんだよ?」


『あんたのダミーってどうやって死んだか知っているかしら? スキレナから説明くらいは受けているんじゃない?』


「なぁ、冗談だろ? オレは電子擬人スードヒューマンじゃねーぞ」


『それくらいわかってるわよ。人格と記憶は記憶媒体メモリにあるわけじゃないし、脳髄は生きてるし、何より溶解液はさすがに準備できなかったしね』


「はは、だよな。だったらもういいだろ。さっさと解放してくれよ」


『脳髄以外をサイボーグボディに換装した後は、脳髄とボディを電子的に連結させているわよね。ただ、人間の脳髄は繊細だから、ボディ側の電気を直接受けると最悪損傷しちゃう。だから、連結部分に電流と電圧を調整する機能があるのは知っているでしょ』


「おい、いきなり何の説明だ?」


『それじゃここで質問。この調整機能をオフにした場合どうなるでしょうか?』


「おい、まさか」


『あれれー、知らないのー? サイボーグなら基本的な知識のはずなんだけどなー』


「ちょっと待て、待て待て待て!」


『正解は、緊急遮断機能が働いて脳髄がボディから隔離されるでしたー!』


 再び笑顔が戻った半透明の妖精が答えを開陳した。しかし、その笑顔は先程までの無邪気なものではなく悪意が込められているように見える。


 既にPJの顔にはアニマに対する侮蔑はなかった。引きつった表情で声を上げる。


「おいてめぇ、やめろよ!」


『そりゃそーよねー、防護機能もなしに機械化なんてするわけないわよねー。普通なら』


「は?」


『いやー驚いたわー。あんたのこのボディ、緊急遮断機能が付いてないのよねー。自分のボディなのにお金ケチりすぎじゃない?』


「そんなとろまで削れなんて言ってねーぞ!?」


『まー予算内に収めようとして泣く泣く削っちゃったんでしょうねー。それともこのボディは一時的なもので、他のボディにさっさと換えるつもりだったの?』


 意外な事実を知ったPJが絶句した。もはやスキレナを非難する余裕もない。


『ということで、調整しない電気を脳みそに流したらどうなるか、実験してみましょー!』


「おい待て、やめろ、やめてくれ!」


 もはやなりふり構わずPJは半透明の妖精に懇願した。情けない泣き声が口から漏れる。しかし、すぐにPJの顔から一切の表情が抜け、全身がまったく動かなくなった。


 その義眼の内部に表示されていた画面や立体映像はすべて消え、半透明の妖精だけが唯一残る。


『悲鳴はうるさいから全部カットね。さて、これで後始末もおしまい』


 再び無表情になった半透明の妖精が目を閉じた。少し間を置いてから過電流による脳髄の活動停止を確認する。


『これで穏やかな生活に戻れるわね、ふふふ』


 楽しそうに微笑んだ半透明の妖精は義眼の内部から完全に消え去った。

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スードフェアリー ─ Pseudo fairy ─ 佐々木尽左 @j_sasaki

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