第8話 秘密の小部屋
明けない夜はない……とはよく言ったもので、どんなに落ち込んでいようが、朝なんて来なければいいと思おうが、太陽は確実に日々巡るのだ。
昨日の目覚めも最悪だったが、今日の目覚めは人生最低であった。
二日連続で眠りに落ちた時の記憶もなければ自分で寝台に入った記憶もない。記憶はないが、寝てしまう前には馬鹿みたいに泣いた覚えはある。
子どもみたいに泣いて寝落ちてしまうなんて、そこの記憶はなくなっていないのが恨めしい。
(ゼファー様、呆れたかな)
ゼファーに限ってそんなことはないと思いつつ、恥ずかしさは消えないが、思いっきり泣いたおかげで幾分か気分はすっきりしていた。
ただ、顔を洗おうと鏡の前に立った時に昨日の自分の失態を再認識する羽目になる。
「う……わぁ。……酷い顔」
泣きはらした目は真っ赤だったし、目の周りは『泣きました』と言わんばかりに腫れている。この顔で今日部屋から出れば、周りに心配してくれと言っているようなものだ。
今日は一日部屋で過ごすしかない。
そう思っているとコンコンとノックの音がして、イルの部屋付きの侍女が入ってきた。
「お早うございますイル様。アヴェローグ公爵様より贈り物を預かっております」
え? と思って見ると、侍女は何やらお盆に桶を乗せている。侍女はイルを椅子に座らせると、持ってきた桶を机において桶にお湯を張った。
侍女はニコッと笑って小さな小瓶から何滴か液体を桶に垂らす。
小瓶から落ちた雫はお湯に溶け込むと、ふわっとハーブの香りが周りに広がった。
「わぁ! いい香り……!」
侍女はタオルを桶に浸すと、硬く絞ってイルに手渡した。
「これを顔に当てて下さい。気持ちいいですし、少しは腫れも収まりますよ」
言われたとおりにタオルを顔に当てる。
じんわりと暖かいタオルからは、優しいハーブの芳香がふうわりと香り、とても気持ちがいい。
「アヴェローグ公爵様がご用意くださったハーブのオイルです。イル様が目覚めましたらお出しするようにと申し使っております」
机の上にはオイルの入った小瓶の他にも、可愛らしい黄色い花が飾られていた。
きっとこれもゼファーが寄越してくれたのだろう。迷惑ばかりかけているのに、ゼファーはとことんイルを甘やかそうとしているのを感じる。
ゼファーは銀の髪の公爵として、国民からも、城内でも人気がある。
国王をしっかりと支え、いつも笑顔を絶やさず、本当に美しい姿をしているから納得なのだが、ゼファーの魅力はそれだけではない。
人の痛みが解る人なのだ。
イルのことにしても、ただの子どもの
でもそうせず、過度に甘やかすのは、イルには逃げ場がないのを解っているからだ。
イルの隠している孤独を何も言わなくても感じているからだ。
イルにそこまで寄り添う義務はないはずだが、イルの痛みを感じて甘やかしてくれるのはきっとゼファーも何かしらその痛みを知っているから。
いつだったか、会話の中で彼も幼い頃に自分の立場や見た目が周りと違うことで色々な事があったと本人に聞いた事がある。
だからゼファーはイルを護るべき子どもとして、イルの逃げ場になろうとしてくれているのだ。
イルもそのことはきちんと理解していた。
だから、本当に有難いと思う。
蒸しタオルを使ったら、目の周りの腫れも引き、大分見られる顔になってきた。
朝ご飯食べられますか?と侍女に聞かれた途端、ぐぅとお腹がなる。
恥ずかしい。落ち込んでいてもお腹は空く。
侍女はクスクス笑ってすぐにご用意しますね、と下がっていった。
昨日は廊下で大泣きしたし、部屋に帰ってからもグズグズとゼファーの胸で泣いていた。
周りに隠すなど到底無理な話で、部屋付の侍女や衛兵は今朝はどう接しようか困ったことだろう。イルが起きたタイミングで侍女はタオルを持ってきてくれた。それはイルが起きたらすぐに持っていってあげようと思ってくれていた、と言う事だ。
自分なんてどうせいなくてもいいんだなんて、いじけて、泣いて喚いて恥ずかしい。
ちゃんと、みんな大切にしてくれている。
他人の自分にも優しい気持ちをわけてくれる。
たとえそれが、肉親でなくとも。
「よし。元気だそう!」
まずはご飯だ!イルは気合を入れた。
いつかガヴィに言われたように現金なもので、朝ご飯を食べたらなんだか気持ちも元気になった気がする。単純な自分が恥ずかしい。
ガヴィと顔を合わせるのはまだ気まずいし、今日は一日部屋に
(ゼファー様に、お礼を言いに行こう)
きっと優しく笑ってくれるはずだ。
そう決めて立ち上がると、何やら部屋の外で揉めるような声がした。
「いや、ですから王子殿下……今日はその……イル様に会うのはやめておいた方が……」
「どうして? ぼく、綺麗なお花をつんできたからイルにみせてあげたいの!」
「あの、その……多分イル様は今日は調子が悪いというかなんというか……」
部屋前の衛兵が、しどろもどろになりながら王子を止めている。イルは吹き出した。
衛兵もイルが落ち込んでいると思って気を使ってくれているのだ。
イルはもやもやしていた気持ちが嘘のように吹き飛んだ。
ガチャリと勢いよく扉を開ける。
「おはよう! シュトラエル様!」
昨日の様子を思うと、さぞかし落ち込んでいると思っていたイルが元気に顔を出したので、衛兵がビックリしてイルの顔を見た。
イルはにっこりと彼の顔を見て頭を軽く下げた。
「イル……調子が悪いの?」
王子が心配そうに聞く。
「うううん! みんなのおかげで元気出た!」
遊ぼう! と王子を部屋に招き入れた。
ヤッター! と王子がイルに抱きつく。
部屋からはその後、楽しげな声が響いて、衛兵はホッとすると自分の持ち場に戻ったのだった。
***** *****
「で? 何するの?」
こうなったらとことん遊んでやるぞ! とイルは腰に手を当てて王子の方を向く。
王子はワクワクした顔で答えた。
「かくれんぼ!」
「かくれんぼ?」
王子によると、先日平民の子どもたちに流行っている絵本を見せてもらい、その中の子ども達が遊んでいたのを見て一度やってみたかったらしい。子どもの遊びの定番中の定番ではあるが、確かに宮殿には子どもは王子しかいないし、大人とかくれんぼしてもあまり面白くはないかもしれない。
しかも広い宮殿内でかくれんぼをすると探すのに丸一日かかる可能性もなくはない。見つかるのに時間がかかればそれはそれで危険だ。
よって、王子の初めてのかくれんぼはとりあえずイルの部屋と続きの庭限定で行うことにした。
最初の鬼はもちろんイルで、隠れられる場所が限定されているため、大体の隠れ場所は解っているのだが、そこは年上の何とやらで「どこかな~? どこだ?」などと言いながら探すふりをする。
イルに見つかるまでの間が楽しくて楽しくて、イルの声が近づくと可笑しさがこらえきれずに笑いをこぼす。
もはやその声で隠れ場所が特定されるのだが、あえて気付かないふりをする。そうすると王子は堪えきれず「ここだよー!」と飛び出してきて二人で大笑いした。
鬼役を交代したりして何度かかくれんぼを楽しんだところで、王子が「こんどは本気を出すからね!」と気合を入れて隠れる役をやった。
「いーち、にーい、さーーん……」
定番のもういいかーい、を聞いて、元気に王子から「もういいよー!」と返ってくる。
「よーし! いくよ!」と返事をして、王子の捜索を開始した。
とはいえ、部屋に隠れるところと言ってもクローゼットの中に隠れるか、テーブルの下、カーテンの後ろ、もしくは庭の茂みくらいしかない。なので今までと同じようにその周辺をわざとゆっくり回って探すふりをする。
どこのタイミングで王子を見つけようか、もしくは王子が先に飛び出してくるか。今度はどちらだろう?と思っていたのだが……
見つからない。
「え?」
いやいや。隠れられる場所は全て探した。
そもそもこの狭い部屋で見つからないはずがないのだ。
「王子? うそ、どこに隠れてるの?」
にわかにイルは焦りだす。
しかし堪えきれなくなった王子がクスクスと笑う声は確実に部屋の中から聞こえているのでいるのは確かだ。
イルは王子に白旗を上げた。
「シュトラエル様降参! どこにいるの?」
イルが根を上げると王子の笑い声が一層大きくなった。
イルは声のする方向にまさかと思ってのぞき込む。
「みつかっちゃったぁ~」
見つかってしまったことをさして残念がっている風でもなく、王子は可笑しそうに口に手を当てた。
王子が隠れているのはイルの寝台のヘッドボードと壁の間の隙間だった。
イルの天蓋付きの寝台には壁までにほんの少しの隙間がある。寝台の中央付近の壁には加えて他の壁より一段へこんだ部分があり、イルでは到底入り込むことは無理だが、王子の体格ならなんとか入れる隙間だ。王子はそこにしゃがみ込んで隠れていた。
そんな所に入れると思ってもいなかったイルは完全に隠れ場所から除外していた。
流石子どもだ。発想が凄い。
「うわぁ~! 参りました! 王子は隠れるのが上手だねぇ!」
本当に感心して言うと、王子は得意げに笑った。
しかし最高の隠れ場所は、小さな王子でもギリギリの隙間でちょっと窮屈そうだ。
イルは自分ではその隙間に入っていけないので、王子に「そろそろでておいで」と声をかけた。王子はうん、と返事をして立ち上がろうとして――
「いた!」
急に王子が小さく声を上げたのでビックリする。
「王子?!」
慌てて声をかけるとのんびりした声が返ってきた。
「だいじょうぶだよー。なんか床に出っ張りがあって手でぎゅってやっちゃった」
なんだろこれ? と小さな手で床の突起物を好奇心からくるりと回す。
するとなんと、王子の背の壁がガコっと後ろに下がり、ぽっかりと穴をあけた。
王子は後ろの壁が後退したことにより、出来た穴に吸い込まれていく。
「王子っ?!」
慌ててヘッドボードを乗り越え、王子の消えた穴に飛び込む。
飛び込んで気付いたが、穴と思ったそこは穴ではなく、地下に続く階段になっていた。
慌てて薄暗い階段をかけ下りる。
王子は階段を転がり落ちていたが、幸いにも階下には柔らかい
「王子大丈夫?!」
急いで王子の側に寄り怪我の有無を確認する。どこにも怪我はなさそうだ。イルはほっと胸をなでおろした。
「イル……ここ、すごおい」
ひっくり返ったまま、王子が目を丸くして言うので、イルは初めて自分たちのいる場所を見渡した。
「なに……ここ……」
そこは小部屋になっていた。
今、入ってきたばかりだというのに、壁には灯りがついている。ゆらゆらと揺れる火は自然の輝きとは少し違う気がする。魔法がかかっているのだ。
部屋の壁には本棚。子どものものと思わしき絵や、狼の置物。小さな風景画。
あまりまとまりはなく、好きなものをただ置いたという印象だ。
部屋の真ん中には座り心地のよさそうなひじ掛け付きの椅子と小さな机。
まるで誰かの隠れ家のよう。
「なにこれ……なんで貴賓室にこんな部屋が……?」
そうなのだ。今はイルが自室のように使っているが、元々は王家の個人的な客人をもてなすための貴賓室である。
その貴賓室の一角に、こんな隠し部屋があるなんて。
「……そういえば」
王子がなにか思い出したように言う。
「父上がいっていたけど、イルのお部屋はむーかしむかし、さいしょの王様のお部屋だったんだって」
「え?」
最初のお城は今よりももっと小さくて、貴賓室に当たるところが初代国王の自室だったというのだ。
その後、アルカーナ王国はどんどん拡大し、それに合わせて城も拡張した。今現在国王一家の住まっている部分は歴史の中では比較的新しい部分らしい。
「じゃあ、ここって……初代国王様の隠し部屋?!」
誰からもそんな部屋があるとは聞いていなかったし、もしそんな部屋があると分かれば世紀の大発見だ。そんな部屋にイルを入れるはずがない。
もしかすると凄いものを見つけてしまったのかもしれない。
辺りをぐるりと見回すと、机の上に日記らしき物が置いてある。
イルは軽くホコリを払うと、そっと最初のページをめくった。
そこには五百年も前の昔の日付が書かれていた。
まだ、建国当時の日記なのか、最初の方のページには城付近の治水工事が上手く行った等の事が書かれている。
「これ、やっぱり本当に王様の日記なんだ……!」
ドキドキしながらページをめくる。
「イル!」
王子に呼ばれて顔を上げると、王子が部屋の隅の壁を指さしている。
「ねえ!ガヴィがいるよ!」
「――え?」
部屋の隅の壁には、隠すように布がかかっており、めくると何枚かの肖像画がかかっていた。
一枚は長い黒髪の少女。
もう一枚は―――
「うそ……なんで……?」
そこにかかっていたのは、今よりも幾分か幼い、少年と青年の間の顔をした、ガヴィにそっくりな少年の肖像画だったのだ。
震える手で肖像画をそっと撫でる。
肖像画の少年は、赤い癖のある赤毛、菫色の瞳をしていて、地面に立てた剣を両手で支えるような格好で枠に収まっている。
今のガヴィよりも幼い印象はあるが、どう見てもガヴィに瓜二つだ。
(なんで……? だってここは、初代国王様のお部屋なんでしょう?)
初代国王の部屋であれば、日記の日付にあったように五百年も前に出来た部屋だ。
そんな所にガヴィの肖像画があるはずがない。
しかもなぜ、国王の部屋にガヴィの肖像が貼られているのか。しかもひっそりと隠すように。
イルはハッとさっき見つけた日記を広げた。
古くなっている紙を慎重にめくる。
最初の方は、創世記に出て来た戦い後の頃なのか、国造りに関しての内容が多かった。
水路を作っただの、病院を作っただの、国が充実していく様がいきいきと書かれている。
(あの絵は他人の空似? そりゃそうだよね、ガヴィのはずが――)
ある日の日記の一文に目が止まった。
――○月▲日――
ガヴィエインが怪我をして帰ってきた。
本人は大丈夫だと言うが、一人で討伐に行かせるといつも無茶をする。
少しは自分を
胸がドクンドクンと嫌な音をたてる。
これは何?偶然の一致?
(ダメ、ひとつも意味がわからない――)
「何をしている!」
突然の声にハッと振り返ると、階段からゼファーが降りて来るところだった。
「……部屋で声をかけたが返事がなかったから勝手に入らせてもらったが……なんだこの部屋は……こんな部屋があったとは……」
ゼファーも知らなかったのか、周りをキョロキョロと見回す。
イルは泣きそうな顔でゼファーに駆け寄った。
「ゼファー様!
ここ、初代国王陛下の隠し部屋みたいなんです。王子が偶然扉の開け方を見つけて……それで、それで……」
イルは混乱の極みにいたが、なんとかゼファーに伝えようと気持ちを落ち着けた。
「……なぜか壁にガヴィの絵が貼ってあって……国王様の日記にも名前が……ガヴィエインって、ガヴィの事ですよね…?」
「……なんだって……?」
もたらされた情報の多さにゼファーも困惑する。
イルと王子に促されて見た絵には、確かに自分もよく見知った青年の絵が掲げられていた。
「ガヴィ……」
絵を見て彼の名前を呟くゼファーに、イルはますます事実を認めるしかなかった。
「ゼファー様、ガヴィは、ガヴィは今どこにいますか?!」
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