第9話 西の谷へ

 三人は一旦地下の隠し部屋を出て、イルの部屋に戻ってきていた。初代国王の日記を持って。

「……ガヴィは今外出届けを出して出かけている。調査の為、と書類には書かれていたが……」

 適当な理由を書いて調査に出かけることは今までにもあったらしい。しかしいつもは詳しい内容をゼファーには口頭で伝えていたので良しとしていた。

書類を受け取った係の者はいつもの事だと思い通常通り受理していたのだが、今回はゼファーには何も報告はない。

「書類には一週間ほどと書かれていたがね」

「じゃあ、来週には帰ってくるんですね?」

 ホッとした様子でそう言うイルに、珍しくゼファーが気まずげな顔をする。

「まあ……多分。

 ……実は昨日、彼をぶん殴ってしまったからね。そのせいもあるかもしれない」

 イルは目を丸くした。

「え?」

 今、ゼファーはなんと言った?ゼファーの口からは全くそぐわない言葉が出てきた気がする。いまいち理解できていないイルに、ゼファーは軽く咳ばらいをしながらもう一度言う。

「うん。君への対応に余りに腹が立ったからね、一発殴らせてもらった」


 君の代わりに。


 そう言って、拳を握るゼファーにイルは二重に驚く。

「グーで殴ったんですかぁ?!」

 焦るイルをよそに、先程の気まずい様子も何処へやら。にっこり笑って「そうだよ」と開き直って答える。まあ、吹っ飛んだよね、と続けて言うゼファーにイルは青くなった。


 この人、怒らせたらいけない人だ。


「頭を冷やしてくると言っていたから、しばらく放っておこうと思っていたんだが……」

 そう言いながら日記のページをめくる。

 日記には、国造りの事や、日々の何気ない出来事が度々綴られていた。

本当に個人的な初代国王の日記らしい。

 そこから垣間かいま見えたのは、国王というより、自分達と同じような普通の青年の姿。

 建国当時であれば、初代国王だって元はただの平民であったのだから当然なのだが、自分達にとって御伽話おとぎばなしのようになっていた初代国王が泣いて笑って、自分達と同じ様な暮らしをしていた事が新鮮に映る。


 ガヴィエインと呼ばれる少年の名前は国王の日記の中に度々出てきた。

 彼は五百年前の戦いの後、いさかいを収めに行ったり、資材を揃えに遠出したりと国をあちこち飛び回っていたようだ。

国王の日記からは臣下というより親しさを感じる。

 まるで仲のいい友だちだ。

「もしかして……ここに出てくるガヴィエインって……創世記に出てくる幼馴染の剣士……?」

 ゼファーも王子も思っていた事をイルが口にした。

 彼の剣の腕がたくみな事、時々無茶をして国王を心配させる事、昔からあいつは……等と付き合いが古い事などが時々書かれていたからだ。

 そして、たまに書かれる、彼の愛称なのだろう……ガヴィエインではなく、『ガヴィ』の文字。


 イルは胸が締めつけられた。

 もはやガヴィエイン=ガヴィなのは疑いようもない。

日記が指し示す特徴が似すぎている。


「なんでガヴィはぼくたちの時代にいるの?」

 王子の疑問に、二人もそう思いながらページをめくった。



――○月■日――


明日ガヴィエインが瘴気谷しょうきだにの討伐に行くと言う。

俺も行くといったが断られた。そりゃ、ガヴィの事だから問題ないのは解っているが、あいつ近ごろ飛び回りすぎてやしないか?


帰ってきたらちょっと話をしようと思う。



 次のページをめくる。

「!」

 三人は息を呑んだ。

 次のページには、何も書かれていなかった。

と言うより、書こうとして書けず、グチャグチャとペンで書きなぐったような跡。紙もよれて、濡れたのかインクがにじんでいる箇所さえある。

(………涙の、跡……?)

 ぐちゃぐちゃに消されたページには、かろうじて『なぜ』とか『どうして』の文字。

 間違いなくこの前後に何かあったのは明白だった。

 日記は、そこから何も書かれてはいなかった。

「……この日、ガヴィに何かあったのは間違いなさそうだね」

 ゼファーが呟く。

「何があったのかな?」

「どこかに出かけるって書いてありましたよね。……瘴気谷しょうきだに?」

 何それ。と王子の方を見たが王子は左右に首をふる。

「ゼファー様は解ります?」

「いや……私の知る限りでは瘴気谷という場所に聞き覚えはない。ただ――」

 記憶のどこかに引っかかる。

ゼファーは頭を回転させて記憶を辿る。

(瘴気谷。五百年前の人間がどうやって現代に来られた?ガヴィと初めて会った時、彼はどうしてた?)


 水晶に囚われていた魔物。突然現れたガヴィ。

そう言えば、あの時鮮やかに魔物を倒したのに、すでにガヴィは傷だらけだった。


「―――水晶谷か!」


 ゼファーの発した名称に、三人で顔を見合わせる。

 ガヴィが創世記の剣士、ガヴィエインであるなら。

現代に時を越えて現れたのではなく、その時を止めていたのだとしたら?

水晶に囚われていた、いにしえの魔物の様に。


「ゼファー様! 私、水晶谷に行く!」


 そこに行けば、ガヴィに会える気がした。



*****  *****



 谷を吹き抜ける風が、そびえ立つ水晶群の間を通り抜けて音を鳴らす。

 足元には、砕けて散らばった水晶のかけらが無数に落ち、踏むとパリパリと乾いた音がした。

 昼間は無色透明であるのに、夜になると微かに淡く紫色に発光するのが見事で、一時期はかなりの見物人が見に来た。だが数年前水晶の中から生きた魔物が出てきてからは立入禁止になっている。

「……大分もろくなってやがんな」

 軽く水晶を蹴ると亀裂が入って簡単に欠けた。

「――五百年か……スゲーじゃん」

 赤毛の剣士、ガヴィは自嘲じちょう気味に笑うと水晶の前にドカッと座って光る水晶を見上げた。

 そのまま後ろに倒れて寝転がる。


『前にも言ったが、君は言っていい事と悪い事の区別もつかないのか。

 いい大人が、あんな風に泣かせて。馬鹿なのは君の方だろう』


 ゼファーの声が脳裏に響く。


『ガヴィはさ、過保護なんだよ。

 彼女は彼女の思いがあるんだからさ、その気持ちを尊重してあげなよ』


 次々に思い出される、友人達の声。

「……うるせえよ。……んなことは、俺だって解ってんだ」

 独りごちて空中をにらむ。


(アイツ……見たことないくらい泣いてたな)


 胸中で自分が泣かせた黒髪の少女を思い浮かべる。

 イルにとって血の剣ブラッドソードは、一族の血統を示す為の証の意味合いが強いのだろう。

 一族の中で微妙な立ち位置だった彼女にとって、血の剣ブラッドソードが作れたことは誇らしい気持ちだったに違いない。

 冷静になれば、そんな事はすぐに理解できる。

ガヴィはただいつもの様に大人の顔をして、「良かったな」と言ってやれば良かったのだ。


 だが、あの日血まみれで倒れたイルを見て、思わずにはいられなかった。

 湧き上がってくる恐怖に体が震えた。


 このままでは、また失う、と。


「んで、傷つけて泣かせてりゃ……本末転倒だよな」

 一つも変わっていない自分にイライラする。

頭を冷やして、向き合わなければならない。過去の自分と。

 ガヴィはハァとため息をついて目を閉じた。



 秘密の小部屋を見つけてから、どれくらい時間がたっただろう。日も完全に沈み、辺りは水晶の輝き以外は夜の闇に包まれている。聞こえるのは虫の声くらいだ。

 水晶谷の入り口に、突然キラキラと輝く軌跡が浮かんだ。

光の粒は瞬く間に円を描き、そこに今までいなかった影を浮かび上がらせる。

 そこから現れたのは、紅の民の少女イルと、銀の髪の侯爵ゼファーである。

二人は事の重大性を国王に訴え、国王の専属魔法使いに頼み込み、取り急ぎ水晶谷へと送ってもらったのだった。

「……ガヴィ、見つかるかな……」

 イルが不安げに呟く。

「ここにいるか、確証はないが……ガヴィが水晶谷から現れたとすれば、何か手掛かりはつかめるかもしれない」

 ゼファーは持っていたランタンを掲げながらイルにそう声をかけた。

 

 薄暗い夜道をゆっくりと歩く。入り口から水晶群のある場所までは歩道整備されていて迷うことはない。

 しばらく歩くと突然目の前に巨大な水晶の塊が、淡く紫の光を放ちながら現れた。

夜の闇に浮かぶ水晶の輝きは圧巻だった。しばらくは息をするのも忘れて見とれる。

「す……ごい……」

 この世のものとは思えない妖艶さがあった。こぞって人々が見に来たというのにも頷ける。

ふと視線を水晶の下に向けると、なにかが転がっている事に気が付く。

 よく目を凝らすと見えたのは、赤い、見覚えのある頭髪。

「――!!」

 イルは心臓が止まるかと思った。

そこに横たわる人物はまさに探していた人だ。

微動だにしない様子に、最悪の事態を想像する。


(―――いやだ!)


 イルは駆け出した。一目散に。

駆けてガヴィに抱き着き名前を呼ぶ。

「ガヴィ! ガヴィ!!」

「うわあぁぁぁお?!」

 が、くだんの人物は予想に反して飛び起きた。

「はぁあっ?! え? ……イル?!」

 驚きすぎて頭が付いてこない。

ガヴィはイルに抱き着かれたまま目を白黒させた。

「よ、よかったぁ……し、死んでるのかと思ったよぉぉ……!」

 安心して泣き出したイルの物騒な台詞にギョッとする。

「し、死ぬわけねぇだろが! 勝手に殺すな!」

 べりっとイルを引きはがす。

「信用のない行動ばかりとっているからそう思われるんだ」

「あぁ? ……ってなんでお前まで……」

 ゼファーの姿も確認してますます困惑する。

「だって、ガヴィが突然いなくなるから……」

「いや、俺ちゃんと調査に行くって書類出したよな?!」

「行き先も伝えずにね」

「いや、まあそうだけどよ?!」

 完全に押され気味のガヴィに、イルがすかさず核心をついた。

「ねぇ! ガヴィエインって、ガヴィのことでしょ?!」

 ギクリと体を強張らせてガヴィがイルを見る。

「お、お前、なんで……」

「……創世記に出てくる三人の内の剣士は君だろ? ガヴィ」

 ガヴィは呆然と二人を見た。

 その顔は、今まで見たことのない、少し不安げで幾分幼いような、あの肖像画の『ガヴィエイン』の顔であったかもしれなかった。


「……私の部屋に、隠し部屋に通じる通路があったの」


 イルの部屋が元々初代国王の自室であった事、その部屋の隠し部屋にガヴィの肖像画や日記があり、ガヴィに関して書いてあるページがあったことを伝えた。

「……」

「ねぇ、ガヴィ。本当のことが知りたい」


 あなたは、誰なの?


 イルとゼファーに見つめられ、ガヴィは長考の後、目を閉じて観念したように息を吐いた。


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