第7話 慟哭
創世祭のあくる朝、イルの目覚めは最悪だった。
市内巡回警備後、ガヴィは毎年祭りの二日間は最後まで警備に当たっていたらしいのだが、彼が警備に当たっているとイルは基本的に部屋で大人しくしているしかない。その事に気をまわしたゼファーが、最終日の夜の警備担当責任者からガヴィを外したのだ。
よって、創世祭最終日の舞踏会に、イルとガヴィは揃って出席することになったのだった。
「この件に関しては、俺はお前に申し訳なく思ってる」
ガヴィが顔に手を当てながら気恥ずかしそうに言う。
イルとガヴィは舞踏会の会場内の端の壁に背を預けながら立っていた。
会場入りした時は、ガヴィがイルをエスコートしながら、慣例に従って国王陛下に挨拶に行った。イルはすでに創世記に出てくる女魔法使いの末裔であることは周知されていたので、護衛にあたっている赤毛の侯爵との登場に会場は大いに沸いた。しばらくは物珍しさから色んな人に声をかけられ、社交界など経験したことのないイルは目を白黒させたが、ガヴィやゼファーがフォローしてくれたので何とかやり過ごすことができた。
問題はその後、
「俺はよ、元は平民、城に来てからずっと警備担当だったわけ。
言わなくてももう解ると思うが、こういう場は得意じゃない。勿論、踊るとか無理だ」
お前は踊れんの? と聞かれて、お祭りの前に少しゼファーが教えてくれたので簡単なパートなら踊れる、と答えた。
「あ、そう。そりゃほんと申し訳なかったわ。
そもそも俺のフリーの時間をここに当てたのが間違いだと思うけどな」
それは俺の責任じゃない、ゼファーが悪い。と言いながらもばつの悪そうな顔をする。
踊れないことに、意外にもガヴィが気まずそうにするのでイルは気にしないでと明るく言った。
「私もそんなに踊れないし、こんな所来たことがないから見られただけで充分だよ。
絵本で見たお姫様の世界みたいだね!」
そう、踊りは確かにゼファーに習ったが、基本のき、のダンスで、とてもではないが大勢の人前で披露できるようなものではない。
ゼファーは十分可愛らしいから大丈夫だよ、と欲目で言ってくれたが、こんなに自分が注目されるとは思っていなかったので、あの
ニコッと笑ってガヴィを見上げる。
ガヴィはそれでもまだ気まずげだった。でも、イルは本当にガヴィとこの場にいられるだけで充分だったのだ。
チラリとガヴィを横目で盗み見る。
流石に国王主催の舞踏会というだけあって、会場に入るにはドレスコードがある。
イルもこの日のためになぜか王妃が嬉々として新調した、淡い黄色の可愛らしいドレスだったし、ガヴィも流石に普段通りとはいかず、そして珍しく舞踏会に出席するとあって、執事のレンが「我が家のご主人様に恥ずかしい思いをさせるわけには参りません!」と張り切って衣装を用意していた。
髪もいつもとは違い、後ろにきっちりと撫でつけ、どちらかというと普段は機能性重視なガヴィだが、今日は黒地のシャツに深い
そこにガヴィの瞳の色のような菫色のマントを
イルの視線に気づいたのか、ガヴィが「ん?」と目線を寄越したので、イルは盗み見ていたのを誤魔化す為に、慌てて「ガヴィ凄い! 今日はまるで貴族みたい!」と間違った褒め方をした。
言った瞬間にイルは失敗したと気づいたが、舞踏会に出ておいて踊れもしない赤毛の侯爵は分が悪かったのか、「そりゃ、どおも……」とヤケクソ気味に答えただけだった。
そこからはもう散々で、自分の発言を挽回しようと思ったイルは「いつもは全然侯爵っぽくないけど今日は凄く格好いいよ!」とやはり褒めているのか
ちなみにイルの記憶はそこまでである。
(ああぁぁ〜〜! 消えてなくなりたい……)
いつかだったかも同じ事を思ったなと思いつつ、痛む頭を抱えて寝台の上で突っ伏す。
自分の足で部屋に戻ってきた記憶が全くない。
仕事を切り上げて苦手な舞踏会に連れてきてくれたのに、失礼な事を言った挙げ句、酔っ払って部屋まで運ばせたに違いない。最悪だ。
どんな顔で顔を合わせればいいんだ。
イルは痛む頭と格闘しながら午前中いっぱい悶々と過ごす羽目になるのだった。
***** *****
昼もすぎると頭痛も気持ちの悪さも和らぎ、いつも通り動けるようになっていた。
イルは謝るなら早めがいい、とガヴィの執務室に向かおうと思ったが、部屋を出たところで王妃の使いに呼ばれてしまった。
ガヴィとは約束しているわけではないし、気まずさもあって王妃の用事が終わってから行けばいいかと部屋を出る。
いつもお邪魔している王家の居住区に行くと、そこには王妃だけでなく国王の姿もあり、イルは驚いた。
「やあ、よく来たね」
「こ、こんにちは陛下。昨日は素敵な舞踏会にお招きいただきまして有難う御座いました」
「昨日は踊らなかったんだって?あのガヴィが珍しく会場に来たというから楽しみにしていたんだが」
ゼファーによく似た秀麗な顔で微笑まれてイルはいたたまれなくなった。
……その話題は今、正直勘弁してほしい。
来年は踊れるようにガヴィに言っておくよと国王に言われて、陛下は昨日の事をどこまでご存知なんだろうと気になったが、自分の失態を再認識したくなくて愛想笑いで誤魔化した。
「今日用事があるのは実は私なんだ。
……イル、君にこれを」
そう言って綺麗な細工の箱を渡される。
「?」
イルは箱を受け取ってそっと蓋を開けた。
「! ――陛下、これ!」
勢いよく国王の顔を見つめる。
何か言葉を紡ごうとするが喉が詰まって音にならない。
「……お節介かなとは思ったんだがね、紅の民は成人の折に自分で作った
アヴェローグ公爵に聞いた、と国王は言った。
「君の作った
成人おめでとう、と国王に言われ、王妃がそっとイルの肩を抱く。イルは溢れてくる涙を止めることが出来なかった。
イルの作った小さな矢じりの様な
もう、誰からも祝われることなどないと思っていた。
紅の民でありながら、やはり自分は一族の中でどこか異分子なのだと感じていた心が、国王陛下や王妃の心遣いで救われた気がした。
「……有難うございます……大切にします……!」
流れ落ちる涙はちっとも止まってくれなくて、ひとつも格好はつかなかったけれど、国王に少しでも感謝の気持ちを伝えたくて、イルは無理矢理笑顔を浮かべた。
宮殿を後にし、イルは高揚した気分のままガヴィの執務室に向かった。
大切な人達のために自分の力が役にたった事も、成人を祝われた事も、どちらもが嬉しくて誇らしかった。
ガヴィに昨日の失態を謝って、これを見てもらおう。
朝はあんなに憂鬱だったのに、なんだか力が湧いてくるようだ。
ガヴィの執務室前の衛兵に在室を確認して部屋の扉をノックした。
「ガヴィ?」
ガヴィが書類から顔を上げる。
「ごめんなさい、仕事だった?」
「いや、そろそろ終わろうと思ってたところ。……なんか用か?」
ガヴィは首を左右にゆっくり伸ばすと立ち上がってソファーの方へ移動する。
当たり前だが今日は舞踏会の時のような髪型ではない、いつものガヴィだ。
昨日みたいなガヴィもいいが、この方が何だかほっとする。
イルもガヴィに習ってソファーに腰を下ろした。
はやる気持ちを抑えながら、まずは筋を通さねばと気持ちを落ち着ける。
「昨日は……ごめんなさい! なんか色々迷惑かけちゃったよね?
私、全然覚えてなくて。えーと、ごめんね?」
なんか失礼なこともいっぱい言っちゃったし……と語尾が小さくなると、黙っていたガヴィが噴き出した。
「……お前はさ、ほんとに裏表なく生きてるよな」
怒って笑って謝って。忙しい奴だな。
ひとしきり笑って、「……お前といて、そんなの気にしてちゃやってけねぇわ」と全然痛くなく頭を小突かれて笑うガヴィの顔に、最近自覚した想いが勘違いでないことを再認識する。
(……ガヴィは、子どもとしか思ってないと思うけど)
それでも毎日顔が見られるのは幸せなことだと知っているから。
ここにいられるだけで今はいい。そう思った。
「で? 用事ってそれだけ? ……何その箱」
問われてハッと気付く。そうだった、これを見せに来たんだった。
「あのね! さっき陛下と王妃様に呼ばれて、これをいただいたの!!」
イルは持っていた箱をガヴィに見せる。
嬉しい気持ちを隠しきれないまま、ふたを開けて興奮気味にガヴィに早口で説明した。
「私の作った
こんな綺麗な箱に入れて下さって、初めて作った血の剣だから大事にしなさいって……それで……」
「――馬鹿じゃねぇの?」
「え?」
思ってもいない言葉が出て来たような気がしてガヴィの顔を見る。
そこには、さっきまで柔らかく笑っていたはずのガヴィはもうおらず、なぜか冷え切った目でイルを見ていた。
「――え……?」
聞き間違いかともう一度聞き返す、するとガヴィは苦々し気に顔をしかめてもう一度吐き捨てた。
「そんなもん、記念に残してなんになるんだよ。馬鹿かお前は。
それはそんな大事にとっとくもんじゃねぇ。
……
ガヴィの口から出る台詞が信じられなくて、頭が追いついていかない。
「……なんでそんな事言うの? ……冗談でも酷いよ」
混乱しながらも反論するイルに、ガヴィは追い打ちをかけた。
「命と引き換えでできる剣に価値なんてねぇよ。
そんな能力、――消えちまえばいい」
冷たく言い放たれた言葉が胸に刺さる。
今喋っているのは、本当にガヴィ?
彼は口は悪いけれど、本当に人を傷つける様なことは言わない人だ。
意外と親切で、面倒見もいい。
いつもは小馬鹿にしたように笑うけど、時々凄く優しい目で柔らかく笑うのも知っている。
だから。だから、わたしは――。
さっきまでの嬉しい気持ちが、一気にぺしゃんこになって、息が苦しい。
ガヴィも、笑って良かったなって言ってくれると思っていた。
一番に、笑ってくれると思っていたのに。
「……陛下は、これは成人の、証だから……おめでとうって、言ってくれたよ……?」
絞り出した声は、自分でも信じられないくらいに小さくて震えていた。
陛下の前で出た涙とは違う涙が、ボタボタと床に落ちる。
震えた声音に、ガヴィの瞳がハッとイルを見た。
大きく息を吸って、ガヴィに怒鳴って喚きたかった。
でも喉は鉛が詰まったように苦しくて、もう何も出ては来なかった。
代わりに目からあふれた涙が止まらない。
「――っ!」
持っていた箱を、ガヴィめがけて投げつける。
箱はガヴィに当たって中身をぶちまけるとカラカラと床に転がった。
イルはそのまま踵を返し部屋から飛び出した。
突然の大きな音と開け放たれた扉に、部屋の前の衛兵がギョッとする。
部屋にはぶちまけられて散乱した
***** *****
ガヴィの執務室を飛び出したイルは、流れ落ちる涙を拭いもしないまま、一心不乱に部屋に向かっていた。すれ違う衛兵や侍女が驚いていたが気にしてはいられなかった。
――里を焼け出された後もこんなに泣いたことはない。
嬉しい時も、悲しい時も、涙がこぼれそうな時は、
辛いことがあっても二人が側にいてくれたからあっという間に涙が止まったのだ。
「イル?」
だから。
部屋に向かう宮殿内の廊下で前からゼファーが歩いて来た時には、イルは溢れ出てきた感情を止めることができなかった。
困惑するゼファーにしがみつき、わんわんと子どものように泣く。
ゼファーは理由がわからず戸惑っていたようだが、泣き続けるイルの背中を何も言わずに優しく撫でてくれた。
その後もイルがなかなか泣き止まないので、ゼファーは「こちらにいらっしゃい」とイルの自室まで手を引く。そのまま部屋のソファーに座ると、イルの泣き声が段々小さくなって、鼻を啜る音しか聞こえなくなるまで頭を撫でて隣にいてくれた。
「……落ち着いたかい?」
訊ねるその声色がことのほか優しくて、イルはまた泣きそうになる。
それでも、さすがに迷惑をかけている自覚はあったのでごしごしと袖口で涙を拭いて小さく頷いた。
「何があったのかは、聞かない方がいい?」
どこまでも優しいゼファーに、止まったはずの涙がポロリとこぼれる。
慌てて袖で拭こうとするイルにゼファーはハンカチを手渡した。
イルはハンカチを握りしめながらゼファーにぽつぽつとガヴィとの出来事を話した。
「……」
「私、ガヴィも一緒に笑ってくれると思ってたから……すごく、ショックで……
ガヴィは、
今まで、誰にも言えなかった思いがこぼれ落ちる。
……本当は、ずっと思っていた事がある。
紅の民だなんて言っているけれど、本当は違うのではないかと。
里のみんなと同じところは、黒い髪の色だけ。
でも黒髪なんてこの国には溢れている。
……もしかしたら、父の子ですらないのかも。
だとしたらなぜ、自分だけが生き残ってしまったのか。
価値のある一族のみんなは一人残らず死んでしまったのに。
力もない、生まれもわからない、なんの価値もない。
こんな自分ならいっそ、
「わ、私が、私が皆の代わりに死ねばよかったのにって――」
ずっと一人で抱えていたイルの重い独白に、ゼファーは堪らずぎゅっとイルを抱きしめた。
この太陽のような笑顔の少女は、幾夜こうやって一人苦しんできたのだろう。
役立たずな自分が生き残ってしまったと、自分には何の価値もないのだと思っている。そんな悲しいことを。
ゼファーはイルを抱きしめたまま、ゆっくりと言い聞かせた。
「……そんな事は言わないで。
貴女のお父上も、そんなことを望んで君を逃がしてはいない。
私も、イルに出会えて本当に嬉しいよ」
揺れた瞳で、幼子のようにほんとう?とゼファーに聞き返す。ゼファーはほんとうだよ、とイルの目を見て微笑んだ。
イルの心に寄り添って、イルの痛みを理解しようとしてくれるゼファーの気持ちがとても嬉しい。
ゼファーといると、そこに亡くなった兄がいてくれるようで、すごく安心できた。
「ここの人達はみんなあたたかくて……王子は私に新しい名前や居場所をくれて……。
陛下や王妃様や、ガヴィやゼファー様。みんな信じられないくらい優しくしてくれるから、なにか役に立ちたくて……。
偶然かもしれないけど、
自分の存在意義の証明だったのだ。
「でも、……ガヴィは……そんな能力いらないって……の、呪いみたいなものだって――」
お前なんていらない。
そう言われた気がした。
一度は止まった涙がまたあふれ出す。
ゼファーはイルが泣き疲れて眠るまで、ずっとそのまま抱きしめていた。
泣き疲れて眠ってしまったイルを寝台に運び、部屋を出たころには空は茜色に染まっていた。
衛兵や部屋付きの侍女が不安そうにこちらを
ゼファーは部屋を出た足で、ずんずんと執務室の方に向かうと自分の部屋を通り越し、ガヴィの執務室にノックもしないで入った。
床には、散らばったままのイルの
ガヴィはイルが部屋を出て行ったあとも微動だにせず、未だ同じ場所に立ち
「……私が何をしに来たのか解かるか?」
ガヴィはノロノロと顔を上げてゼファーを見る。
「一応解っているようだな」
ならば、とゼファーはいきなりガヴィの横っ面を拳で殴り倒した。
どれくらいの力で殴ったのか、ガヴィの体は吹っ飛び床に転がる。
部屋付きの侍女は悲鳴を上げた。
「……っ」
ゼファーの口から今まで聞いたことのない冷えた声音が出た。
「前にも言ったが、君は言っていい事と悪い事の区別もつかないのか。
いい大人が、……あんな風に泣かせて。
馬鹿なのは君の方だろう」
静かに怒りをにじませるゼファーに、ガヴィは殴られた頬を気にもせず、まるで叱られた子どものように彼を見上げた。
「何が君の気に障ったのかは私にはわからない。
でもそんなものは知ったことじゃない。君が言わないものを、私も彼女も知るはずもないからね。
……君が勝手に囚われているその感情でまたあの子を傷つけるのなら、私は君を許さない、ガヴィ」
そう言ってゼファーは無言で散らばった
ガヴィはふらふらと立ち上がると部屋を出ようとした。
どこへ行く、と硬い声でゼファーが訊ねる。ガヴィは「……頭冷やしてくる」と告げると部屋からノロノロと出て行った。
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