ソーダ生産、おいしいなぁ

なりた供物

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美味しいもんは美味しいんだよ。それなのに誰もわかっちゃくれない。


自分自身が価値を決めたい。国民のほぼ全てがドブに捨てるようなゴミでも、僕が笑顔になれるようなものだってあるんだよ。

子供の目に毒だといって規制された表現だって、反面教師というか、そんな感じで役に立つ事だってあるだろう。そういう感じで?僕は少しだけ着眼点が違うだけなんだと、言い聞かせながら生きてきた。


生産したソーダ。美味しいなぁ。


どう足掻いたってクソみたいな人生は残念ながら存在して、それでも這いつくばって笑顔でいるワンシーンを切り取りながら、それを生きる糧にしているのに、その切り取ったワンシーンを見た人間が「彼なりに幸せに生きてるじゃ無いか」とか無責任に言うんだよ。

いくら自問自答を繰り返したって欠如した感性を手に入れる事はできないし、自らに芽生えた人格を完全にリセットする事はできないのに、あの人格は要らないと、自我が異常にでしゃばってくるんだよ。


借金清算した、良かったよぉ。


どうにか頑張って夢の1つを頑張って叶えたのに、叶えた後に最初に聴いた言葉が「あの人は何回も偉いことをしている」だったんだよ。自分を生かし続けているだけで偉いことと言って欲しかったし、自分自身を認めて欲しくて頑張ってきたのに、それはどうやっても無理だと実感した瞬間に夢とか将来とかどうでもよくなっちゃったんだよ。

最終的に「誰かの特別になりたい」という夢が産まれたけれど、自分の特別になって欲しい人間には"憧れ"、"ビジョン"、何よりも"才能と努力"があったんだよ。それ自体は素晴らしいことだし自分も見習いたいことなんだけど、なるべく努力せずに生きていこうぜと悪魔がずっと囁いてくるんだよ。その言葉がずっと痛くて痛くて堪らないんだよ。


中学生とは違う凄惨な姿、同級生が見たら笑うだろうな。


そんな僕が最終的に辿り着いた境地は、「苦しみながらも、精一杯生きる」というモノだったけれど、そんなのは他人の天秤で量れば「当たり前」なんだよ。だからずっと「もっと頑張れ」と叱責され続けているけれど、何も言えないんだよ。生きている最低限の所得で、ずっと苦しいけれど、今を変える能力すらないんだよ。幸せに生きるのはもう諦めたけれど、それでも、それでも、それでも、それでも、


精一杯生きたことを、誰かに肯定されたかった。


青酸

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ソーダ生産、おいしいなぁ なりた供物 @naritakumotsu

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