第34話 糸口探り2

 政弥の部屋から出て、デートへ出かける椿と牛鬼を見送った。

 己の部屋に入り、窓を開けて。手を繋いで歩く少女と青年の後ろ姿を眺めながら、咥えた煙草に火を付ける。

 口から息を吸い込んで、甘い香りのする煙を吐き出した。

 白い煙の向こう側。ちょうど角を曲がったのか、二人の背中が、煙と共に消えている。

 ため息を吐く準備のように煙草を吸い、深く大きく煙を吐き出しながら、渚は考える。

 本当に、どうしたものかと。


 渚の祖父は保護司という、犯罪や非行した人の社会復帰を手助けするボランティアをやっていた。

 保護司の活動以外でも街中に目を配っていた祖父が、渋谷の街を一人で徘徊していた小学五年生の政弥を見つけて、家に連れてきたのだ。政弥とはそこからの付き合いで、政弥の他にも、いろいろな人間の人生を、祖父を通じて垣間見てきた。

 更生できた人、できなかった人、連絡が途絶えたまま見つからなくなってしまった人など、迎えた結末も十人十色。

 渚は祖父のようにはなれないし、なるつもりもない。

 渚は、己が与えられた環境が恵まれていることを自覚していた。実父とは絶縁状態だが、シングルマザーになった母はキャリアウーマンで海外を飛び回っていて、渚は自分の意志で、祖父母との生活を選んだ。

 祖父母は優しい人達で、家は裕福。

 煙草を覚えたのは、大人になってからだった。一般的な人よりも犯罪者が近い環境ではあったが、渚自身が法を犯したことはない。

 祖父も渚を関わらせないよう気を配っていたし、元々渚は、他人に踏み込むことが苦手だ。というよりも、興味がない。

 政弥は、ただ単に気が合って。気付けば親友になっていた。政弥の兄と共にいたスキンヘッドにサングラスのヤクザである一夜は学生時代に後輩だったが、特に世話した覚えもない。


 祖父だったら、椿と牛鬼をどう導くだろうと、考えてみる。

 だが、答えは見つからない。

 さすがに神や妖怪なんてものを相手にしたことは、祖父もなかっただろう。

 椿一人であれば、これまで見聞きしてきた中から導き出せる答えはあるが、そこに牛鬼が絡むとなると途端に難しくなる。

 椿を人間として独り立ちさせてしまえば、牛鬼は役目を終えて、消えてしまうのだろう。

 そうなれば、恐らく椿は、後を追う。

 その結果は渚としても後味が悪過ぎる。


 ワックスで固める前の髪をぐしゃりと握り込んで、窓枠に置いた左腕に顔を伏せた。

 火の付いた煙草は右手で持ったまま。

 バニラのような香りが、風に乗る。


 為す術なく、待つことしかできない現状。


 手に取ったスマートフォンを操作しながら、甘い香りにもかかわらず苦みのある煙草の煙を味わった。




   ***




 時間貸し駐車場にあったカーシェアの乗用車を走らせる。

 医者のほうは、病院名から引っかかった情報で顔と名前までは判明した。ただ、コンタクトを取る方法については作戦を練る必要がありそうだ。

 今向かっているのは、母が約束を取り付けてくれた寺。

 電車で行くには不便な場所だったため、車を借りて、向かっている。


 太陽が中点を過ぎ、だいぶ傾いた頃、目的地に着いた。

 参拝者用の駐車場に車を停めて、広がる景色を眺めながら息を吐く。観光客が来るような有名な場所ではなく拝観料も掛からないことから、檀家に支えられ成り立っている寺なのだろうことがうかがえる。

 煙草の代わりにミントタブレットを取り出して、口へと放り込んだ。ガリゴリと咀嚼しながら、歩を進める。

 神社仏閣とは縁が無いから、作法なども知らない。

 母から言われた場所に向かって、そこに居た初老の女性に声を掛けると、靴を脱いで上がるよう促された。座敷へと案内され、腰を下ろして待つ。

 少しして現れたのは、高齢者と表す年齢に見える一人の僧侶だった。

 挨拶を交わしてからわかったことだが、どうやら政弥の母とは昔馴染みらしい。


「若い頃、あなたのお母さんもね、普通は視えないものが視えることを思い悩んで訪ねて来られたんですよ」


 怯えたりなど気にする素振りを見せたことがないため、母にも悩んだ時期があるとは、政弥は知らなかった。

 あの人も人の子だったのかと、本人には言えない感想を脳裏で呟く。


「視えるものを視えなくするなんてことはできないですがね、意識の外へ追いやる方法をお教えしました」


 部屋の外から声が掛かり、温かな緑茶が出された。

 この部屋まで案内してくれた女性だ。建物の中には、他に人の気配は感じない。


「妖怪について、詳しいのでしょうか」


 礼を告げて湯呑みを手に取り、一口すすってから、切り出した。

 神については、聞くべき場所ではないだろうと判断する。


「あやかし、魔物、物の怪、悪い神霊などと様々な呼び名がありますが、視えない人よりか多少は知識があるかと思います」

「それなら、妖怪がヒトになる方法なんてものをご存じだったりしませんか」


 いきなり過ぎただろうかと、政弥は僧侶の顔色を窺った。常に淡く微笑んでいる僧侶の表情は、読みづらい。


「あやかしがヒトに……ですか」


 はっきり言葉にされずとも、答えはわかった。

 そこまで大きな期待を抱いていたわけではないが、落胆が表情に出てしまったようで、それを見て取った僧侶が苦笑を浮かべながら言葉を続ける。


「妖怪とは、本来は現象のこと。怪異に姿形を付与したものが妖怪です。今風に言えば、キャラクターですかね。現象がヒトに為るというのは、有り得ないとは思いませんか?」

「それでも何か……可能性を、探しています」


 思考を読もうとするかのように、僧侶は政弥の目を覗き込む。

 政弥は、その視線を静かに受け止めた。


「友人を、引き止めたいんです」


 言葉にしてみて、実感する。

 椿のためというよりも、これは政弥の自己満足なのだ。

 政弥が、牛鬼を引き止めたい。

 友人として、牛鬼をもっと理解したい。


「ご友人ですか……そうですか……」


 頭と同じく、きれいに剃られた顎を撫でながら僧侶は呟く。


滋岳しげおかという、古い一族がおります」


 おもむろに、僧侶が切り出した。


「もしかすると彼らなら、何らかの知恵を持っているかもしれません」


 ただ、と僧侶は付け足す。


「一般の方からの依頼を受けていないとも聞きます。話を聞いてもらうこと自体が、至難の業かもしれません」

「しげおか……」


 その姓は、政弥の記憶に引っ掛かった。

 つい最近、聞いたばかりだと思い至る。

 慌ててスマートフォンを取り出して、僧侶に、ある画面を見せた。


「この人は、関係ありますか?」


 画面に映し出したのは、成人男性の顔と名前。


滋岳勝重しげおかかつしげ。医者ですが、同じ名字で、視える人間みたいなんです」


 しばし画面を眺めてから、僧侶は政弥へと視線を戻した。


「可能性は、あるように思えます。私は、その一族と関わったことはないのですが、噂は耳にします。手広くいろいろと、やられているようですよ」


 どちらにしろ医者には会う予定ではいたが、期待値が跳ね上がる。

 早々に滋岳勝重しげおかかつしげという名の医者とコンタクトを取らなければならないと、政弥は次の行動を決めた。

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化物落ツバキ よろず @yorozu_462

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