第32話 糸口探り

 政弥の母は、電子機器が苦手だ。

 スマートフォンどころか、携帯電話すら持っていない。というよりも法律上、契約ができない。だが本人も機械を通して話す行為を嫌っているため、たとえ契約できる状態であったとしても持つことはないのかもしれない。

 彼女に用事がある場合には直接会うしかないのだが、政弥は、母が苦手だった。

 家を出てから、両親とは一度も顔を合わせていない。


 親と距離を取るようになったのは、なぜだったか。


 実家への道すがら、政弥は考える。

 学生時代の進路相談を含め、政弥の相談相手は兄の彬だった。

 両親が学校の行事に来てくれたことはない。というよりも、来られなかったのだろうと、今ならわかる。

 家の中で政弥たち兄弟の世話をしてくれたのは組の人間だった。

 渚と出会ってからは、渚が祖父と共に暮らしていた家に入り浸っていた。渚の祖父のことは「じいさん」と呼び、己の祖父母や両親よりも慕っていた。

 母とは顔を合わせれば普通に会話はしたが、忙しい人だったから、一般的な家庭よりも接点は少なかったかもしれない。かと言って、赤の他人ほどの距離があるわけではなく。己の親であるという認識はしているし、嫌い合っているわけではない。

 思春期には、父とは顔を合わせれば喧嘩になったが、憎しみといえるほどの強い感情を抱いているわけではなかった。

 大人になった今、思うのは、両親は意図的に距離を取ることで、子どもたちを守っていたのではないかということ。そもそも産まなければよかったのではないかとも思うのだが、政弥と兄が産まれてしまった現状を変えることはできないために、その部分については疾うの昔に諦めている。

 事実がどうであれ、直接二人の考えや想いを聞くつもりは、政弥にはないのだ。

 結論としてたどり着くのは、いつも同じ場所。

 家の仕事が問題で、だがその環境ではなかったとして、自分がどうなったのかはわからない。



 至る所に監視カメラが取り付けられた、塀に囲まれた日本家屋。木製の立派な門は歴史を感じさせる風合いで、塀の外側からでも古い蔵があるのが見て取れる。

 この辺り一帯の地主の家というような様相のそこへたどり着き、政弥は小さく、息を吐いた。

 こんなに短期間に二度も実家の門を潜るのは、自立して以降、初めてだ。

 常に人がいるため、玄関の鍵は開いている。

 この家へ泥棒に入る人間は、世の中を知らない命知らずだけだろう。そういう輩は一度入れば出られない。ここは、そういう場所だ。

 玄関の引き戸を開けるとすぐに顔を出した若者に母の所在を尋ねれば、家の奥へと案内された。兄が話を通しておいてくれたようだ。

 前回は、門を潜ると早々に兄嫁の佳乃に捕まった。

 古くて軋む廊下を進んだ先。

 世間一般ではガラが悪いと言われるのだろう若者が中に声を掛け開けてくれた襖の向こうの広間には、母だけでなく、父もいた。


「……久しぶり」


 なんとなく緊張して、固い声が出る。

 元気そうだなと父から言われ、「そっちも」と短く応えた。

 母からは旅行の土産の菓子を勧められ、案内してくれたのとは別の人間が、茶の支度を整えてくれる。

 親子三人だけになった部屋の中、母が楽しそうに旅行の土産話を聞かせてくれた。


「それで? 彬からは、節子に相談したいことがあると聞いた」


 茶を一杯飲み終わる頃合い。母の話が一段落したタイミングで、父が政弥に用向きを尋ねる。


「あー……あのさ。神とか、妖怪とか鬼だとか、そういうのに詳しい知り合い、いねぇか? 本物の霊能者とか、そういうのを知ってたら紹介してほしくて」


 両親の顔色に変化はない。

 政弥と兄が、普通の人間には視えないものを視たり感じたりするのは、身内では周知の事実。遺伝元である母自身もそういう体験はしているため、特段、驚くことではないのだろう。


「いくつか心当たりはあるわね」


 母が、記憶をたどる表情をしながら告げた。


「お寺さんとか、あとは……少し前に、お医者さんで」

「医者?」


 想定外の職業だったため、思わず聞き返してしまった。

 母曰く、父が通う病院の主治医が明らかに視えていて、そのうえ、祓える人間のようだということらしい。


「こうね……ふっと、手で払ったのよ。患者さんに憑いていた黒いもやもやを、意図的に」


 恐らく、それは患者の体調不良の原因となっていたのではないかと、母は言う。


「あの黒いもやもやって、なんだか気持ちが悪いじゃない? 絶対、触ったらだめよって、二人にも言っていたでしょう」

「俺は、それをはっきり視えるわけじゃない。けど、母さんが指差した場所に嫌な感じがするのは、わかってた」


 政弥が母を苦手とする要因は、これだろうと思い至る。

 母は政弥よりも、そういった力が強い。そのせいか、母が近くにいると、増えるのだ。

 視えるはずのないものが視える機会、感じる機会が。

 それは決して心地良いものではないため、政弥は自然と、母のそばに寄り付かなくなったのかもしれない。


「それはそうと」


 寺の場所と連絡先、祓えるらしき医者がいる病院の場所を聞いた。そのあとで、母が切り出す。


「若い女の子、囲い込んでるらしいじゃない」

「ちょっと事情があって、預かってるだけだ」

「男の子もいるって聞いたけど、狭いんじゃない?」

「いや……問題ない」


 そこまで応えて、思い至る。


「今度、連れてくる」


 椿の人脈を広げる目的にしては、この家の人間は適さないだろうことはわかっている。だが、いざという時に頼れそうな場所は、多いに越したことはないだろう。

 彼女の将来を考えれば関わるべきではない、この場所。だけどもしかしたら、政弥と出会わなければ堕ちていたかもしれない場所でもある。それならば万が一に備え、少しでも待遇が良くなるよう取り計らっても悪いことではない。

 牛鬼が心配している事柄以外でも、人間の中でも堕ちてしまう最悪な場所は、あるのだから。

 

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