第27話 痴情のもつれと邪気祓い1

 あの後すぐに顔を出した渚も共に昼食の蕎麦を食べつつ、政弥は依頼についての話をした。


「その依頼人って、呪われるような何をしたんだろうね?」


 からりと揚がったさつまいもの天ぷらにかぶり付きながら、渚が呆れた様子で呟く。

 呪いを掛けられるなんていう出来事は早々起きないものだが、実際起こってしまったのなら、相当、大きな恨みを買ったのだろうと想像できる。


「本人が言うには、一夜を共にしただけの相手らしい。それがストーカーになって自分を呪ったんだと言ってたな」

「あー……。相手の女性にとっては、一夜だけのつもりじゃなかったパターンかなぁ」


 そこまで話して、二人同時に椿の存在を思い出し、視線を向けた。

 彼女は未成年だ。こういった話を聞かせるべきではないかもしれないと、今更ながらに思い至った。

 内心で焦っている二人の視線の先では、特に動揺した様子もなく、椿が蕎麦をすすっている。


「若い女の子の前でする話じゃないよねー」


 苦笑を浮かべた渚の発言に、首を横に振ったのは、椿本人。


「気にしないでください。慣れているので」


 一体、何に慣れているというのか。気になったが、聞くことは躊躇われる。

 だが保護者的立場にいる者として、政弥は追及することを選択した。


「慣れてるって、何を指して言ってるんだ?」

「大人たちの話は、聞き慣れています」


 返ってきた答えは更によくわからないもので、どうしたものかと困った政弥は頬を掻く。そんな政弥に救いの手を差し伸べたのは、青年の姿のまま天ぷら蕎麦を食べている牛鬼だった。


「慣れてるゆうても、聞いてて気持ちのえぇ話やないやろ。ここは、あの家やない。聞きたない話は聞きたないって、主張してもえぇんやで」


 箸を置き、牛鬼は椿の頭に手を伸ばす。

 ぽんぽんと軽く撫でると、すぐにその手は離れ、牛鬼は再び箸を持った。

 椿の隣に並んで座っている牛鬼は気付かなかったようだが、二人の向かい側にいる政弥と渚は、気付いてしまった。

 牛鬼の手が頭に触れた瞬間、染まった頬。

 彼に触れられたことを喜ぶ乙女の顔を、椿がしていたことに。

 青春の甘酸っぱさが漂う正面の様子を眺めつつ、アラサー男の政弥は思考する。

 牛鬼の言った「あの家」とは椿の実家のことで、そこでは、どうやら椿はいないものとして扱われていたのだろうということが察せられた。だから彼女は、大人の話を聞き慣れているのだ。普通なら聞かせられないと考えて、子供の前ではしないような話でも、椿の実家では気にせず彼女の前で話されていたのだろう。

 その事実に思い至ると、無性に腹立たしくなった。

 そんな環境で育った椿が今のようによくできた娘に育ったのはきっと、牛鬼と椿の間で頻繁に話題に上る鶴子という女性のおかげなのだろう。


「そういえばさ、うしくんは、どうしてヒトの姿なの?」


 話題の転換を試みようとしたのだろう渚が、目の前に座る牛鬼の姿の理由を問うた。

 だが残念ながら、それは先ほどの話に繋がっている。


「政弥が妙なもん付けて帰って来よったからなぁ。祓うのには、この姿が都合良かったんや。それに、こっちのが飯も食いやすいしな」


 渚が顔を出したときには既に牛鬼はヒトの姿だったが、ちょうど昼食が出来上がったため、質問は後回しにしていたのだ。


「変なもの?」


 牛鬼の発言に、渚が首を捻る。

 台所にいた椿も何があったのかを知らないため、彼女も耳を傾けている様子だ。

 政弥はというと、先ほどの光景が脳裏を過り、ひっそり鳥肌を立てている。


「依頼人の男に纏わり付いとったっていう念の残滓や。……あの感じからすると、術者はもう死んどるかもしれんのぉ」

「ちょっと待て。どういうことだ?」


 のんびりとした口調で、一人食事を続ける牛鬼。だが他の三人は、牛鬼の発言のせいで食事の手を止めた。


「あの残滓からは死霊の気配がしたからのぅ。術者が生者なら、政弥に恨みの念をべったり張り付けるのは難儀なこった。依頼人と政弥が会うのを、そばで見とったんやろうなぁ」


 政弥が依頼人と会ったのは、先方が指定してきたホテルのラウンジだった。その時のことを思い浮かべ、周りにそれっぽい人物はいなかったはずだと政弥は唸る。

 生きている人間ならともかく、死者ならきっと、何らかの気配を感じたはずなのだ。

 そこまで考えて、政弥は、ある事を思い出した。


「……手、肩に、あったな」


 依頼人に纏わりついていた、どす黒い空気に気を取られて失念していた。それに、あの手は呪いの一部だろうと思ったのだ。


「うわぁ……。昼間から怖い話とか勘弁してくれる? 椿ちゃん、大丈夫?」


 己の腕をさすりながら、渚が唸った。渚に気遣われた椿は平気だと答えたが、置いた箸を再び取ろうとする気配がない。どうやら食欲を失ってしまったようだ。


「すまん。だが待て。そうなると、やっぱり俺の専門外の依頼じゃねぇか。死者相手に、どうやって解決するんだよ。しかも呪いって、解けるのか?」


 この話題を打ち切ってやりたいのはやまやまだが、ここでやめてしまうと、政弥自身が困った状況に陥ってしまう。

 縋るような気持ちで、政弥は牛鬼へ視線を向ける。

 両手でどんぶりを持ち、汁まできれいに飲み干した牛鬼は満足そうな吐息を漏らし、椿へ食事の礼を告げた。満腹を示すように腹をさすり、ソファの背凭れへと寄り掛かる。


「呪いは、へたに手ぇ出すともらうことになるから気ぃ付けんと。そんでもってなぁ」


 何でもない世間話のような口調で、牛鬼は告げた。


「その男、呪い殺されるのは時間の問題やと思うで」



   ***



 夜の帳が下り、BARカメリアが賑わい始める時間帯。

 政弥は、ヒトの姿の牛鬼を連れて街を歩いていた。椿からの許可はあっさり取れ、牛鬼自身も協力的で、彼曰く「自身の願いに対する対価」らしい。だから祟りの心配もないと言われ、政弥は胸を撫で下ろした。

 問題は依頼を完遂できるかなのだが……頼みの綱である牛鬼自身が任せておけと言っていたために、信用するしかない。

 依頼人とは、昼食後すぐに連絡を取った。

 相手の仕事が終わる時間に合わせ、再度、話をする約束を取り付けた。

 昼でも夜でも関わりたくない事柄には違いないが、夜は特に勘弁してもらいたいと思っても、依頼人の命が掛かっている状況で悠長なことは言っていられない。


「会えば、わかるもんなのか?」


 道すがら聞いてみれば、牛鬼はのんびりした様子で首を傾げる。


「多分な」


 何とも頼りない救世主である。

 政弥の心境を表情から読み取ったのか、牛鬼は苦く笑いながら言葉を続けた。


「長いこと引きこもっとって、庭の社の中から出て来たのは最近なんや。災いを寄せ付けんよう守っとった家では当然、そういった問題もなかったからなぁ。経験ないことは、ワイもよぉ知らん。でもまぁ、きっと大丈夫や。任せとき」


 待ち合わせ場所は、新宿駅西口交番前。依頼人の職場が近くにあるらしい。

 約束の五分前に着いた二人は、行き交う人の邪魔にならない場所へ立って待つことにした。


「せかせか動いて、この人らは何処へ行くんかねぇ」


 隣に立つ牛鬼の声を拾い、政弥は視線を向ける。その顔には淡い笑みが浮かんでいて、どうやら、ただの世間話のようだ。


「それぞれ、目的地があるんだろうよ」

「それにしてもなぁ、みんな早歩きやんなぁ?」

「そりゃぁ、波に乗らないと互いにぶつかるからな」

「人は、大きな流れに逆らえんもんな」

「……どうした、急に」

「何となぁくな。東京来てから、ずっと思っとった。ここは人が多くて紛れるには適しとるが……多過ぎて、寂しなる場所やなぁ」


 牛鬼の視線を追い、人の流れを眺めてみる。

 政弥にとっては見慣れた光景が、そこにあった。

 東京では、特に駅の周りでは、人の波に乗らなければ他人の邪魔になる。だから皆、己の目的地へ向かって真っ直ぐ歩いていく。流れを読み、すれ違う他人が進むだろう方向を予測し、ぶつからないように歩いていく。でなければ流れに飲まれ、進めなくなってしまうからだ。

 それが日常である政弥にとっては、特に何とも感じない普段の光景。確かに少し疲れはするが、寂しいなどと感じたことはない。


「お前にとって、東京は寂しいか?」


 政弥の問いに、牛鬼は微かに首を傾けた。


「寂しいっつぅか……何なんやろうな?」

「そんなん、聞かれたって俺にはわからねぇよ」

「そぉか」


 行き交う人々。

 皆、それぞれに己の日常があり、それぞれ、進んでいく。


「椿には、いい変化を与える土地になりそうやけどなぁ」


 柔らかな声音で告げた牛鬼は腕を組み、行き交う人々を眺めている。


「やっぱりお前、寂しいんだろう」


 確信はないが、政弥にはそう感じられた。

 その寂しさがどこから来るのかという、はっきりしたことまではわからないが、恐らく、大切にしている少女が他人と関わるようになり独り立ちしていく様を想像して、寂しがっているのかもしれない。

 それは、子の成長を見守る親のような心境だろうか。


「椿とずっと、一緒にいたいんだろう?」


 認めてしまえと、思った。


「それはなぁ……望んじゃいけない願いなんや」


 どうしてと問い詰める前に、組まれていた牛鬼の腕が解かれて、姿勢が正された。

 「あぁ。あれか」と動いた唇の動きを読み、政弥は牛鬼の視線を追って、人の流れへと目を向ける。

 そして、不快感に顔をしかめた。

 多くの人の波の向こう側に、黒い靄。

 それが、こちらへ向かって歩いてくる。

 離れているというのに、匂いも感じた。何とも形容しがたい悪臭だ。

 昼間会ったときよりも質が悪くなってしまったらしいナニかに憑かれた依頼人が、こちらへ歩いてくる。顔色も、更に悪くなっているようだ。


「どうも、解消屋さん」


 声を掛けられ、政弥は我に返って頭を下げる。


「お呼び立てして、すみません」

「いえいえ。早く解決するなら、それに越したことはありません。……そちらは?」

「友人です。彼なら役に立てるかもしれません」

「それは助かります! お若いようですが、霊能者の方ですか?」


 そのようなものですと答えを返し、政弥と依頼人は、牛鬼へと視線を移した。

 視線を受けた牛鬼は、無言のまま目礼する。

 いつもと違って大人びた態度だなと、政弥は心の中で感想を抱く。意外ではないが、見慣れない。


「……相手の女性とは、連絡は取れましたか?」


 政弥が牛鬼へ向けた視線には「何かわかったか」を問う意味も含まれていたのだが、牛鬼からの反応がなかったために話を進めることにした。

 昼間、電話したとき、牛鬼の指示で相手の女性に連絡を取ってもらうよう頼んでいたのだ。相手が死んでしまっているのなら当然、連絡など取れないだろう。


「取りました。どうせなら話しをしようと、これから彼女の部屋に行きます。一緒に来てくれますか?」


 少し驚きながらも政弥は、もちろん共に行くと答えた。どうやら女性は生きているらしい。


「政弥」


 依頼人について歩きだそうとしていた政弥は、呼ばれて振り返る。

 その目の前に、ぬっと拳が差し出された。


「これ、持っとき」


 条件反射で右手を出せば、ひらり落とされた、一枚の葉。


「……何の葉っぱだ?」

「ツバキの葉や。渚の店先から千切ってきた。魔除けになる」

「魔除けって」


 政弥の言葉を最後まで聞かず、牛鬼は依頼人を追って足を踏み出した。それにならって歩き始めようとした政弥の耳に届いたのは、信じがたい言葉。


「やっぱり死んどるわ」

「……行くの、止めるべきじゃないのか?」

「一方的に祓うのも、なんやかわいそうやん? 相手の縄張り行って、言い分でも聞いてやろか思てな」

「危なくないのか?」

「せやから渡したんやろう、魔除けの葉っぱ」


 長い夜に、なりそうだ。

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