第26話 専門外に救世主
何故こんな事に巻き込まれたのだと、自答する。
今、目の前にいるのは政弥が個人的に営んでいるトラブル解消屋のほうの客なのだが、明らかにこのトラブルは専門外だと、政弥は結論付けた。
自分では役に立てない類のトラブルだ。
専門家を勧めようにも、そんな知り合いはおらず。自分もプライベートで探している最中。
「あの……やっぱり俺、憑かれてますかね?」
そのようですねと言うのは簡単だ。目の前にいる男の首に巻きつく黒い影と、肩に置かれた女の手。政弥には、それがはっきり視えているが、視えるだけで何も出来ない。
無責任に「そうですね」なんて言ってしまえば、次に来る言葉はきっと、「何とかしてください」なのだろう。
専門外の政弥に、何とか出来るはずがない。
「……申し訳ないですが、そういったトラブルは専門外です」
この客に会う前、紹介者に対しても同じことを告げた。告げたのだが、一度会ってほしいと、霊視的なものをしてくれるだけでいいのだと押し切られたのだ。実の兄に。
事の発端は、実家へ顔を出したことだった。
政弥と、兄の彬が持つ霊感的なものの根源が母方の家系にあると知っていたから、牛鬼と椿の問題に対する解決の糸口を探すため、母を訪ねたのだ。だがタイミングが悪かったらしく母は不在で、政弥の応対をしてくれたのは、兄嫁の佳乃だった。
「あら。あらあらあら、まぁくん! ここに顔を出すなんて珍しいわねぇ?」
兄嫁は政弥の一つ下。おっとり温和な彼女が、政弥は昔から苦手だ。
「この前は、たいちゃんがお世話になっちゃってごめんなさいね。お兄ちゃんとお姉ちゃんに遊んでもらったんだって、喜んでたわぁ」
佳乃はひどくマイペースな女性で、政弥に口を挟む隙を与えず当然のように茶の支度を始めてしまう。
「彬さんとお義父さんのお仕事の話って、とってもデリケートなことじゃない? 私も、どう伝えるべきか、ずっと悩んでたのよね。お義母さんにも相談して、まぁくんたちの時はどうだったのか伺ったんだけど、何とかなるなんて仰って全く参考にならないんですもの。でも、まぁくんの所から戻ってきたたいちゃん、何だか少し大人になっちゃって。母としては少し寂しいかしら……なぁんて」
「義姉さん」
目の前に湯飲みが差し出されたタイミングで、何とか声を発することが出来た。
「やだぁ、義姉さんなんて他人行儀な。昔みたいに呼び捨てでいいのにぃ」
だが、話が違う方向へ持っていかれそうになる。
「兄貴が妬くでしょう。俺は、まだ死にたくない。そんな事より母さんは?」
再び話が逸れてしまう前に、本題を切り出した。
それでわかったのは母が不在であることだけで、どこに行ったかを佳乃は知らないらしい。
「夜には帰って来るんじゃないかしら?」
片付けねばならない依頼は特にない日で、バーのほうも、そこまで人手を必要とする曜日ではない。
だから母が戻るまで待つことにしたのが、失敗だった。
止まらない佳乃のおしゃべりを延々と聞かされ、姪の幼稚園のお迎えに駆り出され、小学校から帰って来た甥には、牛鬼と椿が共にいないことをがっかりされて傷付いた。
そうして実家での時を過ごしていると帰って来たのは兄の彬で、ちょうどよかったという言葉と共に、酒に誘われた。
その時点で、嫌な予感はしていたのだ。
「お前、俺と違って視えるだろう?」
数杯の酒を酌み交わしたところで、彬がおもむろに切り出した。それがどうしたと返せば、祓うことは出来ないのかと問われる。
「そういうのは、母さんのほうが詳しいんじゃないか?」
母方の祖母が、視える人間だったはずだ。だから政弥は、母を訪ねて実家へ顔を出したのだ。母なら何か知っているのではないかという淡い期待と、そういう事に詳しい誰かを紹介してもらえないだろうかという望みを持って。
「あの人に頼むと高く付く」
「俺は安いのか」
「弟だろう」
「だから何だ」
視えるだけで祓えない。そう言って一度は断ったが、昔から兄に弱い政弥は、押し切られてしまう。
知り合いが困っているようだから、とりあえず会って視てやってくれ。ただの病気か、そういったものなのかくらいはわかるだろうと言いながら彬は、その場で相手と連絡を取り、会う日時を勝手に決めてしまった。
そしてなお悪いことに、一連の出来事が終わってから彬に母の行方を聞くと、父と二人で旅行へ出掛けていて二、三日は戻らないという答えが返ってきた。
そうやって舞い込んだ厄介事。
依頼主は彬の仕事関係の人間で、どうやら彬は、恩を売りたいらしい。
だからといって専門外の自分に何が出来るのかというと、何も出来るわけがないだろうと政弥は、心の中で兄へツッコミを入れた。これまで、視えるからこそ、こういった類のことは避けて生きてきたのだ。対処法など知るはずがない。
「男か女かだけ、教えてください」
どうやら依頼人は相当、参っているようだ。
彼を取り巻くどす黒い念のようなものに気を取られていて気付かなかったが、顔色がかなり悪い。憑いているものの性別を聞くということは、心当たりもあるようだ。
「……女性、みたいですね」
素人の手に負えないことは一目瞭然で。視えるだけの人間が関わるべきではないとわかってはいるが……霊視のようなことだけでもいいと言われたのだ。依頼人にも、専門外だから祓ったりは出来ないと伝えてある。それなら性別を教えるくらいは、してやってもいいのではないかと考えてしまった。
「女か……やっぱりあの女っ! 俺を呪いやがったんだ!」
それまで物静かだった相手の豹変に内心で驚きはしたが、仕事柄そういったことに慣れているため、政弥は落ち着いてそれを眺める。
「呪った相手の見当は付いているんです。だから、ここからはあなたの専門でしょう? 生きている男女のトラブル、解消してくださいませんか」
なるほどやられたと、この時になってようやく政弥は、兄の意図に気が付いた。
*
家路を急ぎながら、政弥は大きな溜息を吐き出した。
専門外なら角を立てずに断ることが出来たのだが、どうやら完全な専門外の依頼ではないようなのが厄介だ。してやられたとは、この事か。
しかも兄の仕事に関わる相手なら、へたを打てば、己が兄に殺されかねない。殺されるというのは言い過ぎだろうが、相応の報復を覚悟しなければならないはずだ。
あの時、実家へ顔を出さなければ。
母の不在を聞いた時点で、後日改めることにして帰っていれば……。
後悔しても、もう遅い。
もう一つ大きな溜息を吐き出してから、政弥は依頼の解決方法について頭を巡らせる。
断れない依頼なら、完遂するための努力をしなければならない。
だが今回の場合、相手の女は呪術を使い、それは成功して呪いという形で依頼人に纏わりついてしまっている。もし女が呪術に詳しいわけではない、ただの素人で、たまたまその呪いが成功してしまったのだとしたら、解呪はどうすればいいのだろうか。
呪いを掛けた女自身、解く方法を知らない可能性は高い。
そうなれば、二人の間のトラブルを解決したとしても、依頼人の悩みは解消出来ないだろう。
「やっぱり、そういった事に詳しい専門家も探さねぇと」
歩きながらスマートフォンを取り出し、インターネットで検索してみる。だが胡散臭いものしか見つからない。そもそも本物と偽物の区別すら、政弥には付かないのだ。
更に一つ大きな溜息を吐き出してから階段を上がり、自室の鍵を開けて中に入る。
「政弥さん、おかえりなさい」
政弥の帰宅に気付いた椿に迎えられ、無意識の内に、ほっと息を吐き出した。こうして出迎えられるのは悪くないなと、政弥は思う。
実家を訪ねたのが昨日のことで、兄が先方と約束を取り付けたのが今日の午前九時。椿が用意すると言っていた昼食に間に合いたくて急いで帰って来たが、作っている途中だったようだ。椿のお気に入りらしい牛柄のエプロン姿が、愛らしい。
「昨夜、渚さんのお店のお客さんが、さつまいもをたくさんくださったんです。うし様が天ぷらを食べたいと言うので、お昼は天ぷら蕎麦にしようと思っているんですけど、いいですか?」
「構わない」
和食好きの政弥は蕎麦も天ぷらも好物で、天ぷらの中でも、さつまいもの天ぷらが一番好きなのだ。急いで帰って来てよかったと顔を綻ばせながら、黒革のソファへ、どさりと腰を下ろした。
どうやら渚を招いているらしく、そろそろ顔を出すはずだと椿が言うから、今回の依頼について渚に相談してみようかと思考を巡らせる。
「おい、お前。何を連れて来た」
いつの間に移動したのか、椿の頭上に張り付いていたはずの牛鬼が目の前のローテーブルの上にいて、ぬいぐるみの口から発せられた言葉のせいで背筋に冷たいものが走る。
「……何って、なんだ?」
先ほどまで会っていた依頼人のことを思い出す。
だが、触れてはいない。
触れていなくても同じ空間にいただけで移るものなのか? そもそも呪いというのは、対象者以外に影響があるものなのだろうか?
内心では激しく動揺しながら、政弥は牛鬼からの返答を待つ。
「どす黒い念の欠片や。こんなもん、持って帰って来るな」
そう言いながら黒髪の青年へと姿を変えた牛鬼が、政弥の肩に手を伸ばして何かを片手につかんだ。その手に髪の束が握られているのを見て取り、全身の毛穴から、ぶわりと冷たい汗が噴き出すのを感じる。
得体の知れないものへの恐怖で凍りついてしまった政弥の視線の先では、窓を開けた牛鬼が握りこんだ手を外へと突き出し、力強い一息で髪の毛を吹き飛ばす。
はらりと舞った長い髪は、霧散して、消えた。
「そういえばお前、神様なんだよな……」
政弥の発言を聞きとがめ、柘榴の果肉によく似た瞳を持つ青年が顔をしかめる。
「だからなんや」
「呪いとかには、詳しいのか?」
「詳しくはないが、祓うのは出来る。なんや、どっかの姉ちゃんに呪われでもしたんか?」
専門家ではないかもしれないが、こんな近くに頼もしい存在がいたことに、なぜ気付かなかったのか。
政弥にとって牛鬼は、しゃべる妙なぬいぐるみという認識だけだったのかもしれないと、今更ながらに自覚した。
「頼みがある」
ソファの上で姿勢を正し、政弥は青年に向かって勢い良く頭を下げる。
解決の糸口は見つけた。あとは牛鬼が助けてくれるかと、椿が牛鬼を貸してくれるかどうかが問題だ。
それと、願いの代償らしい祟りについても詳しく聞かなくてはならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます