第23話 終始

 改めて紹介され、椿と牛鬼は並んで、スーツ姿の男二人と挨拶を交わした。

 強面スキンヘッド、名を改め佐原さはら一夜いちやは、政弥の中学からの友人で同級生。渚とも面識があるらしい。


「一夜くんはね、サングラスを外すと普通のお兄さんになっちゃうの。だから夜でもお部屋の中でも外せないんだって。威厳がなくなっちゃうんだよ」


 許してあげてねと大貴が無邪気に笑って、彼のアイアンメイデンことサングラスについて、椿と牛鬼に教えてくれた。


「百聞は一見にしかず」


 色気のある低音が呟いたと同時、大貴の父親が素早く一夜の顔から彼のアイアンメイデンを奪った。なるほど、アイアンメイデンを奪われた一夜はただのサラリーマンにしか見えない。とても優しい瞳をしている。


「カシラぁ、返してくださいよ。恥ずかしいっす」


 目元を赤く染めて照れている一夜は、かわいい男だ。声もあまり低くなく、どちらかというと高いため、サングラスをした姿よりも外しているほうがしっくりとくる。身長は渚と同じか少し低いぐらい。大貴の父親と並べば小さく見えるが、それなりに身長はあるようだ。


「そちらの青年は?」


 大貴の父親であり政弥の兄である長身の男は、柔らかな雰囲気の持ち主だった。表情のあまり動かない政弥と違い、甘い微笑がよく似合う。

 大貴の肩に手を置き微笑むあきらの瞳は、牛鬼に向けられている。

 牛鬼は、その瞳を見返すだけで何も答えない。


「そいつも、うちの居候」


 紹介しようにも、牛鬼には名が無い。今更ながらそれに気が付き、政弥は言葉を濁した。


「へぇ……。辰吉さんから、彼のことは聞かなかったな」

「あの時は出掛けてたんだよ」

「訳有りか?」


 彬の瞳は、牛鬼に向けられたまま。

 牛鬼も、彬をじっと観察している。どうやら牛鬼は一夜よりも、彬の何かが引っ掛かるようだ。


暴力・・団……なるほどな」


 すんと鼻を動かし、牛鬼が呟いた。

 不安そうに牛鬼と己の父親を交互に見上げている大貴に、牛鬼が優しく笑い掛ける。


「父ちゃんとよく話せ。そんで自分で考えて、答えを見つけるんや」

「うん!……また、遊んでくれる?」

「もちろんや」


 ほっと表情を緩めた大貴が駆け寄ると、牛鬼は軽々、大貴を抱き上げた。

 最後にぎゅっと抱き付いて甘えると、牛鬼に下ろしてもらった大貴は、椿にも抱き付き、甘える。


「またお勉強教えてね!」

「うん。いいよ」


 淡く微笑んだ椿に頭を撫でてもらったことで満足して、大貴は父親のもとへ戻った。


「息子が世話を掛けて、すみませんでした」


 一夜が大貴の荷物を持ち、ココアを抱えた大貴が手を振る。大貴の父親である彬は椿と牛鬼に深く頭を下げて感謝を示し、政弥を視線で促してから、玄関へと向かう。

 無言で呼ばれた政弥は後頭部を乱暴に掻いてから、椿と牛鬼を残し、部屋を出た。


「あの二人、生きてる……よな?」


 彬の言葉に、政弥は苦笑する。政弥のように視えるわけではないが、彬も感じる人間なのだ。


「生きてるよ」

「そうか。……特に男のほう、なんだか妙な感じがしたんでな」

「あいつらは大丈夫。兄貴は、大貴を気にしてやれって」

「……そうだな。親父とお袋も、お前を気にしていた。たまには顔を出してやれ」

「そのうちな」


 降りていく三人の背を見送る政弥は、二階の踊り場に渚がいるのに気が付いた。

 渚は彬に頭を下げてから、大貴の頭を撫でる。


「政弥といい大貴といい、うちの奴らは渚に甘え過ぎだな。いつもすまない」

「いーえ。好きでやってるんで、彬さんが気にする必要はないですよ」


 父と息子に礼を言われ、渚は二人に手を振った。二人に続く一夜は渚の前まで来ると、深々と頭を下げる。


「ご無沙汰してます!」

「イッチーは相変わらず、サングラスだっさいねぇ」

「いいんです。これは俺のアイデンティティーっすから」

「へー、よく間違えずに言えたね」


 にっこり笑った渚にペチペチ頭を叩かれても笑顔の一夜は、もう一度頭を下げてから階段を下りていく。

 三人を見送った後で、渚は政弥のもとに上がってきた。


「大貴くん、大丈夫なの?」

「あぁ。牛鬼が何か助言したみたいだ」

「そっか。すっごい懐いてたよね」

「そうだな」

「うしくんは? 普通?」

「腹立つくらいに、いつもどおりだ」

「なぁんか、悔しいな」

「本当にな」


 三人で渚の部屋で酒を飲んだときに牛鬼の語った事が、渚と政弥の心を悩ませる。

 聞いたのは、政弥と出会うまでに椿の身に起きた出来事。まるで椿を託すかのように、告げられた。


「マサ、お前はどうするつもり?」


 腕を組んだ渚の瞳は、政弥の反応を窺っている。それに気付いている政弥は、眉をしかめて見せた。


「わからない。けど、気に入らねぇ」


 何かを決められるほど、政弥たちは、椿と牛鬼を知っているわけではない。椿との関係性についても、牛鬼側の話を聞いただけだ。

 時間はまだある。それなら、もう少し二人を知るべきだなと、政弥と渚は互いの意思を確かめ合った。


「うしくん、もう戻っちゃったの?」


 渚と政弥が部屋に入ると、牛鬼は既にぬいぐるみの姿に戻ってしまっていた。

 渚が室内を見回しても見当たらない。政弥の目には、いつもどおり椿の頭の上で脱力して寝そべる黒毛牛のぬいぐるみが視えている。


「この姿が、いっちゃん楽やー」


 むしろ、前よりもダラダラ度合いが増しているようにも見えた。椿は頭上の存在を気にせず、膝の上で開いた本に視線を落としている。いつもの光景だ。


「また俺だけ視えないし話せないのかぁ。……なんか寂しいな」


 苦く笑った渚が、椿の隣に座る。手元の本を覗き込むと、椿が顔を上げた。


「いつも何読んでるのかなって。邪魔だった?」


 首を横に振ると、椿は本の表紙を渚に見せてくれた。が、なんだか難しい本のようだなということしかわからない。


「面白いの?」

「……面白いのも、あります」


 椿が読む本の種類に統一性はない。図書館の中を適当に歩いて適当に集めたようなラインナップだ。だが一つ共通しているのは、どれも分厚く重たいこと。


「今読んでるのは、どうなの?」

「特に面白くはないです」

「でも読むの? 勉強?」

「いえ。ただの暇潰しです」


 幼い頃から、好きだからと本を読んでいたわけではない。分厚くて字が細かければ読み終わるのに時間が掛かるからという理由で選んでいて、文字を目で追い、時間を潰しているだけなのだ。でも、そのおかげでかなり多くの知識が、彼女の頭には詰め込まれている。


「椿ちゃんって、本をたくさん持ってるよね? 前の家から持ってきたの?」


 何故こんなに今日は質問をしてくるのだろうかと首を傾げつつも、椿は律儀に渚からの質問に答えていく。


「家の蔵から、適当に見繕って持ってきました」

「読書以外で好きなことって何?」


 少しの間、椿は答えに悩んだ。


「……うし様といることです」


 鶴子といるのも好きだった。だが、鶴子はもう、この世にいない。

 椿の答えに、渚は苦く笑った。


「うーん……それだと、いつもと変わらないよねぇ。今回さ、大貴くんのことで椿ちゃんとうしくんにはお世話になったから、何かお礼がしたいなぁって思ってるんだ。マサが」


 突然水を向けられて、向かいのソファで寛ぐ体勢を取ろうとしていた政弥は、驚きをその顔へ浮かべる。

 だがすぐに渚の言葉に頷き、話を引き継いだ。


「そうだな。身内のことで、迷惑を掛けた」

「お礼なんていらないですよ。渚さんにも政弥さんにも、いつもお世話になってばかりなんですから」


 牛鬼は椿の頭の上で寝そべったまま、目を瞑ってしまっている。だが恐らく、話は聞いているのだろう。


「じゃあさぁ、椿ちゃんは、どっちのうしくんと一緒にいるのが好きなの? 今の状態? それとも人の姿?」

「え?」

「ね、どっちのうしくんが好き?」


 どちらの姿でも、牛鬼は牛鬼だと椿は思う。それに、どちらの姿も、牛鬼本来の姿ではないのだ。

 鶴子の家にいた頃の牛鬼の姿を思い出し、だが、あの姿のときには今ほど触れ合うことはなかったなと考える。

 近くにはいたが、こんなにも椿と牛鬼が触れ合いを持つようになったのは鶴子がいなくなってしまってからで、更に言えば、ある出来事がきっかけだった。


 唐突に、椿の視界を赤い幻が覆いつくした。


 粘り気のある、赤。


 肌を這う気色の悪い体温までも、思い出す。


――椿! 椿!


 幻の中、椿を呼ぶ牛鬼の声が聞こえた。


――願え! 願ってくれ! 助けてと、願え!!


 泣きそうな懇願。

 牛鬼のこんな声を聞いたのは、あの時が初めてだった。


――願いが無ければ儂は手が出せん! 頼むから儂に、お前を救わせてくれ!


 あの時、自分は一体、何を願ったのだったか……。


「――椿ちゃん?」


 会話の途中で突然、椿の顔から表情が抜け落ちたことに気付いた渚が驚き、彼女の名を呼んだ。

 政弥も正面からその変化を見て取り、問うようにして、椿の頭上にいた牛鬼へ視線を向ける。だがその時には既に黒毛牛のぬいぐるみは消え、黒髪の青年が、椿の隣に姿を現していた。


「目を閉じろ。耳を塞げ」


 言葉と共に、青年の両手が、椿の耳を塞ぐ。

 椿は素直に目を閉じて、彼女の両手は、青年の手の上へと重ねられた。


 彼の体温に触れると、そこから安堵が広がっていく。

 気色の悪い感覚も、消えていく。


「怖いものは、もういない」


 耳を塞がれているせいで、くぐもって聞こえる声。

 だけど温もりを感じるほどに近い場所から聞こえた、彼の声。


「うし様」


 どこにも行かないで。

 独りにしないで。


 最初にした願いを繰り返すことで、椿は彼を、己に縛り付ける。

 それによって支払う代償すら、椿の願いの一部。


「……儂をこの世に繋いでいるのは、お前だ」


 その答えに、どうしようもなく、満たされる。

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