第22話 秋の空にはうろこ雲
屋上で、洗濯物がはためく。
洗濯物を干す椿の後ろでは、牛鬼が大貴とココアと追いかけっこをして戯れていた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
休憩がてら、ごろんと寝転がり見上げた空には、うろこ雲。
「んー? なんや?」
大貴と牛鬼は並んで寝転がり、ココアはもっと遊べと牛鬼の手を舐めている。
「……どうして僕と遊んでくれるの? まさ兄とも、どうしてお友達でいるの?」
「どういう意味や?」
「だって、僕もまさ兄もヤクザの息子だよ。僕の学校の子はお家の人に、僕と関わったらダメって言われたんだって」
「ヤクザとか暴力団とか、いろんな呼び方があるんやなぁ?」
苦笑を浮かべた牛鬼はココアを抱き上げて、半身を起こした。膝の上に乗せた白いもふもふを撫でながら見下ろした先、大貴は腕で覆って顔を隠している。
「なぁ大貴。親がそれを隠してたからって、友達に遠ざけられたからって、お前は家族を嫌いになれるんか?」
「なれるよ。お父さんも、おじいちゃんも嘘つき。大嫌い。お母さんもおばあちゃんも……嫌い。おじさんたちも、みんなみんな嫌いだっ」
「ほぉか。それは悲しいな」
穏やかで、だけれど憂いの滲んだ声。
腕の隙間から大貴は、牛鬼の顔を覗いてみた。
見上げてぶつかったのは、目が細められた優しい表情。
「愛したもんに疎まれるんわ、つらい」
「愛したもの……?」
「そうや。お前は愛されとる」
「そんなの、お兄ちゃんにわかるわけないじゃん」
昨日初めて会ったばかり。大貴の家族のことなどわかるはずがない。そう言って唇を尖らせた大貴の頭を、牛鬼はそっと撫でた。
「なら、お前はどう思う? 愛されてないと思うんか?」
「そんなの、わかんない」
「ほんまにそぉか?」
「わかんない!」
「そぉかぁ」
突然、脇に手が差し込まれたと思ったら、大貴は抱き上げられていた。赤ん坊みたいに高く持ち上げられて、高くなった目線に驚く。
「なぁ大貴。これまでがわからんかったなら、これからは、よぉっく見てみぃ。家の奴らに、学校の奴ら。んで、よぉっく考えるんや」
「何を考えるの?」
「いろんなことや。ワイは別に、お前らの家や親がどんなんだって気にならん。ワイが見るんは、お前たち自身やからや」
政弥は、見た目は怖くとも思いやりがあって面倒見がいい。大貴は当たり前のように「ありがとう」が言える優しい子。
人の心とは親が育むものでもあるが、自分自身で育てるものでもある。
どちらにせよ、牛鬼が見るのは個人。仲良くなるのに、親も家も関係ない。
「なんだか、難しいね」
「そぉか?」
「うん。でもなんか……嬉しい」
首に縋り付いて甘えてみたら、力強い腕が、まるで小さな子供を抱くように大貴の体を支えてくれた。五歳の妹がいる大貴が、お兄ちゃんだからと我慢するようになった抱かれ方。もうそんなに小さくないから恥ずかしいとも思っていたのに、いざやってもらえばこそばゆく、嬉しいものだと感じてしまう。
「いいな……」
小さな呟きを耳が拾い、素早く大貴は振り返る。
そこには、洗濯物を干し終えた椿が立っていた。
聞こえていなかったらしき牛鬼と、佇む椿。二人を交互に見て、大貴は牛鬼に頼んで下ろしてもらう。
「お姉ちゃんも、抱っこ?」
「え?」
大貴が駆け寄り聞いてみれば、椿の頬に赤みがさす。にっこり笑った大貴が手を引くと、椿は抵抗せずについて来た。
牛鬼の前に連れてきて、大貴はどんと、椿の体を押し出す。
「お兄ちゃんに、お礼だよ! 僕、ココアと先に戻ってるね!」
無邪気に笑って、大貴はココアと共に駆け出した。
大貴が去った屋上には、椿の体を受け止めて不思議そうにしている牛鬼と、隠すようにして、牛鬼の胸元へ真っ赤な顔を埋めた椿が残される。
洗濯物を揺らす秋風は甘酸っぱさを伴い、寄り添う二人を包み込んだ。
*
大貴がココアと共に三階へ戻ると、政弥が大きな体をソファに投げ出して目を瞑っていた。
その上に、大貴は勢い良く飛び乗る。
「……大貴、重い」
「ねーねーまさ兄」
ゆさゆさ揺さぶられ、政弥は眉間にしわを寄せる。
「僕、お家に帰る」
「……もういいのか?」
「うん。お母さんが泣くのは、僕も悲しい」
「また、なんかあったら電話でも、ここに来るでもしろよ」
ソファの上で寝転がったまま、政弥は腹の上に跨る甥っ子の頭を撫でた。
くすぐったそうに笑って、大貴は頷く。
「帰るの、もう少し待て。たぶん、そろそろ来るんじゃないか?」
「お迎え? まさ兄が呼んだの?」
「呼んでないけど、きっと来る」
それ以上のことを政弥は告げず、再び目を瞑ってしまった。
大貴が戻ってから、すぐ後に牛鬼と椿も屋上から戻ってきた。
いつもどおりソファで本を読もうとしていた椿に頼んで、大貴は持ってきていた学校の教科書を使って勉強を教えてもらうことにした。椿は快く了承してくれ、勉強する二人の向かいのソファでは、政弥が目を瞑り体を休めている。
牛鬼は、窓辺に浅く腰掛け、外を眺めていた。
静かで柔らかな空気が満たす室内。そこに、階段を上る複数の足音が届いた。
その音で、政弥がむくりと起き上がる。
算数の問題を解いていた大貴も、聞き覚えのある足音に反応してノートから顔を上げ、期待で瞳を輝かせながら玄関へと視線を向けた。
「邪魔するぜぇ」
ノックという前触れなく開いた扉。そこにいたのは、スーツ姿の男二人。
扉を開けたのは、ダークグレーのツーピースとネイビーのシャツを着たスキンヘッドにサングラス姿の強面で、強面スキンヘッドの後ろには、グレーのスリーピースを品良く着こなした背の高い男が続く。
「
大貴が顔を輝かせ駆け寄ったのは、品のいい長身の男のほうだった。
「大貴、悪かったな」
大貴の目線に合わせて長身を折り曲げ、父親は優しく目を細める。その表情は、政弥によく似ている。
「僕もごめんなさい。お母さん、泣かせちゃった……」
「いや。
「本当? 僕の独り占め? 電話もない?」
「あぁ。電話も出ない」
大きな手にくしゃりと頭を撫でられた大貴は、嬉しそうな照れ笑いを浮かべる。
そんな父と息子の近くでは、強面スキンヘッドが盛大に口元と眉をしかめて、椿を眺めていた。
「
「辰吉さんにも言ったけど、そういうんじゃねぇって。それよりイチ、お前そのグラサンやめろって言ってんだろ。ダセェ」
「るっせぇ。これは俺のアイアンメイデンなんだよ」
「……それ、なんか違くねぇか?」
間違いを指摘した政弥も正しい言葉が浮かばないようで、二人一緒に首を傾げている。
見兼ねて、椿がおずおずと口を挟む。
「アイデンティティーだと思います」
アイアンメイデンでは拷問器具になってしまう。強面スキンヘッドはサングラスで拷問でもするのだろうか……そんなわけがない。
「おー、嬢ちゃんは美人なだけじゃなくて頭もいいんだな。ところで、アイアンメイデンってなんだっけ?」
「えーっと、処女の血を集めるために作られたと言われている、拷問器具のことです」
「マジか! とんでもねぇ間違えだな」
わっはっはと、強面スキンヘッドは大きな声で笑った。
「で? 処女の血なんて集めて何すんだ?」
何故か詳しく掘り下げられてしまい、椿は拷問器具についての説明をする羽目になってしまった。
止める者は誰もおらず、皆が興味津々の様子だ。小学生がいるために、椿はやんわりとした説明で止めようとしたのだが、強面スキンヘッドは気にせず掘り下げる。
最終的に、息子の耳を両手で塞いだ大貴の父親が強面スキンヘッドの臀部に強烈な前蹴りをお見舞いしたおかげで、拷問器具講義は強制終了を迎えたのだった。
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