第19話 友達認定

 数年前までは、薄暗くじめっとした雰囲気で浮浪者の住処となっていた宮下公園だが、現在は整備され、明るく綺麗で閉鎖的。

 線路に向けて掲げられていた再整備反対の横断幕や、一時閉鎖時の物々しい雰囲気はパッと見、綺麗さっぱりなくなっている。

 だが目を落とせば、闇はすぐそこで蠢いているのだ。

 公園脇のブルーシート群を眺め、闇とは根深くしぶといものだよなと、ここへ来る度、政弥は思う。

 光があれば闇がある。ここはそれを強く感じる場所で、嫌いじゃない。


「小僧、怖いんか」

「こ、怖くないよ!」


 有料のクライミングウォールの天辺から声を掛けた牛鬼に反論して、大貴は登り始める。渚はそれをすぐそばで見守り、政弥と椿は離れた場所から、ココアのリードを持って眺めていた。


「お前は、やらなくてよかったのか?」


 しゃがんでココアを撫でている椿へ再度確認すると、椿は政弥を見上げ、首を縦に動かす。


「私が行ったら、うし様が心配しちゃって楽しめません」

「あいつは過保護なのか?」

「過保護、なんでしょうか?」


 ふふっと、椿が笑った。


「最近のうし様は、楽しそう」

「お前は、楽しくないのか?」

「……楽しいです。夢みたいに」


 睫毛を伏せる陰のある表情。椿と牛鬼がたまに浮かべるこの表情が、政弥は気に入らない。

 気に入らないから、椿の頭を乱暴に撫でた。


「犬は好きか?」


 乱れた髪を整えながら不思議そうにしている椿を見下ろし、政弥は問う。


「かわいいです」


 ココアを抱き上げ、きゅうっと抱き締めた椿は、牛鬼がそばにいなくて寂しいのかもしれないなと、渚が以前言っていた言葉を思い出して政弥は思った。温もりを求めるようにして、椿はずっとココアを撫でているのだ。


「ぬいぐるみは好きか?」

「昔は、欲しいと思ったこともありました」

「今は?」

「うし様がいます」

「まぁ、確かにぬいぐるみだが……」


 今は青年の姿をしている牛鬼へ視線を向けて、政弥は眉間にしわを寄せる。

 見た目はかわいらしいぬいぐるみ。だが中身はどうなのだろうか。人間の男の姿にもなる牛鬼とは、どんな存在なのかという疑問が湧いた。

 牛鬼は己を化物だと言う。ならば本質は、神ではなく妖怪なのだろうか。


「前のうし様は、雰囲気が政弥さんと似ていました」


 ココアを抱いて立ち上がった椿に微笑を向けられたが、政弥の眉間のしわは濃く刻まれた。

 信じていないだろう政弥の表情を見て、椿はまた、楽しそうにくすくすと笑う。


「物静かで、話すときには淡々としていて。一見怖くて冷たそうだけど、本当は優しくて……温かい」

「……今は賑やかな奴だな」

「はい。私が寂しくないようにって、気を使ってくれているんだと思います」


 微笑む椿が視線を向けた先では、青年姿の牛鬼が、大貴と渚と楽しそうに話している。どうやら、見ているだけでなく渚も登れと、大貴と牛鬼が誘っているようだ。

 しつこく誘われ、渚は渋々、登り始める。


「渚の奴、絶対後悔するな」

「どうしてですか?」

「もう若くない」

「おいくつなんですか?」

「三十一」

「え?」


 椿の驚きように、政弥は苦笑した。渚はいつも、実年齢より大分、若く見られるのだ。政弥はその逆。


「なら、政弥さんは三十三歳?」

「残念、二十九。そんなにオヤジに見えるか?」

「いえ! 渚さんと二つ違いだと聞いていたので……」

「で、俺のが上に見えた?」

「はい。……政弥さんのほうが、大人っぽいです」


 オヤジっぽいではなく大人っぽい。実年齢より上に見られる理由も、後者ならまだマシだ。


「俺が丑年で、お前も丑年。それで三十三だったら、おかしいだろう」

「そういえば、そうですね」


 忘れていたというふうに人差し指を立てた椿の頭を撫でくり回して、髪をぐしゃぐしゃにしてやった。これで許してやろうなどと捨て台詞を吐けば、珍しく椿が、声を立てて明るく笑う。


「あれ? でも私、丑年だって政弥さんに言いました?」

「牛鬼から聞いた」

「……うし様、政弥さんと仲良しです」

「それは、どっちに対するヤキモチだ?」


 政弥が意地悪に問い掛けてみれば、椿は首を傾げた。意味がわからないという表情を浮かべる椿を見下ろして、政弥はニヤリと笑う。


「俺に牛鬼を取られるのは、寂しいか?」


 途端、椿の唇が不満げに尖った。


「うし様は兄であり、父であり、私に残された唯一の友達です。家族です。うし様に新しいお友達が出来たからって、別にヤキモチなんてやきません」

「へぇ。俺と渚は、お前とも友人のつもりだったんだが?」

「そ……そう、なんですか?」


 耳まで真っ赤に染めて、椿は狼狽える。

 彼女のかわいらしい反応を瞳に映し、政弥の口元が綻んだ。


「そんなかわいいと、悪い奴に攫われるぞ」

「っ、やっぱり似てません! うし様は、そんなに意地悪じゃなかったです!」

「意地悪ってのは、愛情表現の一つだよ」

「そ、そうやって、からかって遊ばないでくださいっ」


 くつくつ喉の奥で笑って、政弥は椿の頬をふにりと摘まむ。頬を摘ままれた椿は政弥の手から逃れようと首を振り、椿の腕の中では、ココアがじゃれ合う二人を不思議そうに見上げている。


「……年の近いお友達、初めて出来ました」

「は?」


 政弥も渚も、椿とは一回り以上離れている。それで近いと表現するにはおかしいだろうと政弥が内心で首を捻っていると、椿は歴代の友人の年齢を教えてくれた。

 鶴子と晋平とは何十歳も離れていて、牛鬼に至っては、詳しい年齢はわからないが千は越えていないはずだと本人が言っていたらしい。


「なるほど。それと比べれば、確かに近いな」


 思わず笑ってしまった政弥を、椿は嬉しそうに見上げている。


「政弥さんは、お友達と何をしていますか? 私は鶴子さんと、お茶を飲んでいました」


 キラキラ期待混じりの眼差しに、政弥は考えてみる。茶は毎日のように共に飲んでいるし、それは、老人向けな気もする。


「逆に、やってみたいことはあるのか?」

「えぇっと……お友達とは手を繋ぎます!」


 がしりと手を掴まれ、政弥は目を丸くする。


「それで、えぇっと……お互いのお家に遊びに行ったり、一緒にお買い物に行ったりするそうです!」

「一緒に住んでるし、買い物は行ったな」

「それじゃあ何をしましょう?」


 真剣に悩みだしてしまった椿の頭をぽんぽんと撫で、政弥は目を細めた。

 はしゃぐ椿は年相応。なるほど、この笑顔は、牛鬼でなくとも守りたいと思う、心を温かく満たしてくれるものだなと感じた。


「いろんな場所に、遊びに連れて行ってやるよ。だがな」


 口角を上げ、政弥は繋がった手を持ち上げる。無防備に、真っ直ぐに政弥を見上げている椿の瞳を見返しながら、滑らかな手の甲へ唇を軽く触れさせた。


「友達だとしても、男には気軽に触れるな。食われるぞ」


 真っ赤で涙目になって狼狽える姿を想像していたのだが、その真逆の反応をされて、政弥のほうが狼狽えた。


――椿の顔から、さぁっと血の気が引いたのだ。

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