第18話 家族と友達

 こうなるのが嫌で、結婚も、子供を作るのも嫌なのだと政弥は思っている。

 政弥自身は一般人だ。構成員とか呼ばれる者ではない。

 だが、実家はヤクザだ。極道だ。

 最近では暴力団などと呼ばれている組織で、政弥の父親は組の長。六つ上の兄は若頭などと呼ばれている。

 自分自身が関わっていなくとも、ヤクザが血縁にいる者は世間に嫌われ、差別されることが多い。もしも恋人がいて結婚を考えたりしたら、実家のことを話さないわけにはいかない。だが話せば、かなりの高確率で逃げられるか、相手の家族に猛反対されるのだ。

 現代日本で法律に雁字搦めにされているヤクザには人権なんてものはないのではないかと、政弥はよく思う。まぁ、だがそれなりの、そういう事をしてきた人間の集まりだということも知っている。

 だけれど、子供はどうだろう。

 たまたま、その家に生まれてしまっただけだ。

 育ててもらうのは親の金。その金の稼ぎ方がどうだろうとも、子供にどうしろというのだろう。どうにも出来ないというのに、親がヤクザだとバレれば、子も忌み嫌われる。

 日本は、暴力団を本気で排除しようとしている。必要な犠牲。それまでの犠牲。それを当事者に我慢しろというのは酷なことだと、政弥は、身を持って知っていた。


「お父さんもおじいちゃんも、不動産の会社だって……」


 心細そうに犬を抱き締め、大貴が発するのは弱々しい声。


「嘘じゃない。不動産もやってる」


 小学生に、どこまで、どういうふうに話すかを悩み、自分のときはどうだっただろうかと記憶を手繰る。


「なぁ椿、ぼーりょくだんって、何や?」

「うし様、しーっ」

「せやけど話が見えん。親がぼーりょくだんやと、なんでこの子供は泣きそうなんや?」

「うーんと……暴力団は、怖い人たちのこと、かな?」


 私もよくわからないよと小声で答えた椿と、首を傾げている牛鬼。窓辺に立ってこちらを伺っている二人の存在に、政弥の心は少し和んだ。


「俺のときは、兄貴がいたからな」

「お父さん?」


 小さいが、興味が滲んだ声。どうやら大貴は、父親を嫌っているわけではないらしい。


「親父が何してようが、俺たちは何もしてない。ビクビクしてたら付け込まれる。堂々としてろってさ。でもまぁ兄貴は、気に入らない奴らは叩き潰してたけどな」

「……ぼーりょく?」


 不安そうな大貴に見上げられ、当時を思い出して政弥は苦く笑う。


「喧嘩も強かったけど、兄貴は俺と違って頭が良かったから。殴り合いとかは少なかったな」


 その代わり、殴り合いのほうがマシだと思うようなことをされるのだ。その内容までは、さすがに子供には話せない。


「なぁ大貴。俺も兄貴も、お前と同じ境遇だった。だけど、親父や組の奴らを心から嫌いだとか憎いとは思えなかった。家を捨てなくても俺は今、別に不幸なんかじゃない」


 結婚は諦めているけれど、それはもしかしたら、心から愛する諦められない女に出会えていないだけなのかもしれない。


「だけど、それは俺が出した答えだ。もし大貴が普通に生きたくて、家と縁を切りたいと考えるのなら、俺が協力する」


 政弥が見つめる先で、大貴は目を伏せている。

 腕の中のココアの毛に顔を埋め、発されたのは恐らく、大貴が一番、気になっていること。


「……まさ兄、お友達は?」

「渚がいる。他にも。大貴もきっと、これから出会う」

「そうだといいなぁ」


 大貴の顔にじわり浮かんだ笑みを見て、政弥も目元が優しく緩む。張り詰めていたものは消えた。あとは大貴が自分の中で噛み締め、考えることなのだ。

 だから政弥は立ち上がり、大貴の隣に移動して、小さな肩を抱く。


「今日は、うちに泊まるって連絡しておく。みんな心配してるだろうからな」

「うん。……お父さん、怒るかなぁ?」

「大丈夫だろ」

「お母さんは、泣いてるかな?」

「かもな。だから安心しろって、電話してくる」


 こくりと縦に動いた大貴の頭を、政弥は大きな手で乱暴に撫でた。


   *


 政弥がスマートフォンを手に部屋を出ると、ドア横の壁に渚が寄りかかって立っていた。

 目が合い、渚が笑う。


「マサのときって、どんなだったっけ?」

「……忘れた」

「親父さんと喧嘩して、しょっちゅう家出してたろ? 俺も付き合わされてさぁ。でも毎回、あきらさんが迎えにきてた」


 渚とは、気付いたら一緒にいた。政弥より二つ年上だが妙に馬が合って、家が近所だったこともあってか、よく行動を共にしていた。渚の祖父にも世話になった。


「俺がこっち側にいられるのは、兄貴と、お前のおかげだ」


 照れたのか、渚が笑顔で政弥の肩を殴ってきた。痛くはなかったが何となく、殴られた肩を摩りながら、政弥は電話をかける。

 大貴の母親は予想どおり、姿を眩ませた息子を心配して泣いていた。すぐに迎えを寄越すという言葉を、政弥は宥めて断った。まだ大貴には、時間が必要だ。

 落ち着いたら連絡すると約束してから切った電話を操作して、次に政弥が掛けた相手は、兄。


『大貴、やっぱりお前ん所か』

「あぁ。今夜は預かる」

『世話掛けるな』

「気にすんな」

『お前もよく、家出してたよな』


 笑い含みの低い声。つい先ほど渚に言われたのと同じことを言われ、政弥は苦笑する。


「兄貴が迎えにくるって知ってたから、安心して出来たんだよ」


 意地を張って帰りづらくなったとしても、帰って来いと伸ばされる手があった。

 政弥はきっと、その手に甘えていた。


「そうか。……気が済むまで付き合ってやってくれるか? 学校も勉強も、後からどうとでもなる」


 了承の返事をして、通話を終えた。


「彬さん、何だって?」


 渚に問われ、政弥は懐かしさに、頬を緩める。


「昔お前が言われてたのと同じことを言われた」

「そっか。なら俺も、大貴くんと遊ぼっかなぁ」


 ドアを開けて中に入る背中を見送りながら、政弥は思う。家族や友人というのはいいものだ、なんて思うようになった自分は、歳を取ったのかもしれない。


   ***

 

 牛鬼の、ザクロの果肉のような瞳と、ココアのチョコレートみたいな瞳が睨み合う。

 ココアの白い体はソファに座った椿の膝の上。その前に屈んで、牛鬼はじりじり手を伸ばす。牛鬼が静かに掌を差し出すと、ココアが恐る恐る、舐めた。


「おー。わんころ、かわえぇのぅ」


 調子に乗った牛鬼が両手を使って撫でてみても、ココアはされるがまま。数十分に渡る攻防の末の成果だった。


「頭のいい子だね。うし様が怖くないって、わかったんだよ」

「ほぉか。けど、本能が薄れてるんやないか? 猫はよくおちょくりに来たが、犬は吠えたてて怯えとったのになぁ」


 牛鬼の顔には喜色が溢れている。椿も微笑み、膝の上の柔らかな毛並みを撫でた。


「でも不思議だね? ココアは、うちのおじさんたちにも、すぐ懐いたのに。お兄ちゃんは普通の人なのにね?」


 椿たちの向かい側のソファで渚と並んで座っている大貴の言葉に、牛鬼が小さく笑う。


「そりゃあ、ワイは化物やから。人間に対するのと反応が違うんは当然や」

「化物?」


 よくわからないと言うように首を傾げ、大貴は牛鬼の瞳をじっと見つめた。そして、何やら納得したようだ。


「なんだっけ? えーっと……そうだ、アルビノ。アルビノって言うんだよね? お兄ちゃんとお姉ちゃんの目、綺麗な色だね」


 無邪気に笑う大貴に、首を傾げる牛鬼。

 政弥と渚は、その勘違いで通そうと決めた。妖怪だとか神様だというよりも、そのほうが現実的だ。


「大貴くん、ココアのお散歩に行こうよ」

「うちに遊ぶもんは何もないからな。公園行くか? フットサルやってるかもな」

「行く!」


 渚が大貴を促し、政弥も大貴の興味を引いた。

 立ち上がった大貴が自分の荷物からリードを取り出して、それを見たココアは椿の膝から飛び降り、尻尾を千切れんばかりに振りながら大貴の足元に纏わり付く。


「なぁ椿、あるびのってなんや?」


 少年と犬の微笑ましい様子を眺めつつ、牛鬼が疑問を口にする。


「えっと……生まれつきで、白うさぎとか白蛇みたいな色を持ってる生き物のこと、かな」

「ふーん。なら、椿はちゃうな」


 ソファの前で屈んだままだった牛鬼の右手が伸ばされて、椿の頬を包み込んだ。

 見上げるようにして、牛鬼は椿の瞳を覗き込む。

 椿の瞳は、赤ではない。赤み掛かった琥珀色。


「もとの色のが、ワイは好きやった」


 牛鬼の親指に瞼を撫でられ、椿は目を閉じる。


「私は、うし様と同じがいい」


 優しく椿の瞼に触れている牛鬼は、目を伏せた。

 口元に浮かんだのは、憂いを帯びた笑み。だが目を閉じている椿は、その笑みに気付かない。

 二人の会話はそよ風のようにささやかで、他の誰にも、届かない。


「椿ちゃん、うしくん。行くよー」


 大貴と手を繋いだ渚が振り向き、玄関から二人を呼ぶ。大貴と渚の向こう側には、ココアを小脇に抱えた政弥も待っていた。


「今行く。椿、行こう」

「うん」


 ふわり微笑む椿の手を取り、牛鬼は友人たちのもとへと向かった。

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