第16話 守護の形

 散歩がてら隅田川を渡り、やって来たのは、牛鬼に縁のある神社。

 椿が行ってみたいと希望した場所だった。


「浅草にも牛鬼ぎゅうきの伝承があるけど、うし様とは関係ないの?」


 牛鬼の体を両腕に抱え、神社の境内にあった狛牛を眺めながら、椿が尋ねる。


「ワイはこっちまで来たのは初めてやから、違う牛鬼の話やろ」

「ふーん。……ここなら神様、視えるかもと思ったんだけどな」


 牛島神社。牛鬼が落としたと言われる牛玉が納められている神社だ。

 彼を理解したくて、椿は牛鬼について調べたことがあった。だがそれらの伝承は、椿の腕の中でぬいぐるみに化けている牛鬼とは関係の無い話らしい。

 この神社の牛鬼は人間から産まれた女性で、見た目や凶暴さから鬼と恐れられ退治されてしまう。恨みの果てに牛鬼となって水害を起こし、死後に残されたのが牛玉だと言われている。


「ここの牛鬼ぎゅうきは死んどるから、もし仮に居たとしても、また違う存在なんやないか?」

「そっかぁ」

「そや」

「牛鬼になった女の人、実の父親に化物だって嫌われて、裏切られたんだって」

「そうなんか」

「……うん」


 椿と牛鬼だけの、静かな会話。

 渚と政弥は少し離れた場所で、撫で牛という牛の形の石を撫でている。渚は両目を。政弥は頭を撫でたようだ。


「悪い所が治るらしいけど……頭は、どうなんだ?」

「心も治るんだから、頭も治るんじゃないか?」


 そんな会話を繰り広げる渚と政弥も、浅草観光を楽しんでいた。


「ここって、うしくんに関係あるの?」


 一通り境内を見て回った後で、渚が椿に問い掛ける。椿は、ふるふると首を振って否定を示した。


「牛鬼っていう存在は、あちこちで色々な伝承があるんです。うし様は、ここには初めて来たって」

「へぇ。なら、ここのは別の牛鬼ぎゅうきってこと?」

「そうみたいです」


 ここでも神様が視えないのかという渚の確認の言葉に、椿と政弥は同時に頷く。


「ワイは、神として祀られはしたが、元々は化物や。せやから本物の神とは、ちぃと存在が異なる」


 本質は妖怪なのだという牛鬼の説明を政弥が渚に伝えると、残念そうではあったが納得したようだ。

 牛鬼のことは視えるのに神様が視えない問題は、とりあえずの決着を迎え、三人とぬいぐるみはスカイツリーへと向かうことにした。そこでは限定品を見て回り、夕飯を食べてから帰る予定だ。


「待て。お前、一応男だよな?」


 政弥に頭を鷲掴みにされた牛鬼が何をしたのかというと、お手洗いに向かう椿の頭の上に、当然のように張り付いたままでついて行こうとしたのだ。


「男か女か問われたら男やけど、それがなんや」

「お前は留守番だ」

「なんやぁ今更。風呂も毎日、一緒に入っとるでぇ」


 それは気が付かなかったと、政弥は頭を抱える。

 椿が入浴する時間、政弥はカメリアにいるか、依頼で出掛けているのだ。そのため、初めて知った事実に衝撃を受けた。

 ぬいぐるみだと思ったままなら抵抗は無いが、青年の姿を見てしまった後では印象が変わる。椿の保護者のような立ち位置にいる身としては、止めざるを得ない。


「えっと……うし様、待っててね」


 牛鬼と政弥の問答を戸惑いながら眺めていた椿は、牛鬼を置いていくことを決めた。置いていかれてしまった牛鬼は今更だと繰り返しはしたものの、大人しく政弥の肩に腰掛ける。


「なぁ、椿とお前の縁って、なんだ?」


 カキ氷屋で牛鬼が見せた笑み。あれを思い出すとなんとなく椿の前では聞きづらく、政弥はちょうどいいタイミングだと、問うてみる。

 すると牛鬼は、あっけらかんとした様子で答えを口にした。


「椿はな、丑年丑の月丑の日丑の刻産まれ。それと普通の人間より、ちぃとばかし鬼に近い存在なんや」

「普通の人間に見えるが?」

「……人を鬼に変えるんは、何やと思う」


 牛鬼からの問いに、政弥は首を捻る。幽霊は幼い頃から見てきたが、不思議な話に詳しいわけではない。

 政弥が答えられないのを見て取って、牛鬼はまた、悲しそうに微笑んだ。


「負の感情。あの子は、危うい」


 蛍光灯の光を受けて赤く煌めいた瞳が、戻ってくる椿へと向けられた。

 政弥は、椿の過去をほとんど知らない。それ故、牛鬼の言う危うさが何なのかもわからない。

 両親を亡くして保護者もおらず、椿は天涯孤独の身のようだ。しかも飼い主を探して彷徨っていた。

 政弥が知っている事実だけでも、危うさは垣間見えている。


「うしくん、何だって?」


 空気を読んで黙っていた渚が、政弥を見た。牛鬼は、今は椿に飛び付き、じゃれついている。それを受け止めた椿は嬉しそうな笑顔だ。


「椿を笑顔にしてくれってさ」


 そういうことなのだろうと、政弥は思った。

 ぬいぐるみの牛鬼は子供っぽく、明るく元気だ。だが恐らく、それは本来の性格ではないのだろうと政弥は感じている。


「なるほどね。椿ちゃん見てるとさ、うしくんがそばにいるときは、すぐわかる」

「いつも頭に張り付いてるぞ?」

「マサのそばにいるときもあるだろ? そうするとさ、椿ちゃん、なんか不安そうなんだよ。でも、うしくんが戻るとほっとして、嬉しそうな顔になる」

「それは……気が付かなかったな」


 視えない人間にも、見えているものがある。渚は特に他人の感情の変化に敏感で、政弥は鈍いとよく言われる。


「政弥さん、渚さん。うし様が、あそこのお店に行きたいそうです」


 駆け寄ってきた椿の表情は、明るい。


「チーズ専門店? うしくん、チーズ好きなの?」

「この前、渚が持ってきたチーズが、えらいうまかった」

「渚さんがくれたチーズで気に入ったみたいです」


 渚と牛鬼の会話の橋渡し。

 二人の会話を聞いて、椿は笑っている。

 その光景を見て、神なのかはわからないが、牛鬼は椿を守っているのだなと政弥は理解した。


「チーズケーキがあるな。椿、好きか?」

「あまり食べたことがありません」

「なら、買うか」

「なんだか贅沢です」


 真剣に呟いた椿の瞳は、嬉しそうに輝いている。どうやら食べたいようだなとわかり、政弥の頬が緩む。

 牛鬼が肩にいるために空いていた椿の頭を政弥がぽんと撫でると、椿は不思議そうに首を傾げた。


「かわいいな」


 微笑んでも淡く。表情が動いても微かにだった椿の表情が、今はころころ動いている。年頃の娘らしい椿の様子への感想を政弥が零すと、椿の顔が、真っ赤に染まった。


「マサが珍しいこと言うから、椿ちゃんびっくりしてるじゃんか」


 らしくない言葉を吐いた政弥は渚に肘で突つかれ、言われた椿は動揺して、照れている。

 椿の肩に腰掛けている牛鬼は、からからと笑ってその様子を眺めていた。

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