第14話 煙草屋で小豆アイス
居候としての生活に馴染み、バーでの仕事にも慣れてきたある日。夏真っ盛りの眩しい陽射しの中を椿は、牛鬼を頭に乗せて散歩に出ていた。
家事を全て終わらせた後の、午前中の日課だ。
真夏に長袖はやめてくれと政弥に言われ、渚からも泣きそうな顔で懇願されてしまったために、椿の今の服装は、白地に薄桃色の花が咲いたワンピース。政弥と渚に連行され、着せ替え人形にされた末にプレゼントされた、たくさんの服の中の一着だ。その上に、薄手で七分袖のカーディガンを着ている。これについても半袖にしろとは言われたのだが、そこは椿が譲らなかった。
大通りを走る車の音、排気ガスの匂いと、行き交う人々のざわめき。
まだまだ慣れることの出来ない都会の空気の中、椿は煙草屋の前を通りかかる。そこで、見知った男の姿を見つけた。
「政弥さん」
椿が駆け寄ると、長身の男が振り返る。
昨夜は帰って来なかった。これから帰るところだろうかと見上げた椿を、眠そうな目で政弥が見下ろす。
「散歩か?」
「はい。政弥さんは、今お帰りですか?」
「あぁ。……飯、何かあるか?」
「冷蔵庫に。帰ったら温めますね」
「悪いな」
政弥の仕事は依頼人次第のため、生活リズムが不規則になってしまう。何も無ければ家にいて、夕方からはカメリアを手伝う。
依頼人は、カメリアにやって来る。
政弥が不在のときに来た依頼人は、渚が対応して連絡先を聞いておくようにしているのだ。
「セイさん、そのかわいい娘さんは、どなただい?」
煙草屋の中から政弥に声を掛けたのは、白髪をひっつめて纏めた老齢の女性。
「うちで面倒見てんだ。名前は椿」
「ほぉ、あんたの家に女がいんのかい。しかも、こぉんなピッチピチ」
政弥は笑いながら手を払う仕草をする。
二人の気安いやり取りを眺め、椿は煙草屋の店主に頭を下げた。
「椿です。はじめまして」
「こりゃ、ご丁寧にどうも。あたしゃキミ。キミ婆さんて呼ばれているよ」
「あ、おはぎの……? 私も分けてもらって、おいしかったです。ごちそうさまでした」
「口に合ったなら、よかった。作るのが好きなんだけどねぇ、どうにも作り過ぎちまって。年取ると、そんなに食えなくなるんだよ。あ、そうそう。この前、水羊羹頂いたんだ。食べ切れないから持っていっておくれ」
言いながら引っ込み、店の奥からガサガサという音がした。戻ってきたキミの手には膨らんだコンビニ袋と、小豆の棒アイスが二本。
「こう暑いと、参っちまうね。食べながらお帰り」
礼を告げて、二人は煙草屋を後にする。
牛鬼は椿の肩に移動して、一本のアイスを二人で分けて食べている。政弥が自分の分を牛鬼に渡そうとしたのだが、肩の上でアイスが浮いて減っていく様は不気味だろうという椿の指摘でやめた。
「セイさんっていうのは、あだ名か何かですか?」
椿が一口齧り、手に持ったアイスを横にずらすと牛鬼が齧る。不自然ではない方法でアイスを分ける手慣れた様子を横目で見ながら、政弥はのっそり頷いた。
「誰が呼び始めたのかは忘れたけどな。仕事のほうでは、その呼び方で定着しちまったんだ」
「名前が二つあるのは大変そうです」
「いや。逆に便利だな」
食べ終わったアイスの棒を咥え、政弥は欠伸を噛み殺す。涙の浮いた眠そうな横顔を見上げつつ、どう便利なんだろうかと椿が考えていると、政弥は、のんびり答えてくれた。
「厄介な依頼もあったりするからな。本名を知られないほうがいい場合もある」
トラブル解消が主な仕事だ。依頼人にも色々な人間がいるのだろうなと、椿は納得した。
話しているうちにアイスは綺麗に牛鬼が食べてしまい、椿の手には棒だけが残っている。それに対して特に不満を言うでもなく、椿は政弥の隣を歩く。
政弥も椿も、あまり口数が多いほうではない。必要なことは話す。だが二人とも、どちらかと言えば聞き手にまわることが多いのだ。
渚がいるときには、渚が話題の提供者となっている。
牛鬼はというと、気になるものを見つけたときにはうるさいくらいだが、外では椿の頭にへばり付くようにして大人しくしている。話すことも好きだが、黙っていることも得意だ。
そんな二人とぬいぐるみが家のそばまで来ると、いつも出入りする裏口のある路地に、黒のセダンが一台、停まっているのが見えた。
運転席には、スーツを着た男の姿。誰かを待っているのかなと頭の片隅で考えつつ、椿は車の横を通り過ぎた。
政弥の後について階段を登ると、三階のドアの前に人がいる。
政弥が立ち止まり、椿も足を止めた。
「入れ違いになるところだったな」
ストライプが入った黒のスーツに黄色いシャツ。ジャケットの前は開けて、ポケットに両手を突っ込んだ壮年の男だった。
「辰吉さんがここに来るなんて珍しいですね。中、入ります?」
「相変わらず、きったねぇんじゃないか?」
「今は片付いてます」
どうやら政弥の知り合いらしい。二人が会話する間は政弥の体の影に隠れるようになっていた椿の姿だが、政弥が鍵を開けるために動いたとき、男の視界に入った。
「誘拐か?」
「渚と同じこと言わないで下さい」
楽しそうに喉の奥で笑い、男は政弥に続いて部屋に入った。椿も二人に続き、お茶の支度をしようと台所へ向かう。
「で? やけに若いじゃねぇか。何かの仕事か? それともロリコンに目覚めたか」
「一回り違いだと、ロリコンですかね?」
「まぁ有りっちゃ有りか。あいつらが、そんくらいだったな」
「親父とお袋は十。兄貴のとこも七つ差ですね」
「そういやぁ若い女が好きな家系か」
「そうっすね。でも俺は、大人の女がいいかな」
お茶の用意をしている椿を眺めながら、男二人は楽しそうに話している。
椿は冷たい緑茶と頂き物の水羊羹を二人の前に並べ、同席するわけにもいかずに台所へと引っ込んだ。
牛鬼は水羊羹を物欲しげに眺め、椿の頭にへばり付きながら彼女の額をぺしぺし叩き、水羊羹を要求している。
「綺麗な娘さんだが、笑わないのか?」
茶を出した椿に礼を言ってから男は緑茶を二口飲み、台所に向かう椿の背を見て呟いた。
政弥も茶を飲んでから、水羊羹に手を付ける。
「茶汲みで雇ってるわけじゃないんでね。いろいろ気が付いて、よくやってくれてます」
「お前がここに入れてるってことは、いい子なんだろうな」
片付いた部屋の中。よく冷えた緑茶が入った湯呑みと、茶請けが乗った皿とスプーン。これまで、この家で見なかった物の存在に、男は目を細めた。
「辰吉さん、俺の顔を見に来たわけじゃないですよね」
「かぁーっ、かわいくねぇなぁお前は」
「そいつはどうも」
政弥はぺろりと水羊羹を平らげ、茶を飲み干した。台所では、どうやら椿が食事の仕度をしているらしく、水羊羹では物足りなかった政弥の胃を、出汁の香りが刺激する。
「この前、うちの若ぇのとやり合ったんだってな」
それまでゆったりと深く腰掛けていた男が身を乗り出すようにして前屈みになり、声を落とし告げた。
政弥は真剣になった男の表情を瞳に映し、顔色を変えずに頷く。
「ストーカー退治を依頼されたんです。そのストーカーが呼んだやつが礼儀を知らなかったんで、シメてやっただけですよ」
それは、スミレが持ってきた依頼での出来事だった。
彼女は飲み屋を経営している。そこで働く女性に付きまとうストーカーと話を付けている途中で、そのストーカーの後輩だという男が現れた。
「ストーカー野郎が
「むかぁし世話んなった先輩だったらしいんだがな。どぉにも面倒になってきてたとこだったらしくてよ。貸した金の回収ついでに、縁切ったらしいわ」
「なるほどね。わざわざ、それを言いに来てくれたんですか?」
「ついでにお前の面を拝みにな。まぁ、そういうことだからよ。うちの若ぇのが面倒掛けて、悪かったな」
「こちらこそ。わざわざどうも」
話は終わりだと言うふうに男がソファから立ち上がると、政弥も立ち上がり、玄関へ向かう。
「
「そうっすね、そのうち」
ひらひら片手を上げて去っていく背中を見送り、政弥はスマホを取り出して電話をかける。相手は依頼人。依頼完了の報告だ。
「スミレさん、寝てました?」
『いいえ、起きてたわ。セイさんの声は眠そうね?』
「別件で徹夜明けですからね。この前のストーカーの件、片付きました。もう二度と現れないんで、安心してって伝えてください」
『あら。ストーカーさんは、どうなっちゃったのかしら?』
「借金もかなりあったみたいなんで、どうにかなったんでしょうね」
『そう。それなら、もう安心ね』
依頼料の話しをしてから、電話を切った。
政弥の空腹と眠気は限界寸前。
電話している間に料理がテーブルに並べられていて、政弥は感謝の言葉を口にしてからソファに腰掛ける。椿と牛鬼も、昼ご飯として共に食べるようだ。
椿は大抵、政弥が食事を取るときは一緒に食べるか、向かいのソファに座って政弥が食べるのを眺めている。椿と牛鬼が来てから、一人寂しくカップラーメンで腹を満たすということがなくなった。
「今日もうまい。ありがとな」
「いいえ。お仕事、お疲れさまです」
淡く微笑む椿を見て、彼女は笑わないわけではないよなと政弥は思う。ただ、元気いっぱいに笑う姿は、まだ見たことがない。
温かくおいしい料理で腹が満たされ、シャワーでさっぱりしてから政弥はベッドに倒れ込む。
眠りに引き込まれる直前に考えたのは、椿のこと。
いつか楽しそうに笑う姿を見てみたいものだなと、思った。
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