第13話 古い家での日々
学校の後、鶴子と牛鬼に会いに行くことが、幼い椿の日課になった。
庭を覗いて、牛鬼の社の前に屈んで挨拶をする。
鶴子がいなくとも、ツバキの木の下、牛鬼の社の隣に座って本を読む。そうしていると鶴子が庭へやって来て、縁側でお茶とお菓子をご馳走してくれる。
「椿ちゃんが淹れるお茶は、おいしいね」
鶴子の夫とも、仲良くなった。
「晋平さん、肩をトントンしてあげるね」
「いいのかい? ありがたいねぇ」
常ににこにこ優しい二人は、まるで本当の孫のように椿をかわいがってくれた。
二人の本当の孫よりも、椿は彼らのそばにいた。
「うし様、遊ぼう」
「……何をして?」
「んとね、だるまさんが転んだ」
「それは楽しいのか?」
「わからないけど、学校でみんながやってた」
椿が牛鬼と会話したり遊んだりしていても、鶴子と晋平は牛鬼の存在を否定せず、変な目を向けるどころか寧ろ、有り難がっていた。視えないことを、ひどく残念そうにしていた。
「うし様は、どうして私にしか、みえないの?」
ある時、椿は聞いてみた。この家を守る神様なのに、この家の人間である鶴子と晋平に視えないのは何故だろうと思ったのだ。
「視えんほうがいい」
「どうして?」
「恐ろしいだろう」
「そうなの?」
「……儂は、元は人喰い鬼だ」
「私、食べる?」
「椿を喰ってしまえばまた、話し相手がいなくなるな」
「ならね、うし様がお腹空かないように、鶴子さんにご飯をお願いするね」
「そうか」
「うん!」
毎日、椿はその家に通った。鶴子と晋平と、牛鬼に会いに行った。まるで本物の家族のようだった。温かくて、優しくて、大好きだった。
「うし様、見て! 似合うかな?」
近所のあちらこちらで桜が咲き、花びらが舞う。
この家にいるときには自然と笑顔を見せるようになっていた椿が、紺色の制服を着て現れた。
「それは、何の服だ?」
「中学校の制服だよ。中学生になったの」
「そうか。愛らしいな」
嬉しそうに笑った椿の頬は桃色に染まり、鶴子と晋平の名を呼びながら家の中へ駆け込む。
家の中からは、鶴子と晋平が椿の制服姿を褒めそやす声が聞こえてきた。晋平がカメラを探し、鶴子が椿の髪の毛を梳り、三つ編みにする。
しばらくして、カメラが見つかったようで、三人は庭に出てきた。
ツバキの木の下、牛鬼の社の横に立ち、記念写真を撮る。
「うちの息子と娘もね、こうして写真を撮ったのよ」
「椿ちゃんは、わしらの孫みたいなもんだからな」
鶴子と晋平の言葉が嬉しくて、椿は泣き笑いになって、二人に抱き付いた。牛鬼はそれを、社の中から見守っていた。
毎日、毎日、優しい日々。
この家は、椿のシェルター。
牛鬼と鶴子と晋平は、椿の心の拠り所。
だけれどこの世に、永遠に続くものなど存在しない。
中学の制服が体にすっかり馴染み、進学のための勉強に椿が力を入れ始めた頃のことだった。晋平が、老衰でこの世を去った。眠ったまま布団の中で、幸せそうに微笑んだ最後だったそうだ。
晋平の葬式以降、椿がこの家を訪れることが更に増えた。
泊まることも多くなった。
番いを失うと、追うようにいなくなってしまう。鶴子がそうなっては嫌だったから、まだまだ、鶴子と過ごしたかったから、椿は入り浸った。
「椿ちゃん、お料理がうまくなったわねぇ? 椿ちゃんの旦那さんになる人は、幸せだわ」
高校の制服を纏うようになった椿は、美しい娘に成長していた。
長年、鶴子の手伝いをして覚えた料理は、鶴子と牛鬼から太鼓判を押されるほどに腕を上げた。
「うし様……。この家がなくなったら、うし様はどうなるの?」
鶴子は毎日、元気に動き回っている。だけれど東京にいる娘と息子から、一人は心配だから一緒に暮らさないかと誘われていることを、椿は知っていた。
「この家がなくなれば、儂は存在理由を失う。消えるのだろうな」
淡々と告げられた言葉が、胸に刺さる。
鶴子は、己の子供からの誘いを断り続けた。この地にはまだ、友人がいる。夫も眠っている。新しい土地に行くには、自分は年を取り過ぎたというのが鶴子の答えだった。
「
しわくちゃの手に頬を撫でられて、自分勝手にも、椿は胸を撫で下ろした。
*
いつもと何にも変わらない、冬の日。
庭のツバキの花が美しく咲き乱れ、今年も一緒に見られたねと、鶴子と牛鬼と椿の三人で微笑み合った、数日後のことだった。
「おかえり、椿」
「うし様、ただいま。お夕飯、すぐ作るね」
「あぁ。鶴子は中にいるはずだ」
学校帰りに訪れた椿と、社の中で待っていた牛鬼のいつもの挨拶。
椿は家に上がり、鶴子の名を呼び、姿を探す。
「鶴子さん。ここで寝てたら風邪ひくよ」
鶴子がいつもいる部屋で、いつもうたた寝してしまう座椅子に、鶴子はいた。
いつものように、眠っているのだと思った。
「鶴子さん?」
肩に触れ、揺すって、嫌な予感で喉の奥が熱くなる。
「鶴子さん、鶴子さんっ」
起きないのだ。
鶴子が目を、覚まさない。
「椿、落ち着け。椿」
聞こえた声は、牛鬼の声。
振り向いた先、目が合ったのは、見知らぬ着物姿の青年。だけれど瞳を見て、すぐに彼だとわかった。
「うし様、鶴子さんがっ」
椿が強く揺すったせいで座椅子からずり落ちた鶴子の体。
椿の腕の中にいる鶴子の頬をそっと撫でてから、青年は鶴子の体を抱き上げた。
「日が暮れれば冷える。布団に寝かせてやろう」
歩きだした青年を追って、椿は、鶴子がいつも使っている布団を敷いた。
青年が、鶴子をそこへ横たわらせる。
「命あるものは、いつか失われる。鶴子の家族に知らせてやれ」
眠っているだけだ。少し深く、眠ってしまっているだけ。
そうだったらいいのに。
「うし様……鶴子さんが、起きないよ……」
「……椿が落ち着くまで、そばにいよう」
ぱたぱた涙を溢れさせる椿の背を、青年が遠慮がちに撫でる。初めて感じた彼の温もりに、もうどうしようもない気持ちになって、青年に縋り付き、大声で泣いた。
鶴子は、もう動かない。
彼も、椿の前から消えてしまう。
悲しくて、怖くて、つらくて。涙が止まらない。
「で、電話……しなっ、しないとっ」
「そうだな。儂はしばらく、この姿でいよう。だが、他の人間には視えんからな」
「は、はいっ……ぅ、くっ……ぅ、うし様、まだいて、消えないで、そばに、いて」
「いる。いてやる。だから」
今は頑張れ。
包んでくれる温もりと、聞き慣れた声。
椿はこくこく頷いて、立ち上がる。
消えてしまうのが怖くて、左手で彼の手を強く握った。
泣きながら、鶴子の家の電話から、あちらこちらに連絡する椿の傍らには、椿にしか見えない青年の姿。嗚咽を零し続ける椿を勇気付けるように髪を撫で、震える彼女の背に、彼は寄り添い続けていた。
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