第11話 姿形
「冷やうまやぁ」
蕩け出しそうな笑顔で、人型の牛鬼は頬に手を添えた。彼の左手に握られているのはカップに入ったジェラートで、隣では椿も、にこにこしながらスプーンを口に運んでいる。
「椿、そっちも食いたい」
催促された椿は己のジェラートをスプーンで掬い、牛鬼の開けられた口へと運ぶ。かぷりと口を閉じて味わうと、牛鬼はまた、幸せそうに笑った。
「こっちもうまい! ほれ、椿も」
「待って、多いよっ」
スプーンに山盛りにされたジェラートを口に突っ込まれ、椿は一生懸命、口の中で溶かす。そんな椿の口元には、おさまりきらなかったジェラートが付いてしまっていて、気が付いた牛鬼は笑いながら指先で拭い、それを舐め取った。
「うまいやろ?」
「キーンてする……」
拳でこめかみをさすりながら、椿は牛鬼に抗議の視線を向けるが、彼は気にせず楽しそうな笑顔でジェラートを頬張っていた。それを見て、仕方ないなぁという様子で笑った椿も、自分のカップの中身が溶ける前に、ちまちま食べる。
「東京は、珍しくてうまいもんがたくさんやな」
「お酒も飲めたしね?」
「あれはうまった! ずぶ? あーっと……草酒!」
「なんだっけ? ウシさんのお酒」
「渚にもっかい聞かなあかんな」
「そうだね」
空になったカップを捨てて、二人はまた手を繋ぐ。
今度は何を食べるかと瞳を輝かせた牛鬼を、夕飯が入らなくなると椿が窘めた。
「椿ぃ……だってな? こんなに食い物がたくさん売ってるやん?」
「だぁめ。また今度」
「そんな殺生なぁ」
「ダメだよ。お腹痛くなっちゃうよ?」
「痛くなんてならん」
「なるよ」
「ならんて」
「なるってば」
睨み合うこと、数秒。
折れたのは牛鬼のほうだった。
「ほんならなぁ、また今度、でぇとしてくれるか?」
「うし様の言うデートは、食べ歩きってことだね?」
くすくす笑う椿の姿に、牛鬼は首を傾げる。
「なんか間違うたか?」
「んー……? わからないけど、なんか違うと思う」
「ほんなら、どういうのが正しいんや?」
見つめ合い、二人同時に首を傾げた。
椿は己の頭の中にある知識で説明しようと試みたが、椿自身デートなんてしたことがない上に興味を持ったことすらないため、よくわからない。
「椿もわからんなら、えぇやん」
椿の手を引いて、牛鬼は歩き出す。
「正しくなくても、椿が笑えば、ワイは楽しい」
にかっと笑う牛鬼の横顔を見上げた椿は泣きそうに顔を歪め、すぐに蕾が綻ぶように笑った。赤混じりの琥珀の瞳は、潤んでいる。
だが牛鬼は周りを見るのに忙しいらしく、椿の涙に気付かない。
「あ、椿」
名を呼ばれ、繋いだ手を引かれた。
「見てみぃ。椿が好きなもんがたくさんや」
連れて行かれたのは本屋で、振り向いた彼は、曇りの無い笑顔。
「そうだね」
頷いた椿の微笑みは、微かに翳りを帯びていた。
***
あちこち周り、渚の店の手伝いに向かう二時間前には、食材の買い物をしてから家路に着いた。
食材の詰まったエコバックは牛鬼の右手にぶら下がり、左手は椿と繋いでいる。
のんびり歩く二人を、後ろから呼び止める声があった。
椿の名を呼ぶ声に振り向けば、そこにいたのは渚で、眉間に皺を刻んで二人を――人の姿でパーカーにジーンズを纏った牛鬼を、見ている。
「椿ちゃん、その人は?」
どこか警戒しているような渚の様子に首を傾げ、隣を見上げた椿は「あ」と声を上げた。
「おー、渚やん」
牛鬼は呑気に笑っていて、見覚えの無い青年に名を呼ばれた渚の表情は益々、険しくなる。
「渚さん、あの……彼は、うし様です」
「…………え? 何て?」
聞き間違いだろうかと、渚は聞き返す。
「大きくなった、うし様です。今は、視えない人にも視える姿をしているんです」
暫しの沈黙。固まってしまった渚を伺う椿と牛鬼の視線の先で、渚は呟いた。
「妖怪、すげぇ……」
納得してくれたらしき渚も一緒に、政弥の部屋へと帰る。
まだ政弥は眠っているようで、室内は静寂に包まれていた。
だが、渚が勢い良く寝室のドアを開けて政弥を叩き起こす。起こされた政弥は不機嫌に唸り、のっそり動いてスマートフォンで時間を確認すると、更に不機嫌になって渚を蹴飛ばした。
「こんのクソ野郎っ、起きろ! 椿ちゃんが大変だ!」
蹴られた渚は拳で報復して、殴られた政弥は不機嫌丸出しで目を開ける。
「誰だ? その男」
地を這うような低い声。
一般的な感覚の持ち主ならば恐怖で震えてしまうような声音なのだが、ここにいる誰も、一般的には当てはまらない。
「うし様です」
「人間に化けたんや」
椿と牛鬼の言葉で、政弥はゆっくり体を起こした。人型の牛鬼を睨みながら、首の後ろをゆっくり二回さする。
「……渚にも視えんのか?」
渚が肯定すると、政弥は牛鬼の姿を上から下まで観察して、パタリとベッドに倒れた。
「あー……頭回んねぇ。とりあえず、声も喋りもぬいぐるみと一緒だ。椿がそれを牛鬼だってんなら、そうなんだろうよ」
渚に納得しろと告げ、政弥は三人を追い払うように手で、出ていけと示す。
不満げながらも渚は従い、椿と牛鬼と共に寝室を出た。
帰ってすぐ引っ張るようにして寝室へ連れて行かれたために、牛鬼の手には、まだエコバックがぶら下がっている。渚は顎を撫でながら牛鬼を見て何か考えている様子だが、食材を冷蔵庫に仕舞わなければと、椿はエコバックを牛鬼から受け取り台所へと向かう。
渚に観察されている牛鬼は、人型のままでドサリとソファに腰を下ろした。
「うしくん?」
「なんや」
不思議そうに首を傾げた牛鬼からの返事を得て、渚の顔は、喜びで輝く。
「その姿なら俺とも話せるんだね? 常にそれでいればいいのに」
人の姿をしているほうが何かと便利ではないのか。渚の言葉に、牛鬼はゆるゆると首を横に振って否定を示した。
「視えんもんに視せてる状態でずっといると、面倒を呼び込みかねん。それに」
背後へ視線をやり、牛鬼は台所にいる椿を瞳に映す。
「ぬいぐるみやないと、遠いんや」
落とされた言葉と共に、牛鬼の姿は渚の目には視えなくなってしまった。
だけれどソファの上には牛のぬいぐるみに戻った牛鬼がいて、渚からは視えないだけで、そこに存在している。
「君と、通訳無しで話すのは楽しそうだ」
「そうやなぁ……そのうち、またな」
牛鬼の声は渚の耳には届かなかったけれど、渚は優しく穏やかに微笑んだ。
そんな二人のもとに椿が戻り、牛鬼が座っていたソファのそばで、何かを受け止めたようによろけた。その姿を見て、確かに人間の男の姿でそんなことは出来ないだろうなと、渚は思う。
渚の視線の先では彼が想像したとおり、ぬいぐるみ姿の牛鬼が椿の腕の中に飛び込んで、頬を摺り寄せ甘えていた。
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