第8話 椿と牛鬼

 政弥は無言で、寄り添う椿と牛鬼を眺めた。

 牛鬼の姿が視えていない渚は不思議そうではあるが、椿の様子を見て、沈黙を守っている。


「ワイが椿に取り憑いたんや。忘れ去られて消えるんが嫌で、ワイが、椿を利用してる」


 自嘲気味だが優しい声音で告げた牛鬼は、椿の頬を優しく撫でた。血色の瞳は、穏やかな温もりを宿している。

 視えて聞こえている政弥は、二人の関係は、どうやら利害の一致のようだなと思った。

 互いに孤独が嫌で、己の存在のために互いを縛る。


「んー……俺には、うしくんの声が聞こえないから、よくわかんないんだけどさ。寂しいのが嫌なら一階においでよ。俺、ここの一階でバーやってんだ。うしくん、おはぎ食えたんだから酒も飲めるだろ? 好きなら奢るよ。椿ちゃんにはノンアルコールカクテルね」


 にこにこ笑う渚の言葉に、椿はきょとんとして、牛鬼は食いついた。


「酒は大好きや! 鶴子がいなくなってからは酒のお供えがのうなってなぁ。十七になっても酒が飲めない上に買えないやなんて、ごっつぅ不便になったわぁ」


 椿のもとから踊るように駆け出して、牛鬼は渚に纏わり付いている。それを見た椿の表情が緩み、政弥も、目元を優しくする。


「酒は大好きだと。洋酒はイケるのか?」


 渚に牛鬼の言葉を通訳してから、政弥は牛鬼に酒の好みを尋ねた。牛鬼はパッと政弥へ振り向き、満面の笑みを見せる。


「ういすきーっちゅうのんは鶴子がくれて飲んだがなぁ、ワイはやっぱり日本酒が好きや! 焼酎もえぇな」


 政弥の通訳を挟みながら、渚と牛鬼は酒の話に花を咲かせ、渚は牛鬼に酒を奢る約束を交わしていた。

 昔、守り神となる約束を交わした最初の家主とは友人で、よく二人、酒を酌み交わしていたのだと牛鬼は懐かしそうに目を細めて語る。

 牛鬼を視える者がいなくなってからは、たまにお供えされる酒をチビチビと飲み、椿に取り憑いてからは、椿が酒を手に入れられずに飲めていなかったのだ。


「椿ちゃんさ、うちでバイトしない? 仕込みや買い出しのお手伝い。バイト代も出すよ」


 住む場所が見つかったら次は収入源を確保しないとねとウィンクした渚の言葉に、椿は、政弥と渚の顔を交互に見て、答えに詰まっている。

 それを見て、政弥は静かに口を開く。


「遺産以外で、金の当てはあるのか?」

「ない、です」


 静かに答え、椿は目を伏せた。

 ないからこそ、椿は飼い主を探していたのだ。金があっても、未成年である椿は保護者がいなければ家を借りられない。保護者のサインがなければ、普通の仕事を探すのも困難だった。何より身分の証明が、椿にはできない。

 自分は何をされても構わない。飼われて、雨露をしのげる家と生きるための術を確保したかった。生きなければならなかった。


「これも何かの縁だろう。当てがないなら、頷いておけ」


 牛鬼の声が聞こえ、視えたために生まれた縁。

 あの時、公園で話を聞いた後、政弥には見捨てるという選択肢もあった。

 だが、そうすれば椿は、また誰かに声を掛けていたのだろう。次に声を掛けた相手が善人とは限らない。政弥自身、決して善人と言えるような人間ではないけれど、後味の悪い思いをするぐらいならば、住む場所くらい自分が提供出来ると思ったのだ。

 少し普通とは違う稼業をしているため、ともすれば手伝いとして使えるかもしれないという打算もあった。


「何でもします。頑張ります。よろしくお願いします」


 深く頭を下げた椿を見て、渚は優しく微笑み、よろしくと返す。

 政弥は、頭を下げる直前の椿の瞳の奥に、仄暗く、それでいて力強い光を見た。こういう目をする人間は、生きるためなら何でもする。それが、たとえ他者を蹂躙する行為だとしても、やってしまえる危うさがある。普通の、ぬるま湯に浸かった一般人とは、少しだけ違う。政弥と同じ側の人間の目だ。

 袖振り合うも他生の縁。奇妙な拾いものたちを眺めながら、政弥の頭の中には、そんな言葉が浮かんでいた。



 ***



 バニラのような甘い香りがすると、椿は思う。

 この香りは、渚自身から香ったのと同じ匂いだ。香水とは違う、少し煙の匂いも混じったこれは、渚の吸う煙草の香り。渚が咥えている煙草の煙を眺めながら、椿は香りのもとを発見した。


「ん。サイズは大丈夫だね。いやぁ……遊びで作った女の子の制服、使う日が来るなんてなぁ」


 満足げに笑った渚の視線の先で、椿は自分の服装を見下ろす。

 ふわり揺れる黒の膝上丈のスカートに黒ベスト、七分袖の開襟シャツは白。ストッキングと、足首にストラップのついた黒のローヒールパンプスは、渚と共に出掛けて買ってきた物だ。


「似合うが、髪が味気ないな」


 腕を組んで見下ろしてくる政弥の感想に、椿は一本に縛った自分の髪に触れる。髪飾りなど持っていない。どうしたものかと椿が無言で思案していると、渚が棚を探り、何かを持って戻ってきた。


「昔の女の忘れ物なんだけど、椿ちゃんが嫌じゃなければ使って。今度かわいいの買ってあげる」


 ちょっと触るねと告げた渚が背後にまわり、椿の髪を解いてから纏め直して、くるくる捻じる。パチンという音と共にバレッタが留められて、それを見た政弥が頷いた。


「いいんじゃねぇか?」

「せやなぁ! 椿はいつも別嬪さんやけど、更に別嬪になったわ」


 政弥の肩に座っている牛鬼の感想に、椿はほんのりと笑う。

 今、椿たちがいるのは、二階にある渚の部屋だ。

 間取りは三階と同じ。だけど家具や小物で、雰囲気が全然違う。香りも、渚が吸う煙草の香りがする。

 渚の部屋を見て、部屋の中は部屋の主そのものをあらわしているかのようだなと椿は思った。

 政弥の部屋には、長く使われている物ばかり。特にこだわりはないようで、貰い物や拾い物で構成されている。

 渚の部屋は色々な物があるが、全てが装飾の一部として配置されている。家具も選び抜かれた物が置かれているようだ。


「それじゃあ、椿のことは頼んだ」


 政弥が渚に告げて、椿にちらりと視線を向けてから背を向ける。

 牛鬼は政弥の肩から跳び、椿の腕の中へとおさまった。


「あ、あのっ……政弥、さん」


 椿が呼び止めると政弥は足を止め、振り向いてくれる。背の高い政弥のタレ目を見上げて、椿は言葉を紡いだ。


「お仕事、頑張ってください」


 政弥の目元が、ふっと綻ぶ。


「お前も頑張れよ」


 大きな掌に頭をぽんぽんと撫でられて、椿の胸にはじんわり、温もりが宿った。

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