第7話 ツバキの木の根

「おはぎ、おはぎ、おはぎ、おはぎ」


 椿は政弥の隣。牛鬼は渚の隣。そして渚には、隣にいる牛鬼の姿が見えていない。

 状況を理解して、政弥は再び、後頭部を乱暴に掻く。


「こいつ、見えないのか?」


 テーブルの上で足を投げ出して座っておはぎを催促している牛鬼を、政弥は指差す。

 顔を引きつらせた渚は、政弥の指差す先を確認してから頷いた。


「何? やっぱ幽霊なのか?」

「いや、今回は妖怪」

「神様です!」


 不満そうな椿には苦笑を向けただけで言葉を濁し、「まぁ、そんなようなものだ」と政弥は告げる。


「マサ、説明求む」

「説明より、ワイはおはぎを所望する! なぁ椿ぃ、これは絶対うまいやつやてぇ」

「うし様、しーっ」


 椿に窘められた牛鬼は、今度は政弥に潤んだ瞳を向けた。餌を前にして待てを食らっている犬のような瞳だ。


「食いながら話すか」


 政弥が溜息を吐き出すと牛鬼は、椿が湯呑みと一緒に用意した皿と箸を己の前に引き寄せた。取り分けろと視線で主張され、政弥は四つの皿に一つずつ、おはぎを置いて配る。


「うま、うま、うま」

「うわっ、箸が浮いてる! おはぎが宙に消えてく! 何コレ? 何がいるんだ!?」


 軽いパニックの渚は牛鬼から距離を取って怯えている。

 渚の目に見えているだろう光景を想像すると可笑しくて、政弥は噴き出して笑った。


「そこには、こんくらいの牛のぬいぐるみがいて、おはぎを食ってる」

「はぁ?」


 政弥は両手を使い、牛鬼の大きさを表現する。成犬のチワワくらい。子供が両手で抱えられるくらいの大きさを示した政弥の手元を凝視して、渚は更に顔を顰めた。


「牛鬼って妖怪、聞いた事くらいあるだろう? それが居て、どうやら椿に憑いてるらしい」


 椿はというと、口を挟まずに、もくもくとおいしそうにおはぎを口に運んでいる。

 牛鬼は早々に食べ終わってしまい、手付かずのままの渚のおはぎを狙って椿に小声で怒られていた。


「お祓いの依頼ってこと?」

「俺は見えるだけで祓えない。椿と牛鬼、ここに住ませる事になった」


 昨日から今までの経緯を話して聞かせると、渚は呆れの溜息を吐き出してから、苦笑を浮かべる。湯呑みや茶葉の謎も解明されて納得したようで、冷めた茶を飲み、おはぎを口に運んだ。

 政弥も自分のおはぎに手を付け、物欲しそうにしている牛鬼の皿にもう一つ、おはぎを置いてやる。


「なんや、見えんくせにあっさり信じるやっちゃな?」


 もう一つ貰えたおはぎに顔を輝かせ、喜んで頬張りながら牛鬼は、隣の渚を見上げた。渚も、宙に消えるおはぎが面白いらしく、牛鬼がいるだろう場所を楽しそうに観察している。


「昔から俺が幽霊だとかを見ていたから、こいつは慣れてるんだ」

「なるほどな。せやけど、幽霊なんかと一緒にされたら堪らん。ワイは、牛鬼っちゅう存在や」

「ちょいマサ、通訳。俺も妖怪の話、聞きたい」


 ふと心配になり、政弥は椿の表情を確認した。微かに顔が歪められただけで、妖怪呼ばわりの訂正は諦めているようだ。


「牛鬼っていう存在だから、幽霊と一緒にするなだとさ。ちなみに妖怪でもなく、荒神って呼ばれる神様らしい」


 これで合ってるかと視線で問うと、政弥を見上げた椿が嬉しそうに、小さく微笑む。


「うし様は、老いたツバキの根。神様の化身なんです。家の守り神でした」

「椿ちゃんの家の?」


 おはぎを食べ終わった渚の言葉に、椿は首を横に振って否定を示す。


「近所のお家のです。とっても大きなツバキの木があって、その根本にお社があって、ずっとその家を守っていたそうです」


 だけどと、椿は瞳を伏せる。


「家の人が亡くなってしまって。住む人がいなくなってしまったから、息子さん達がお家を売って、木も家も、失われてしまいました」


 老いた夫婦が住む家だった。

 息子と娘がいたが、子供たちは二人とも東京で、それぞれの家庭を持っていた。

 孫にも恵まれて、大きな休みがあるとその家には家族が集まるような、温かくて幸せな家。牛鬼は、その家を気の遠くなるほどの長い間、庭の小さな社から見守っていたのだ。

 遠い遠い日の約束で、そこに縛られ、独りきり。

 見える者もいなくなり、忘れ去られつつあった牛鬼の社。存在を見つけてくれたのは、嫁いで来た都会の娘だった。


「鶴子さんっていうお婆さんがいて、鶴子さんは、うし様を見る事は出来なかったけど……毎日欠かさずお供え物をして、掃除をして、うし様に話し掛けていて……私にも、色々な事を教えてくれたんです」


 ツバキの木の下で出会った温もり、友人。

 もう、会えない。


「木も守る家もなくなったのに、なんでこいつは、ここに存在してるんだ?」


 何気なく発した政弥の問いに、椿の顔が悲しげに歪んだ。

 牛鬼はテーブルの上を歩いて渡り、椿の膝の上に立って両手を広げて、手を伸ばす。


「縛ったの。私に。独りが、嫌だから」


 広げられた蹄の両手に頬をすり寄せて、椿は牛鬼の体をそっと、抱き締めた。

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