第6話 キミばあさんのおはぎ
政弥の家にはテレビが無い。
開いた窓の向こうから聞こえる音をBGMにして、政弥はゆったり、煙草を味わう。椿は台所で片付けをしていて、牛鬼が彼女の頭の上に陣取り、それを眺めている。
椿と牛鬼の後ろ姿を瞳に映しながら、政弥はぼんやり思う。
素材は悪くないというのに、椿は飾り気のない娘だなと。
長い黒髪は、味気ない黒ゴムで一本に縛られているだけ。服も今のところ、今着ているデニムとベージュのパーカーと、どこにでも売っているようなスニーカーしか政弥は見ていない。
彼女の持ち物であるスーツケースはやけに重たかったが、寝る時もパジャマに着替えるでもなく、ずっと同じ服を着ている。
言葉に訛りはない。
訛りがないということは、彼女の出身地を推測するための要素が一つ減る。
服装にも特徴がない上に、スーツケースすら、何の変哲もないダークグレー。
目立つ特徴といえば、牛のぬいぐるみの姿をした牛鬼という妖怪が憑いているという点だ。それと、彼女が昨日口にした、
聞き慣れない言葉を調べてみようとスマートフォンを手に取り、インターネットで検索してみる。
「政弥さん、お夕飯は何時がいいですか?」
片付けを終えて戻ってきた椿に問われ、政弥は、スマートフォンの画面から目を上げる。
「仕事で、夕方には出る。帰ってから食べるから、残しておいてくれるか?」
「はい。何か食べたい物はありますか?」
考えてから煮物がいいと答えた政弥に、椿は穏やかに微笑んで了承の返事をした。スーツケースから一冊の分厚い本を取り出すと、政弥の向かいのソファの端に腰掛ける。
「その本……」
「はい?」
「中身、本か?」
視線でスーツケースを指すと、椿は頷く。
「着替えも、少し」
少しということは、ほぼ本が詰まっているらしいと察して、政弥はスーツケースの重さの理由に合点がいった。
年頃の娘の持ち物が本ばかり。今度、服でも買ってやるべきかと考えながら煙を味わい、スマートフォンに視線を戻す。と、黒い塊が画面を覗き込んでいた。
「なぁこれ、みぃんな手に持って睨みながら歩いてんな?」
「そうだな」
「これ、なんなん?」
「スマホだ」
「すまほ? ……なんか映っとる。テレビとちゃうんか?」
「電話だよ。持ち運べるパソコンだ」
「電話パソコンかい! けったいなモンがあるんやなぁ! 何をそんな一生懸命睨んどるん?」
「……ニュース読んだり、ゲームしたり、メールしたりじゃねぇか?」
「ふぅん。……げぇむ?」
牛鬼があまりにも興味津々で覗いてくるものだから、政弥はゲームアプリを一つ、起動してやった。
「ほぇー……楽しいんか?」
「まぁ、暇潰しだ」
「なんや目ぇがチカチカしよるなぁ」
不満げに呟いた牛鬼は興味を失ったのか、今度はぽてぽて歩いて窓へと向かう。壁をよじ登って窓の前に陣取り、そこへ落ち着き外を眺め始めた。
「マサ、入るぞ」
政弥が煙草を揉み消したところで玄関の戸が叩かれ、開けられた。顔を出したのは、着崩したシャツにノーネクタイで髪を下ろした、ラフな格好の渚だった。
「…………美少女誘拐?」
ソファの上で膝を抱えて本を読んでいる椿を見た渚の第一声に、政弥は顔をしかめる。
「昨夜話した、拾いもんだ」
「あぁ、なんだ。ちゃんと人間じゃん。あんな言い方するから、また幽霊なのかと思った」
椿に歩み寄ると、渚は人好きのする笑みを浮かべた。
「どーも。俺、井口渚。ここの下に住んでんの」
「はじめまして、椿です」
「椿ちゃんね。どーぞよろしく!」
差し出された手を取る椿の表情は、固い。渚が女に警戒されるなんて珍しいなと感想を抱きつつ政弥が用向きを尋ねると、渚は手にしていたコンビニ袋を掲げて見せた。
「煙草買いに行ったらさ、キミ婆さんが、おはぎくれたの。お前の分も一緒にくれたから持ってきた」
「お、サンキュ」
「椿ちゃんは、おはぎ好き? たくさんあるから一緒に食べない?」
「ありがとうございます。お茶、淹れますね」
隣に座った渚から逃げるように立ち上がり、椿は台所へと向かう。その背をぼんやり見送って、そういえば牛鬼はどうしたんだろうと政弥が視線を巡らせると、窓辺から、牛鬼の姿が消えていた。
がさりと音がして目を向けた先、テーブルの上に、牛鬼はいた。おはぎの入った袋を覗き込み、涎を垂らさんばかりの顔をしている。
「うし様、お行儀が悪いよ」
湯呑みを四つ、お盆に乗せて戻ってきた椿に窘められた牛鬼は、キラキラ輝く瞳を政弥へ向けた。自分の分はあるのかという無言の問い掛けに、政弥は同じく無言で、小さく頷く。
「うしさま? それに湯呑みが四つ……てか湯呑みなんて、ここにあったか? 茶葉すらなかっただろ」
眉をひそめた渚を見て、政弥は後頭部をがりがり掻く。
「椿。買い物、どれだけしたんだ?」
まずは椿だと判断して、政弥は厳しい視線を椿へと向けた。
食事の時に使った皿の数といい、茶を淹れる道具にお盆。しかも湯呑みが四つ、揃った物が当然のように出てきた。今日だけで何万円を使ったのか、確かめる必要があると感じたのだ。
「一通り。生活出来るだけの物を買いました。ここは何かの事務所のようだったので、来客時に困らないように、湯呑みとグラスは、余分に」
「調理器具や調味料も買ったんだろう? 一体、何往復したんだ? いくら使った?」
「往復はしていません。そんなに高い物も買っていません」
「あれだけの量、往復せずにどうやって運んだ?」
「うし様が大きくなって、持ってくれました」
「大きく……」
呑気に茶を啜っている牛鬼を見下ろして、政弥は、大きくなったぬいぐるみを想像する。
「なぁ、話の腰折って悪いんだけどさ……聞きたいこと、いっぱいなんだけどさ。一番、聞きたいのは――」
恐る恐るという感じで、渚が手を挙げて存在を主張する。
渚の視線は、牛鬼が両手で器用に持ち傾けている、湯呑みへと向けられていた。
「その湯呑み、なんで浮いてんの?」
渚の言葉で政弥の頭に浮かんだのは、街中を歩く椿の隣で宙に浮く、大量の鍋や食器と食材だった。
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