第2話 牛と少女と大男
モヤイ像のそばでは注目を集め過ぎてしまったため、二人(と一匹?)は南口を離れ、明治通りを歩いて線路沿いの公園へとやって来た。
夏の始まりを告げる蝉の声を聞きながら、ベンチの端と端に、少女と男は腰掛ける。
公園に来る途中の自動販売機で男が買ってくれた缶ジュースを開けようとして少女が手間取っていると、ぬっと伸びてきた大きな手が缶を奪い、カシュッという小気味いい音を立ててプルタブを開けてから少女へと手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「あぁ。……で、家出か?」
冷えた炭酸を一口飲んで、炭酸が喉を通る感覚に少女は驚く。微かに顔を顰めた少女の反応を見た男は首を傾げ、二人の間に座っていた牛のぬいぐるみが少女の膝に飛び乗って缶を奪い、ごくごく飲んだ。
「ぬぁっ! 奇怪な喉越しやな!」
「喉が痛い……」
大喜びで炭酸ジュースを飲む牛と、牛から手渡されて、もう一度挑戦してみる少女。彼女たちの様子を眺めながら男は、奇妙なものと関わってしまったなと、ぼんやり考える。
「炭酸、初めてか?」
こくんと頷いただけの少女の代わりに、牛が小さな体を大きく動かして肯定した。
「こんなん、鶴子の家にも椿の家にもなかったな?」
「鶴子さんが、骨が溶けるからダメって」
「なんやこれ、骨溶けるんか!?」
でも、うまい。そう言って牛はぐびぐび喉を鳴らして飲み、少女はそれを黙って見ている。
男は、少女の間違った知識を正すべきか躊躇ってから、ゆっくりと口を開いた。
「それは、ただの都市伝説だ」
「ほかほか。ほれ椿、お前も飲め」
「うん」
牛から受け取った缶に口を付け、こくこく動く白い喉を横目で眺めながら、男も己の手の中の缶コーヒーを開けて煽る。
木々の隙間から零れ落ちる日差しの下、黙って喉を潤し、空になった缶を少女から受け取った男はゴミ箱へ向かった。すると、ガラガラ音を立ててスーツケースを引きずった少女が、片腕に牛を抱えて追い掛けて来る。
「逃げない。待ってろ」
ぶっきらぼうな男の言葉に頷いて、少女は大人しくベンチへ戻った。
肩に届くくらいまで伸びた髪を掻き上げ、男はそっと、溜息を吐く。
ベンチから離れた場所に設置されているゴミ箱へ缶を捨ててすぐ、男は少女のもとへと戻った。不安げに見上げてくる少女の視線を受け止めながら再びベンチに腰掛け、男が話しを促す。
「私は椿。彼は、
必死な様子の少女に距離を詰められて、男は微かに体を仰け反らせた。
「飼い主ねぇ……」
男の呟きに、椿と牛鬼は同時に二度頷く。
四対の瞳から注がれる期待の眼差しが、痛い。
どうしたものかと考えながら椿の顔を眺め、男は、彼女の瞳が日本人らしくない色合いを持つことに気が付いた。黄色を帯びた甘い飴色に、血を一滴垂らして混ぜ合わせたような色の瞳。
「年は?」
「うし様は」
「お前の年」
「…………十七、です」
気まずげに、視線が逸らされる。
伏せられた睫毛は黒々としていて長い。鼻筋はすっと通っていて、眉の形も綺麗だ。
「親は?」
色艶のいい唇を噛んで、椿は黙る。
「親は?」
同じ質問を繰り返すと、椿は牛鬼の体をきゅっと抱き締め、その首筋に顔をすり寄せた。
「……死にました」
牛鬼だけが、見極めようとしているかのように、男を真っ直ぐ見つめている。
「家は?」
「……ないです」
顔を伏せたせいでくぐもった声を聞きながら、男は牛鬼の赤い瞳と、長い黒髪に包まれた少女の頭を交互に見やって、また一つ、溜息を吐く。
「学校は?」
「辞めました」
「どうして?」
「通えないからです」
「後見人は?」
「いません」
「いないわけないだろう。未成年なんだから」
「いないんです。私、いらない子供だから」
声は震えていない。淡々と事実らしきことを告げる椿はまるで、腕の中の牛鬼に縋り付いているようだ。
男は腕を組んで、今度は牛鬼を観察してみる。
「牛鬼ってのは、妖怪だろう?」
「まぁな」「違います。彼は神様」
二人同時の、違う答え。
男は顔を顰め、そんな男の表情を見上げた椿が、神様なのだと再び主張する。
今度は、牛鬼は黙っていた。
「
微かに震えた声。親のことを答えたときには冷たかった声に、悲しみという温度が滲む。
「話が逸れている。男、お前は椿に、家を与えてくれるのか?」
似非関西弁をやめた牛鬼が発したのは、真剣な声だった。
赤と、赤混じりの瞳に見つめられ、男は唸る。
鼻から大きく息を吸い込んで、おもむろに立ち上がった。
「
名乗った男が顎をしゃくり、椿のスーツケースを引いて歩きだす。
椿と牛鬼は顔を見合わせて、牛鬼が頷いたのを確認してから椿は微笑み、急いで男を追い掛けた。
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