第40話『二つの条件』
こうなる気がしていた。
いや、こうなることは分かっていた、というのが正しいのだろう。
「いやっ! 死なないで!!」
体に重さが加わる。
誰かが、倒れている俺の体に覆い被さって来たらしい。
だがその身体を抱きしめようとしても、腕が上がらなかった。
「お願いだから! もう、わがまま言わないから!!」
俺は、涙で顔を歪ませているであろうルビーの
だがルビーが泣いていることは分かっても、実際にその顔を自分の目で見ることは叶わなかった。
既に目が
「いや、いやよ……。お願いだから、死なないで……」
視覚だけではなく、聴覚まで鈍くなっていくのが、段々と遠くなっていくルビーの声で理解出来た。
——そうか。もう、終わり、なのか。
そんな考えが脳裏をよぎると、俺は自身に下された運命の審判を受け入れるしかないことを悟る。
——つくづく、運命ってのは残酷だ。
目が見えず、声も聞こえず、体も動かせない。
——最期に祈ることさえも許されないとは。これが背負った十字架の重さか。
思考だけが存在する世界で俺は言葉を探す。
俺の愛したルビーへ向ける、最期の言葉を。
もう動かせなかったはずの腕に最後の力を込める。
目は見えていないが、温もりだけは感じられた。
俺はその温もりを確かに抱きしめると、この世界に来てから何度も感じた温かさに心からの幸せを感じた。
自身の体に覆い被さるその細い身体をゆっくりと抱き寄せると、耳元でただ一言呟く。
「——愛してる」
その言葉を振り絞る様に吐き出すと、全身から力が抜けていくのが分かった。
もう誰の声も届かない。
何の音も聞こえない。
匂いも。重さも、分からない。
そして俺は、幾度となく繰り返された死の終わりを迎えた。
△▼△▼△▼△
カノアが目を覚ますと、何もない世界だった。
白一色の、何処かで見たことがあるような世界。
「やっと来たか」
カノアはその声に振り向く。
そこにはアノスが立っていた。いや、地面などは存在しない、空との境界も無い世界。
そこに居たという表現が正しいだろう。
「アノスさん、ここは……」
「ここが何処かなんてのは些細な問題だ。それよりも、残された時間はそんなに多くない。さっさと話を進めるぞ」
「話、ですか?」
そして、アノスは喋り出す。それは途方もなく長い旅路を歩くように、ゆっくりと、一言ずつ。
「この世界には、奴らが仕組んだシナリオってものが存在する。それは定められた結末に向かいながら収束していくようになっているんだ」
シナリオ。それはカリオスやゲブラーも確かに言っていた言葉。
だが、世界の運命を、世界の行く末を、たかが人間が決められるものなのだろうか。
「そして、そのシナリオを進める過程で不都合が発生すれば、ループが発動してもう一度同じ日をやり直す。奴らはそれを、自分たちの望んだ運命が訪れるまで修正しながら何度も繰り返している」
「どうしてそんなことが起きているんですか? あいつらはいったい何者なんですか!?」
アノスはフッと笑うと、カノアをなだめるように笑う。
「そんなに一度に質問するな」
「……すみません」
そしてアノスは再び語る。
「まず、シナリオとやらについては俺もよく分らん!」
あまりにも
「ただ、奴らには何か目的があって、それを果たすためにシナリオとやらに沿って動いているようだ。そしてループという、同じ日を何度も繰り返す能力のようなものを持っていて、この世界はそれに巻き込まれている、と言ったところだな」
「俺も、その辺りの情報までは手に入れています」
「流石だな」
カノアが既知の情報だと平然と言うと、アノスは相変わらず賢い奴だと感心する。
だが——、
「んじゃ、お前がそのループを断ち切れるって話については、お前自身は何処まで知っているんだ?」
アノスは悪ガキのようなニンマリとした笑顔でカノアに問い掛けた。
「なっ!? どうしてアノスさんがそれを!?」
「くくっ。流石にこれは驚いてくれたか」
カノアの驚いた表情を見て、アノスは嬉しそうに笑う。
「笑い事じゃありません! 俺はこの国に来てからその力を使っていない。ましてや、俺自身でもあの力は自由に使えないんです!! なのに、どうして見たことも無いアノスさんがそのことを知っているんですか!?」
カノアはあまりにも理解の及ばないアノスの言動に、しがみつくように質問を投げかけた。
だがその時、カノアたちの居る空間が揺らぎを起こす。
大地も空も無いはずの世界で、空間だけがその崩壊の兆しを見せ始めたのだ。
「っと、急がねぇとここもダメみたいだな」
アノスは辺りを見回してそう呟いた。
「アノスさん、教えてください!! あなたが知っていることを!!」
カノアは時間が無いと言われ焦りを見せる。だが、アノスは突き放すようにカノアに言い捨てた。
「聞けば何でも答えが返って来ると思うのは子供の発想だ。お前はここまで自分の力で辿り着いたんだろ? このまま自分の力で最後まで辿り着いてみせろ」
「どうしてですか!? そんなことを言っている場合じゃないでしょう!!」
「そんなことを言わなきゃいけない状況なんだよ。お前は、自分の力でこの運命を、この負の連鎖を断ち切らなきゃいけないんだ。運命を断ち切る運命。それが、お前の背負っている十字架なんだ」
「俺の背負っている、十字架……?」
「さて、時間も無いことだ。お前に伝えなきゃいけない本題に入るぞ?」
「本題? 何の話ですか?」
「お前の能力についてだ」
アノスはそう言うと、上を見上げる。
何もない空間。空も無く、見上げた先にもただ白い空間だけが広がっていた。
アノスはそこに向かって言葉を投げかける。
「——居るんだろ?」
アノスの呼びかけに応じるように、何もない空間に声が響いた。
——英雄よ。
「この声は!」
カノアはその声に、記憶の片鱗が呼び起こされる。
メラトリス村の孤児院が襲撃されたあの日、そしてキュアノス王国の研究所でループを断ち切った時、その声はカノアに語り掛けて来た。
「さぁ、監視者よ。ついに俺の盟約を果たす時が来た。……準備は、良いな?」
——良かろう。
「アノスさん! 待ってください! 何をしようとしているんですか!?」
「良いか、カノア。さっきの話の続きだ。お前のループを断ち切る能力の発動には二つの条件が必要だ」
「……二つの条件?」
「一つはループの条件、つまり破壊の対象となる『ループのトリガー』をお前自身が認識すること。壊すもんが分からなきゃ能力も発動しないってことだ」
それは今回で言えば、町の人間の魂が復活するように、彼らの死因をルビーが認識することだ。
死因を認識することで、ルビーは事象を捻じ曲げそれらを無かったことにした。
「……もう一つは何ですか?」
「もう一つは対価だ。お前の持つその力は、人が持つには過ぎた力だ。むやみやたらに発動出来るものじゃない。発動には、それ相応の対価が必要になる」
「対価、ですか? いったい何を対価にすると言うんですか?」
カノアの問いに、アノスは少し
「魂さ。それも、神に選ばれた者の魂だ」
「神に選ばれた? まさかルビーの!?」
「いや。確かにあの子も神に選ばれた子だ。だが、あの子は大罪の力と結び付けられるために選ばれた存在。俺の言っている意味とは違う」
「じゃあいったい誰のことを——」
「目の前に居るだろ? 今、お前の目の前に」
アノスはジッとカノアを見据える。その視線に、カノアは自分でも否定したくなるような感情が湧き上がって来る。
「……冗談、ですよね?」
「冗談なものか。お前の中にある黒き力。そして神に選ばれし聖なる魂。これらが混ざり合うことで、お前は運命を断ち切る力を発動することが出来る。カノア、俺の魂を対価にして、運命を断ち切るんだ!」
「ふざけないでください! あなたの魂を対価に力を? 俺にそんなことが出来るわけがないでしょう!!」
「おいおい、まさか怖気づいたのか?」
「そういうことじゃありません! 何故あなたを犠牲にする必要があるんですか!?」
「大いなる力には大いなる責任が伴う。お前の力はいずれ神をも殺す。そんな大それた力が、対価も無しに簡単に使えるわけがないだろ?」
神をも殺す、と聞き、カノアは自身の目的を思い出す。
神や運命に立ち向かい、失った友人の命を救う。だが今はそれだけではない。ティアやアイラ。この世界で自分を助けてくれた仲間たちを絶望の運命から救い出すことも、いつしかカノアは背負っていた。
「しかし……」
その仲間たちには当然アノスも含まれている。
短い時間ながらも、自身を成長させてくれた師匠とも呼べる存在。
カノアは、その大切な人の魂を犠牲にする選択を迫られる。
「なら全員あの場で死ぬか? それとも全て最初からやり直すか? 望んだものがあれもこれも手に入る程、世の中ってのは甘くないんだよ」
アノスは突き放すように言い捨てた。
カノアはアノスの言っていることは理解出来る。だが、理屈じゃない。簡単に切り捨てて良い命など、何処にも無いのだから。
アノスがカノアを急かすのと同じように、何処からか声が聞こえてくる。
——境界の担い手、
「俺は……」
苦悶の表情を浮かべるカノアに、アノスが語り掛ける。
「カノア。お前には教えたはずだ。覚悟を決めている時間を敵がくれると思うなってな」
「他に何か手は無いんですか!?」
カノアは悪あがきをするようにアノスに訴えかけた。
「それがあれば、誰がこんな苦労買ってやるかよ。——それに、俺は元々今日死ぬ運命にあったんだ」
「どういうことですか……?」
「知っていたんだよ。何もかも、最初から、な」
「何もかも?」
「俺が今日死ぬことも。あいつらがルビーを利用してこの惨劇を引き起こすこともだ」
「それなら、どうしてこんな結末を選んだんですか!? ループに気付けていたなら、リアナさんを連れて逃げることだって、ルビーを助けることだって、アノスさんの強さなら出来たはずでしょう!!」
「それだけじゃダメなんだ。いや、ダメだったんだ」
「どういう、ことですか?」
「俺が何も試さなかったと思うか? 何度も試したさ。リアナやルビーを連れてこの国を離れようと、何度も、何度も、な」
アノスは神妙な面持ちで、何かを思い出すようにカノアに語る。
「だけど、その先には地獄しか待っていなかった」
「アノスさんは、いったい何を見たって言うんですか?」
「——リフレインさ」
「リフレイン?」
「俺にはリフレインを超える力が無かった。あれを知った時は絶望したさ。だが、ある出会いが俺に一筋の希望をくれた」
「出会い?」
カノアの問い掛けに、アノスは何故か穏やかな表情で笑った。
「いずれお前にも分かる時が来るさ。だが、今のお前に教えてやることは出来ない」
「どうしてですか!?」
「それが、俺がそいつと結んだ盟約だからだ」
「……盟約?」
カノアたちが会話を進めていると、「ピシッ」と音を立てて空間の一部に亀裂が入った。
そして続いていた揺れも次第に大きくなると、ついに空間そのものが崩落し始める。
「さて、そろそろ時間みたいだ。テウルギアはお前に託す。いや、あれは元々お前の手に渡る予定のものだ。無事に渡すことが出来て俺もホッとした」
アノスは伝えたいことは概ね伝えきったと安堵の表情を見せた。
「二度とこんな惨劇が起こらないようにループを断ち切って、ルビーを絶望の運命から解放してやってくれ」
「待ってください! あなたが居なくなったら、そのルビーはどうするんですか!?」
「大丈夫さ。一番信頼できる奴に託してきた」
アノスは一抹の不安も無いと笑顔を見せる。
「さぁ、監視者よ。これで二つの条件は満たされた! 俺の魂を使って、カノアの力を解放しろ!」
アノスは再び空間に向けて叫んだ。そして、声の主はその叫びに応える。
——良かろう。汝との盟約により、
「勝手なことをするな! 俺はまだ納得していない!!」
だが、カノアの叫びは聞き入れられることは無かった。
空間がついに大きく崩落し始めると、カノアは光に包まれていく。
「アノスさん! アノスさん!!」
カノアは叫び続ける。だが、自身を形成していた肉体が光に包まれて少しずつ消えていく。
「頼んだぞ、カノア——。世界を——あるべき姿に——」
カノアが最後に見たアノスの顔は、とても穏やかな笑顔だった。
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