第31話『Rondo in A minor』
「カノアぁ……。カノアぁ……」
ルビーが横たわるカノアに顔を押し付けて泣いている。
アイラは寄り添うように、そっとルビーの背中を撫で続けていた。
「いったい、何があったってんだよ……」
アイラの目も充血し、その視線の先には、今は動かなくなってしまったカノアの安らかな顔があった。
隣の玉座の間からはアノスの雄叫びが時折聞こえ、未だ油断を許さない状況が続いていることだけが分かる。
「……あたしも、アノスさんのところに……」
力なくそう呟くと、アイラは立ち上がろうとする。
だが、必死になってルビーがそれを止めた。
「ダメ! ……アイラお姉ちゃんまで居なくなったら、……私、……私っ」
ルビーは懇願するようにアイラの服を引っ張る。
その顔を見て、アイラは残された者の気持ちが、どれほど寂しく辛いものかを痛いほど理解する。
「そう……だよな……」
アイラは涙を堪えながら、ルビーの事を優しく抱きしめた。
——こっちだ!!
城の外から大きな声と、大勢の移動する足音が聞こえて来た。
アイラが外と繋がる大扉に目を向けると、エリュトリアの町の住人たちとルイーザ率いる騎士たちが押し寄せてきたことが分かった。
「居たぞ! アイラの嬢ちゃんとルビーお嬢だ!!」
「あんたは確か……」
「俺はレヴァンだ。いったい何があったか教えてくれ! 町の方まで魔獣の咆哮が轟いて——!?」
レヴァンはそう言いながら、横たわっているカノアの姿に気が付く。
「お、おい……。まさかとは思うが……」
レヴァンの狼狽えるような声にルビーが堪えていた嗚咽を再び鳴らす。
「カノアが……カノアが……死んじゃったぁぁ!! うぇぇぇん!!」
「何だと……」
ルビーの慟哭に、集まって来たエリュトリアの住人たちが沈痛な面持ちで言葉を失う。
そんな中、鈴の音を鳴らしたような可憐な声が弱々しく大広間に響いた。
「——カノア?」
住人たちが左右に避けると、その真ん中をティアがよろけながら一歩ずつカノアの元へと歩み寄る。
「……嘘、だよね? ねぇ、カノア? 起きて?」
突然の訃報に現状を受け入れることが出来ないと、ティアは、おぼつかない足でカノアの元へと辿り着いた。
「ねぇ、アイラ? 嘘、だよね? カノアが、死んじゃった、って……」
ティアは自分で口にしながら、その言葉の重みに次第に感情が追い付いてくる。
じんわりと目頭が熱を帯びて来て、次第に涙が溢れ始める。
その様子を目の前で見ていたアイラも共鳴するように涙を流し始めた。
「あたし、にも、訳が分かんなくて……。気が付いたら、倒れてて、動かなくて……。何度声を掛けても返事が無くて……」
「そんな……。どうして……どうして!?」
二人は、ただ感情のままに嗚咽を零す。
周囲はその光景に言葉を掛けることすらままならない。
だがそんな中、しっかりと足を踏みしめて毅然とした足取りで二人の元へルイーザが歩み寄る。
「……魔獣は……何処だ?」
その顔は悲しみにも、怒りにも満ちていた。
多くの人間が悲しみに包まれる中、
共について来ていたシンシアとシルヴィアも真剣な眼差しで既に臨戦態勢を整えている。
「そうだ……。隣の玉座の間に! 今は、アノスさんが一人で戦ってて!! 急がないと!!」
アイラは悲しみに暮れている場合じゃないと、アノスの窮地を皆に知らせる。
だがルイーザはその言葉を聞いて、焦るアイラを安心させようと薄っすらと笑顔を浮かべる。
「大丈夫だ。あの人が魔獣程度に後れを取ることは無い」
ルイーザの言葉を肯定するように、玉座の間の方から魔獣たちの断末魔が聞こえてくる。
「このままでは、あの人に手柄を独り占めされてしまうな。——さぁ、私たちも加勢に行くぞ! 町の者たちはティア殿たちを連れて荒野まで退避! ハグネイア騎士団は私と共に魔獣の討伐を——」
剣を掲げ、ルイーザが己の騎士団員たちを奮い立たせる。
いざ突入と言ったところで、大広間と玉座の間を隔てる分厚い壁が破壊され魔獣たちが雪崩れ込んで来た。
「くっ!? 何という数だ!!」
突然の襲来に、ルイーザは急いで剣を構えながら、皆を背後に背負うように魔獣たちの前に身を晒す。
だが、魔獣たちはルイーザではなく、壊れた壁で出来た瓦礫の方に意識を集中させていた。
「——やってくれたな。これでまた修理するところが増えちまったじゃねぇか!」
壊れた壁の瓦礫の中から声が聞こえてくると、アノスがゆっくりとその姿を現す。
「アノス殿!!」
「ん? 何でお前たちここに?」
アノスもルイーザたちに気が付くと、魔獣たちを警戒しながら言葉を交わす。
「町の方まで魔獣の咆哮が聞こえて来たので、急いで様子を見に——」
壊れた壁の向こう側。玉座の間に多くの魔獣の屍が散乱しているのを見て、ルイーザはその想像以上の惨状に、思わず言葉を呑み込んだ。
だが、アノスは何を思ったのか、ルイーザの視線が自分ではなくその周囲に向けられていることに気付いて焦り始める。
「あ……。ルイーザ! 俺が壊したんじゃないからな!?」
緊急事態だと言うのに、アノスはまるで言い訳をする子供の用に慌てふためく。
「こんな時にまで、何馬鹿なことを言っているんですか!?」
アノスは得意気に笑うと、再び剣を握る手に力を込める。
その笑顔は、アノスなりに自分は大丈夫だと言うことをルイーザに伝えたかったのだろう。
「へへっ。さぁて、それじゃ俺はこの可愛い動物たちと遊んでやんないとだから、お前たちはさっさと逃げてくれ!」
アノスはルイーザたちに背中を向けて再び魔獣と相対する。
「皆の者! 聞いた通りだ! ここは私とアノス殿で何とかする! 皆の者は急いでこの場を——」
ルイーザが指揮を取り始めると、ルイーザの頭にポンっと手が置かれてその言葉が遮られる。
「なっ!? アノス殿何を!?」
まるで子供をあやすようなアノスの行動に、ルイーザは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「お前も一緒に逃げるんだよ」
「しかし、アノス殿一人では!」
「——巻き込みたくねーんだよ。それとも、俺の実力が信用できないか?」
アノスはそう言って悪戯な子供ように笑った。
ルイーザはその顔に、一瞬時が止まったように言葉を失い、思わず顔を伏せた。
「——っ! ……ほんと、そういうところなんですからね?」
俯いたまま、囁くようにルイーザは言葉を零した。
「何か言ったか?」
アノスの鈍感な態度に、ルイーザが顔を上げてアノスを睨む。
「さっさと魔獣を倒して合流してくださいと言ったんです!!」
ルイーザは怒って自分の頭に置かれていた手を振り払うと、踵を返して全員に撤退の号令を出す。
皆が立ち上がりその場から離れ始めると、アノスは再び魔獣たちと相対する。
「言われなくても、だ」
アノスは不敵に笑うと、握っていた剣先を魔獣たちに向けた。
皆が撤退を済ませたところで魔獣たちの背後からゲブラーがその姿を現す。
「良かったのですか? せっかくの援軍だったでしょうに」
「お前こそ魔獣の数増やさなくて良いのかよ? この程度、酒のつまみにもならねぇぜ?」
「減らず口を」
ゲブラーとアノスは互いの間合いを図りながら言葉を交わす。
「お前の事だから途中で仕掛けてくると思ったが、どういう風の吹き回しだったんだ?」
「可愛がっていた弟子の死体を二つも見せて差し上げる程、私はサービス精神が旺盛ではありませんからね」
ゲブラーは先ほどのお返しとばかりに、皮肉を言ってアノスを煽る。
「二度と帝国に戻れなくしてやるよ!!」
「それはこちらのセリフです!!」
アノスの握っていた剣が再び輝き始めると、魔獣たちの咆哮が轟いた。
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