第29話『持たざる者の選択』

 ——あたしにはさ、夢があるんだ。


 あの日、旧ギルドの屋上で聞いたアイラの言葉。


 ——あたしはこの世界がもっと平和になったら、自分が知ってることや文字の書き方や読み方なんかを子供たちに教えたいんだ。


 ついさっき聞いたと思えるほどに、次々と鮮明に記憶から溢れ出て来る。


 ——諦めんなって、頑張って生きれば願いは叶うって、そう言ってやりたいんだよ。


 あの日、アイラは笑っていた。とても純粋な顔で。

 だが、あの日の笑顔はもう何処にも見当たらなかった。

 鮮血で体を染めていき、僅かに体を痙攣させながら地面に倒れ込んでいる。

 その視線は定まらず、宝石のような青い輝きは少しずつ光を失っていく。


「アイラ!」


 カノアは両膝を地面に着き、アイラを抱き上げた。

 アイラは視点の定まらない顔でカノアの声にだけ反応する。


「カノ……ア……」


 その声はとても弱々しく、口から流れ出る血が満足に喋ることすら許してくれないようだった。


「どうして俺を庇った!? どうして——!!」


 カノアは嘆きのような言葉を漏らす。

 既に起きてしまった事態に、行く宛のない絶望と慟哭が込み上げてくる。


「……さぁな。気が付いたら、体が、勝手に、動いてた……」


 アイラは力の無い言葉で、僅かに口元だけで笑って見せた。


「アイリのこと……頼んだよ……」


 そしてアイラの全身から力が抜けていく。

 表情一つ、指先一つ、動かない。

 抱き上げたカノアの腕の中で、アイラは自身の重さをカノアに委ねている。

 先ほどまで勇敢に戦っていた少女はこんなにも軽かったのかと、カノアは強く抱きしめた。

 罪悪感に苛まれ、抱きしめたアイラの体が冷たくなっていくことが、まるで自分がその体温を吸い取っているように感じられる。


「……随分と、あっけない幕切れでしたね」


 冷めた言葉と表情でゲブラーが言葉を投げ掛けて来た。


「ループの止まった今、ただ死体が一つ増えるだけだと言うのに。何と無駄なことでしょうか」


 非道な言葉がカノアの神経を突き刺す。

 人の命をただの物のように扱う言葉には、命に対する敬意など微塵も存在しなかった。


「……アイ……ラ……」


 絶望に打ちひしがれているカノアは、抱きしめていたアイラをそっと地面に寝かせる。

 流れ出ていた血も冷え始めており、手に着いた血も粘り気のある液体へと変わり始めていた。


「……お前はさっき、この町に来てから一度でも魔法を使ったかと聞いたな?」


 カノアは静かな声でそう呟いた。


「ええ、言いましたとも。そしてその意見は今も変わらない。よくよく見れば、貴方は魔法を使えないどころか、ソフィアすら持ち合わせていないようではありませんか」


 ゲブラーは冷めきった態度でカノアを嘲笑う。


「……確かに、俺は魔法を自由に使えない。ソフィアも持っていないし、持っていたとしても満足に扱うことすらできない」


「はぁ。では魔法の使えないタダの役立たずの貴方が、この期に及んで何をしようと言うのです?」


「——本当に俺は、この町に来てから使か?」


「ん? ……まさか!?」


「俺はその魔法をこの町に来てから何度も体験してきた。そしてお前はさっき、俺の意識がその魔法に影響を与えていると言ったな!」




 ——行き詰まった時は、物事をひっくり返して考えてみろ。




 あの日聞いたアノスの言葉を思い出し、カノアは覚悟を決める。


「ルビー。すまない。……最後にもう一度、力を貸してくれ」


 カノアはゆっくりと目を閉じ、言葉を紡ぐ。


「奪われたのなら取り戻せばいい。失われたのであれば与えればいい。この願いを傲慢と呼ぶのならば、この想いを傲慢と蔑むのならば! 俺の意識に応えろ! 傲慢の力よ!!」


 カノアが目を見開くと、空間が歪むようにねじ曲がっていく。


「こ、これは!! まさか、本当に傲慢の力が!?」


 ゲブラーもその様子に、想定外の事態であると驚愕の声を上げた。


「——ありがとう、ルビー。そして、ありがとう、アイラ——」


 カノアはそう呟くと、闇に飲み込まれるように意識を失った。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「……んっ……」


 自身の口から零れ出たその音に、意識がふと呼び起こされる。

 ゆっくりと目を開くと、少し視界がぼやけて見えた。


「——どうして? ——どうして!?」


 隣で少女のむせび泣く声が聞こえて来た。

 残響のようにぼやけるその声も、意識がハッキリとしてくるに連れて言葉の一つ一つも聞き取れるようになってくる。


「目を覚まして! お願いだから!! ねぇ、!!」


「……カノア?」


 アイラはゆっくり横を見ると、自身のすぐそばで眠るように横たわっているカノアの姿を認識した。


「あ……れ……? さっきあたし、カノアを庇って……」


 アイラは仰向けに寝そべったままゆっくりと自身の体を触る。

 先ほど大きな痛みを感じたはずの腹部は、何事も無かったようにいつも通りだった。

 それどころか、突き破られていたはずの服も変わりなく、口元をなぞる様に触ってみても、血の一滴すら指に付着しない。


「……アイラ……お姉ちゃん……。カノアが……カノアがぁ……!!」


 ゆっくりと腕を動かすアイラの姿に気付き、ルビーがすがりつくような声で言葉を詰まらせた。

 どれ程泣いたのかは分からないが、その目は赤く腫れ上がり、涙と鼻水で顔は汚れていた。

 アイラは体をねじるように仰向けからうつ伏せの状態にする。そして、まだ力が満足に入らない体で、うようにしてカノアの元へと体を動かす。


「なんで……。なんで、お前が倒れてんだよ!?」


 アイラは渾身の力でカノアの名を叫んだ。

 だがカノアは、表情一つ、指先一つ、動かなかった。


「——これは凄い!! 過去に干渉することなく、死者を蘇らせたというのですか!? ましてや個人の意思で大罪の力を自在に引き出すなど、貴方はどれ程の力を秘めていたと言うのか!!」


 何処からか男の声が轟いた。

 アイラがその声の元へと目をやると、ゲブラーが驚嘆と恍惚に満ちた表情で天井を仰いでいる。


「死者を……?」


 アイラも思わずその言葉を繰り返す。


「ええそうです! ランダムウォーカーは貴女を救うため、自らの命と引き換えに傲慢の力を発動させたのです! 何という罪深さ! 何という傲慢さ!! 自らの意思で人の命を蘇生するなど、人に許された領域を遥かに凌駕している!!」


 ゲブラーは猟奇的とも言える熱狂の渦に、その思考を投じていく。


「傲慢の力……? 何を言っているんだ……?」


 ゲブラーの言っていることがまるで理解出来ないと、アイラは狼狽うろたえるように言葉を零す。

 だが、ゲブラーは悦に浸るようにただただ目の前で起きた事象に心を躍らせている。


「だがランダムウォーカー、これで貴方の命は失われた! これで障害となる者はもう誰も居ない! 僅かにでも残っていた可能性が、今ついえた! これでもう、私の計画に狂いは生じないのです!!」


 ゲブラーは返答があるはずも無いカノアに向かって、言葉を投げ続ける。


「貴方を素材として扱いたいと言っているものも居ましたが、私にとってはアマデウスの覚醒こそが最優先! 傲慢の鍵さえ完成してしまえば、私にとって貴方の能力は邪魔でしかなかったのです! これで! これで私は! を受けることが出来る!!」


 興奮と熱狂に身を焦がすゲブラーは、自身こそが勝者だと高らかに勝ち誇る。

 そして、持っていた杖をゆっくりとアイラに向けると、快楽主義者のようにいびつな笑顔を見せつけた。


「——ただ一つ。残念なのは、貴方の最期のあがきが無駄になることを直接教えてあげられない事ですがねぇ!」


 突然の行動にアイラは反応することが出来なかった。

 先ほどカノアの命を脅かし、そしてカノアを庇った自身の命を一度は奪ったその攻撃。

 再び氷の塊が飛来するも、アイラは全身に力が入らず、氷の軌道から体を避けることが出来ない。

 その殺意と狂気に満ちた鋭利な塊は、真っ直ぐに、そして確実に、アイラの命を再び奪うべくその距離を詰めて来る。


「くっ!!」


 アイラは万事休すと目を瞑る。

 だが——、その氷の塊は大きな破壊音と共に空中で粉々に砕け散った。


「……いったい、何が……」


 アイラはゆっくりと目を開き辺りを確認する。

 空中に散った氷が、差し込む光によってダイヤモンドダストのように輝いている。


「……無駄じゃねぇ。無駄になんか、させるかよ!!」


 その声に目を向けると、玉座の間と大広間を繋ぐ大扉の前にアノスが立っていた。

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