第25話『傲慢のソフィア #1』

 カノアが古城に着くと、正門が大口を開けて佇んでいた。それはまるで、入って来いといざなっているみたいに。

 慎重に辺りの様子を伺いながら古城の中へと一歩目を踏み入れる。

 大広間をぐるりと一瞥すると、いつもと変わらないはずの景色が自身を殺すために用意された罠のようにも感じられた。


「大聖堂の扉が開いている……」


 カノアは息を整えながら慎重に大聖堂へと続く扉に近付く。

 静かな大広間に響く自身の足音にさえ神経が刺激される。

 ゆっくりと大聖堂の中を覗き込むと、慰霊碑の前に黒いローブの姿が一つ。その後ろ姿は、最早隠れる事すら必要ないと告げているようだった。

 カノアは言葉を発することは無く、しかし自身の存在も隠すことなく、ゆっくりとその背中に近付いていく。


「……来ましたか、ランダムウォーカー」


 黒いローブの男から発せられたその言葉は、歓迎の言葉と受け取るには少々冷たい。


「ルビーを何処へやった!?」


 カノアの怒号のような叫びに、黒いローブの男は振り返った。


「ご安心ください。あの娘に危害を加えるつもりはありません」


 男は異様な雰囲気をまとっている。カノアはその雰囲気に、何度か前の周回での出来事を嫌でも思い出させられた。

 それは町の外に自身を誘い出した男ではなく、この場で自身を殺害した、もう一人の黒いローブの男の事だ。


「俺をここで殺したのはお前か」


「ご明察。私の名はゲブラー。傲慢を守る騎士シュバリエです」


 そう言うと、ゲブラーと名乗った男は自身の顔を隠していたフードを取り、その顔を露わにする。

 淡白な顔立ちで薄っすらと笑みを浮かべている。しかしその温和な雰囲気とは裏腹に、実際に受ける印象は酷く冷たい。


「お前には聞きたいことが山ほどある」


「ええ、私も同じです。貴方にはお礼をしなければなりませんからね」


「礼だと?」


「左様。貴方のお陰で、私は計画を随分と早めることが出来ました」


 ゲブラーは淡々と言葉を並べていく。まるで機械が喋っているように感情が伝わってこない。

 だが相対するカノアは、一度は自身を殺した相手を前にその感情を徐々に昂らせていく。


「俺はお前に協力なんかした覚えはないぞ!」


「勿論、私としても想定外でした。今までにこんなことはありませんでしたからね。だからこそ、礼を言うためにこうやってわざわざ出向いてもらったのではないですか」


「まさか、そのためにルビーを攫ったのか!? 俺に用があるなら、最初から俺の所へ何故来ない!?」


 ルビーが攫われた理由の一端が自身にあると告げられ、カノアは怒りと焦りを募らせていく。


「あの娘を攫った理由は、貴方を誘い出すためだけのものではありません。——しかし、噂には聞いていましたが、これ程までとは。いやはや、恐れ入りました」


 ゲブラーはそう言うと、敬意を表すように深々と頭を下げてお辞儀をした。


「何のつもりだ……?」

 

 まるで真意が読み取れないその行動にカノアは困惑を投げかける。

 ゲブラーはゆっくりと顔を上げると、再び言葉を紡ぐ。


「だが、のシナリオももうじき終わりです。潮時、と言って良いでしょう」


のシナリオ……?」


「ええ。この町で起きていたループも、当然目的があってのことです。そして、その目的を達成するための条件が、今日整ったのです」


 ゲプラーは大袈裟に両手を広げ大聖堂の天井を仰ぐと、まるで天井画に描かれている天使を崇めるように恍惚の視線を注いでいる。


「……お前が、もうじき条件が満たされると言っていた話か」


 カノアの言葉を肯定するように、ゲブラーは作られたような笑顔をカノアに向ける。


「ええ、そうです。条件は満たされ、


「ループが……終わっただと?」


 ゲブラーの予想外の言葉に、カノアは言葉を詰まらせた。


「ランダムウォーカー。どうやったかまでは分かりませんが、あなたは先日キュアノス王国でループを断ち切ったと聞いています。ならば、ループが終わるまであなたの前に姿を現さなければ良いだけの話。ただ、それだけの話だったのです」


 淡々と紡がれる言葉は、まるで全てが予定通り終わった過去の出来事のように語られる。


「お前たちの目的は何だ!? この町で何をしていたんだ!?」


「先ほどもお伝えしたでしょう? 私は傲慢を守る騎士シュバリエだと」


「傲慢……。この国に伝わるソフィアの事か」


 カノアはそう言いつつ、ゲブラーの背後にある慰霊碑に一度視線を向ける。


「傲慢のソフィアとはいったい何なんだ? 事象を捻じ曲げる魔法なんて、本当にそんなソフィアが存在するのか!?」


 カノアの問い掛けに、ゲプラーは何か考えを整理するように少し目を瞑った。

 そしてゆっくりと目を開くと、整理した内容を一つずつ順番に並べていくように口を開き始める。


「それを説明するには、まずは貴方が勘違いしていることを教えて差し上げねばならないようです」


「勘違いだと?」


「ええ、ソフィアが魔法を使うためのもの、というのは間違っていません。ですが、そもそも使


「どういう……ことだ……?」


「魔法が使えるのはあくまでも副産物のようなもの。叡智への回路を開いているので、ソフィアの所持者は魔法式によって魔法を使うことが出来ます。ですが、叡智とソフィアの回路は開かれているのです。この世界の人間たちは叡智と繋がることで魔法を使うことが可能になりますが、代わりに、我々はソフィアを通してのです」


「人間そのものと、だと!?」


「左様。ソフィアというのは、その目的によって様々な形をしています。それは指輪のような装飾具であったり、杖のような武具であったり、をしていたり、ね」


「人間の形のソフィア……」


 カノアはその言葉に、ティアが巻き込まれていた人体実験のことを思い出す。


「人間の形をしたソフィアは、特に大きな目的の為に作られたこの世界でも希少な存在。我々はそれに敬意を表し、神に愛された者アマデウスと名付けました」


神に愛された者アマデウス……」


「難しい話ばかりでは少々退屈でしょう。少し、面白い話をして差し上げます」


「……何の話だ?」


 ゲブラーはそう言うと、カノアに背中を見せるように後ろを振り向いた。

 そして、自身の前に佇む慰霊碑を見つめて言葉を続ける。


「元々この慰霊碑は大魔戦渦マギアシュトロームで死んだ人間たちの名前を刻むために用意された、と聞いているのではありませんか?」


「ああ、そうだ」


「そして、その後ハロス病で死んだ人間達もここに加えられていった。しかし、どうしたことでしょう。ハロス病で死んだ人間たちが生き返り、大魔戦渦マギアシュトロームで死んだ人間たちが生き返り。それでもまだ、この慰霊碑には一つだけ名前が刻まれています」


 ゲブラーは、カノアに慰霊碑全体が見えるように体を横にずらす。

 慰霊碑を改めて確認すると、今まで刻まれていた多くの名前が嘘のように消え去っていた。


 ——ただ、一つの名前を残して。


「元々この慰霊碑は、大魔戦渦マギアシュトロームで死んだ人間たちの名前を刻むためではなく、ここに刻まれているを弔うために用意されたものなのです」


「ある一人の少女だと……?」


「その少女は幼い頃から魔法の才能が無く、ソフィアを使っても魔法を上手く扱うことが出来ませんでした」


「まさか……」


 ゲブラーの説明に、カノアは自身の脳内に浮かび上がった可能性を振り払った。

 だが、苦悶を浮かべるそんなカノアの表情を見て、ゲブラーは不敵な笑みを浮かべ始める。


「ですが、その少女はとても恵まれた運命にあったのです」


「……恵まれた運命だと?」


「ええ、そうです。その少女の魂が、神の目に留まったのです! だがなんと悲しいことか、その少女はこの町を襲った大魔戦渦マギアシュトロームにより命を落としてしまった!!」


 ゲブラーはまるで何かの役を演じるように、大袈裟な身振り手振りで悲しむ様子を表現する。

 だが——


「……大人しく、我々に従っていれば死ぬようなことも無かったのですがね」


 ゲブラーは何かを嘲笑うように、カノアに冷たい視線を向けた。


「何だと!? じゃあ、この町が大魔戦渦マギアシュトロームで襲われた理由は——」


「お察しの通り、その少女を奪うためです! ……しかし少女は死んでしまった。そして、その事実を受け入れることが出来なかった娘の母親は、毎日毎日娘の命を願い続けた。だが死人の蘇生を願うなど人の身に余る行為、魂に対する冒涜! まさに傲慢そのものではありませんか!!」


 ゲブラーは今まで我慢をしていたと言わんばかりに、抑えていた感情を少しずつ見せ始める。

 だがそれは、異常とも呼べるような狂気を纏った異質な感情。


「だから利用してやったのです! 死を受け入れることが出来ないその女の欲望をね!!」


 最早自身の感情を抑えることが出来ないと、ゲブラーは興奮した様子でいびつに表情を変えていく。


「例え貴方が文字を読むことが出来ずとも、もうお分かりでしょう。ここに刻まれている少女の名が」


 感情を感じられなかった冷たい顔は最早そこに無かった。

 興奮と狂気に顔を歪ませ、命を奪う快楽に身を委ねているようなその様は、自身が生物として強者であることに酔狂しているような異常さだ。


「やめろ……」


 カノアはその狂気を振り払うように、ゲブラーの言葉を否定しようとする。

 だが様々な可能性が頭の中で繋がり始め、狂気に自身の考えすらも書き換えられていくような感覚に、カノアの口から発せられた言葉は酷く弱々しい。


「ご自分で口にするのは辛いですか。——では、優しい私が代わりに読んで差し上げましょう!」


「それ以上、口を開くな——!!」


 カノアはただ叫んだ。それを聞いてしまったら、否定したかったことを認めることになってしまう。

 だが無情にも、ゲブラーは現実という鋭い刃でカノアの感情を切り裂く。


「この慰霊碑に刻まれているたった一人の少女の名前は、ルビー=アリスィアス。あなた方が傲慢のソフィアと呼んでいた、少女の名です」


 ゲブラーは、今までで一番ゆがんだ笑顔をカノアに向けた。

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