前編

第1話『寂しく暗い森で』

 まだ空がその暗さを保っている頃、静寂の森に二人の男女の姿があった。


「大丈夫か、ティア?」


「うん、だいぶ落ち着いた。ありがと」


 カノアたちが魔物の襲撃を退けてからどれくらい時間が経っただろうか。

 自身に何が起きたのかも理解できないまま、カノアはティアの安否だけを心配していた。


「あのね、カノア。私が生まれた国、今はもう無いって話、覚えてる?」


「ああ」


 ティアは木に背中を預けるように座っており、カノアもその隣で同じように木に背中を預けている。


「昔、大魔戦渦マギアシュトロームっていう大きな戦争があってね。その時に私たちの国は無くなっちゃったんだけど、その戦争で多くの人の命を奪ったのが魔物なの」


 ティアの目が微かに潤んでいるように見えるのは、星の光のせいだろうか。憂いを帯びたその顔は、過去の苦しみを思い出しているようだ。


「魔物はね、人が生み出した禁忌の生物兵器。動物を魔物に変えて他の国に送り込むの」


 ティアの口から出てきたのは、人の道を外れた実験とそれによる侵略戦争を仕掛けたという残虐極まりない話だった。


「ある日動物を魔物にする実験は非人道的だと禁止協定が結ばれて、それ以来各国で魔物が製造されることは無くなったけど、今もその時に生まれた魔物が世界中に生息しているの」


「さっき言っていた作戦ってのは、その魔物を討伐するためのものか?」


「それもあるけど、本当の作戦はそれじゃない。最近このキュアノス王国で人や動物を使って魔物を作る実験が秘密裏に行われてる、っていう噂を聞いたの」


「動物だけではなく、人までもが?」


「うん。それでねカノア。実は私、私が生まれた国が襲われた時に人の姿をした魔物を見たことがあるの」


 ティアは自分を落ち着けるように、両膝を立てて両腕でぎゅっと抱きかかえる。


「このことは他の人にも話したことあるんだけど、見間違いじゃないかって言われて。その時は私もまだ小さかったし、人が魔物にされてるなんて聞いたことも無かった。だから見間違いなのかなって、そう思うようにしてた」


「そこに今回の噂が重なって、確かめに来たということか」


「私は自分の国が無くなった後この国に移り住んだんだけど、その時はそんな噂は無かった。故郷じゃなくても自分の育った国だから信じたくは無かったけど、最近この国は良くない噂が絶えなくてね。今回私たちは魔物の討伐作戦という表向きの名目を掲げて調べることにしたの」


「それで調べていたところ、さっきの魔物に襲われたと」


「うん。今回の魔物も恐らくは戦争以降に作られた魔物だと思う。本来魔物は自我を失っていて統率が取れるような存在じゃないから」


 先ほど戦った魔物が明らかに統率の取れた動きをしていたことは、カノアも感じ取っていた。


「それでね、カノア。落ち着いて聞いて欲しいんだけど、私が小さい時に見たって言う人の姿をした魔物はね、闇を操るような魔法を使ってたの」


 闇を操る魔法。それはつまり――。


「さっき俺が使っていた力のことか」


「私が小さい時に見たものと似てた。だからさっきのカノアを見て確信したの。この国はやっぱり人を魔物にする実験を行ってる。そして恐らくカノアはその被害者だと思う」


 いきなり実験の被害者だと言われカノアは困惑する。


「仮に俺がその実験の被害者だとしたら、俺は何故この森の中に居たんだ?」


「この森のどこかに王都内に自由に出入り出来る抜け道があるって話なの。実験を行ってる研究所も王都内にあるはずだから、カノアは多分その抜け道を使って研究所からこの森まで逃げ出してきたんだと思う」


 カノアに研究所の記憶など無かった。

 ティアの話と自身の状況に辻褄が合わず、カノアは懐疑的な気持ちで耳を傾ける。


「それに王都タラサは城塞都市で、周囲が城壁に囲まれてるから出入りするには城門を通らないといけないんけど、最近はさっきの噂もあって城門の検問が厳しくなっちゃったの。だから逃げるときも多分城門以外からだったんじゃないかな?」


 ティアは自分なりの推察をカノアにひとしきり話したところで、改めてカノアに問いかける。


「お願いカノア、私たちに協力して? あなたが協力してくれたらこの国の悪事を暴くことが出来るかもしれない。私はこの世界を救いたいの!」


 ティアはカノアの手を取り、真剣な眼差しで訴えかける。


「俺は研究所のことなど知らない。それに俺たちは言葉も普通に通じているし、魔物は自我を失っているんじゃないのか?」


「さっきの魔物も統率が取れてたし、きっと人を魔物にする研究が進んでるんだと思う」


 この場で議論していても答えには辿り着けそうに無いので、カノアはひとまずティアに協力することを告げる。


「自分が魔物だと言われて素直に受け入れることは出来ないが、俺も色々と確かめたいことがある。その答えを見つけるため、という意味なら協力するよ」


「ありがと! だけど、さっきの力は絶対に人前で使わないって約束して。私たちはあなたを保護するつもりだけど、あなたの存在を知れば欲しがる国も多いから」


「ああ、分かった。それにさっきの力も自由に扱えるわけじゃないんだ。使い方も分からないし、あの時は声が聞こえて……」


「声? 誰か近くに居たのかしら……」


 あの体験をしたカノアにとって、何も覚えていなさそうなティアの言葉には深い違和感を覚えた。


「そろそろこの場を離れましょうか。カノアの言う通り誰か居たのなら、もしかしたら戻ってくるかもしれない。それに今度は魔物じゃなくて人を連れてるかも」


 確かにあの声が味方だったと言われると微妙なところだ。ひとまずティアの言う通りこの場を離れるほうが賢明だと判断し、それに従うことにした。


「だがここは森の中だ。周囲も暗いし、どっちに向かって進めば出られるか分かるのか?」


「そこは任せて! 星の位置で大体の方角は分かるの。それにもう少しすれば夜も明けてくると思うから、そうしたらもう少しちゃんと走れるわ」


 夜が明けてちゃんと走れる頃には星の位置が分からなくなっているのでは? とカノアは思ったが、あえて聞かないことにした。


「森から出た後はどうするんだ?」


「森を抜けた先に滞在してる村があるから、そこまで行けば安心よ!」


 ティアは自信満々にカノアの手を取り、二人は暗い森の中を再び歩み始めた。

 だがティアがよく転ぶのは暗さのせいでは無かったと気付くのは、もう少し明るくなってからのことだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「グリマルディ様。例の少女ですが、実験は順調だと報告がありました」


「そうですか。引き続き監視を怠らぬように」


「はい。それで東の森の件ですが……」


「まさかと思いますが、殺していないでしょうね?」


「えぇ、殺していないどころか、逆に魔物の方が全滅したと」


「ほう? いったい何があったのですか?」


「詳細は分からないとのことですが、追跡していた魔物が戻ってこないので捜索したところ、少し離れた場所で全て死んでいたと。それに目立った外傷などが無く、何故死んでいたのかも分からずとのことです」


「妙ですね。今までそんなことが起きたという話は聞いていません。調査隊を編成し、原因の解明に当たりなさい」


「承知いたしました」


 白衣を着た男は一礼しその場を後にする。

 一人残された老人は顎に手を当て、考え込むように長く続く廊下を歩き始めた。


「少し散歩に出掛けますかな」


 そう呟く老人の目尻には、うっすらとシワが浮かんでいた。

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