第7話『地獄の門は開かれた』

 木々の間から無数の紅い光がカノアたちに近づいてくる。それがオオカミのような生き物の両目であると分かるまで時間は掛からなかった。


「どうして気付かなかったのかしら……。ううん、今はもうそんなこと言ってても仕方ないよね」


 体は大きく、その毛並みは闇夜に紛れるほど黒い。

 血が溢れているかのような深紅の眼差しは、目の前で動くものをすぐにでも殺してしまいそうな狂気を放っている。

 だが、魔物の群れはすぐに襲い掛かって来ず、何かを狙っているかのように周囲に散開し始めた。


「どうしよう、前も後ろも囲まれちゃった。逃げ道もないし、この数だとまともに戦っても勝つのは厳しいかも」


 そんな会話を遮るように、暗闇から一匹の魔物がティアを目掛けて飛び掛かって来る。


「っ! 別に諦めたってわけじゃないんだからね!」


 襲い掛かってくる魔物にティアは即座に反応する。右手首のソフィアに触れると、ティアは呪文のような言葉を発する。


「【ミク・アネモス】!」


 ティアの右手のひらに風が圧縮されるように集まっていく。

 飛び掛かってきた魔物に圧縮された風の固まりのようなものが発射されると、魔物は吹き飛ばされて大きな木にその巨体を打ち付けて動かなくなる。


「私だって、黙ってやられるわけじゃないんだから!」


 だが魔物の群れは闇に潜んでいるものを含めると数えきれないほど多く、これが一度に襲い掛かってくれば今のように一体ずつ処理することは出来ないだろう。


 しかし、何故か魔物たちはまとめて襲い掛かってこない。

 殺すことが目的ならわざわざ一体ずつ襲い掛かってくるなんてことはしないはず。カノアには魔物たちの行動が何か目的があっての動きにも思えた。


「カノアは出来るだけ襲われないように下がっていて」


 こんな状況だと言うのに、ティアは自身のことよりカノアの心配を優先する。

 それは一見優しさの様にも受け取れるが、カノアにとっては己の無力さを突き付けられていることと同義にも感じた。


「いったいこの世界は何なんだ? 魔法だの魔物だの、悪い夢でも見ているのか!?」


 ほんの僅かに目の前の魔物から意識がそれた瞬間、魔物はカノアに向かって飛び掛かった。


「ダメ! カノア!」


 ティアの声で我に返るが、既に死は目の前まで迫っていた。だが、体が反応しない。死を受け入れかけた瞬間、目の前が一瞬暗くなる。

 しかしそれは己に死が訪れたのではなく、何かが自分と魔物の間を遮ったために出来た一瞬の暗闇。


 次の瞬間、ティアの体が宙に舞う姿が視界に映る。

 獣の巨体がぶつかった衝撃は、一人の少女を吹き飛ばすには十分な威力だった。

 数メートルほど離れた地面に打ち付けられたティアは、起き上がる素振りすら見せず倒れ込む。

 カノアは恐る恐るティアに駆け寄り、倒れた体を抱き起こす。

 

「ティア? ティア!?」


 カノアが問いかけるがもう返事は無かった。

 カノアは次第にその温もりを失っていく体を精一杯抱きしめた。息を引き取ってしまった一人の少女を、せめてこれ以上傷つけられまいと自身の体で覆うように。


 カノアが異変に気付いたのはそれから数秒ほど経った時だった。

 近づいてきているはずの魔物が一向に襲ってこない。死を覚悟していたカノアは、閉じていた目をそっと開き、顔を上げる。


 辺りは先ほどよりも暗く、天と地の境目も分からないほどの漆黒の世界。

 浮かび上がっていた紅い眼も、幾本の木々も見えず。そこに存在していたのは抱きしめていたティアと、暗闇だけだった。


「いったい何が――」


 カノアはティアを抱きかかえたまま、ただ呆然としていた。


 ――汝。


「誰だ!?」


 突如聞こえた声に周囲を見渡すが、誰も見当たらない。


 ――何を求める。


 投げかけられた言葉がカノアの頭の中を反芻する。

 ここは夢なのか現実なのか。

 次第に意識と思考が混ざり合い、境界が曖昧になっていく。


 ――汝、何を求める。


「俺は――」


 いつも無力さを感じて生きてきたことを思い出す。何者にもなれず、ただ流されるままに生きるだけの人生。


「全部、壊してしまいたい――」


 ――破壊の為に、何を求める。


「何を――」


 友人を殺され、生きてきた世界から弾かれ、そして今は、自身を助けてくれた少女が腕の中で冷たくなっていくという理不尽を突き付けられている事実に、怒りの意識が湧いてくる。


 『――神様を殺してほしいの』


 怒りの狭間に、少女の言葉が脳裏をよぎった。

 そして、感情に流されるようにカノアは力を欲する。


「――力が欲しい。こんな世界を、こんな運命を綴った神を殺すための力が!」


 ――力を欲するか。ミカド・カノア、汝は、


 言葉はそこで途切れ、カノアは意識が戻る。

 気が付くと辺りは紅き眼が浮かぶ宵闇の森。

 その暗さすら喰らいつくすような黒き情動が、カノアの内側から込み上げてくる。


「……ぐ、ああああああぁぁぁ!!」


 カノアはその激しく込み上げてくるものに耐え切れず、抱えていたティアを離す。

 頭が痛い、胸が苦しい、呼吸もまともに出来ない程、自身の体を制御出来ない。


 ――汝は、だ。


 その言葉に呼応するようにカノアを黒い感情が飲み込んでいく。


「があああああ!!!」


 全てを破壊し、全てを闇に葬る。他に何も考えられない。

 カノアは何かに取り憑かれたように、狂気の雄叫びを上げ続ける。

 するとカノアの体から黒い影が伸び、辺りを侵食し始めた。


 闇より深き深淵がやがて周囲を覆いつくす。

 一匹、また一匹と多くの魔物が意識を奪われるようにその場に倒れていく。


「……そっか。そうだったのね」


 体が冷たくなり、意識を失っていたはずのティアが目を覚ました。

 ティアは力の入らない体を必死に起こして立ち上がる。


「カノア、はダメ。ごめんね、気付くのが遅くなって」


 ティアはゆっくりとカノアに歩み寄り、ポケットに入れていたブレスレットを手に取ると詠唱を始めた。


「ティリクシア・フィ・エルフィリアが命じる。この力を封じたまえ!」


 ティアがそう言い放つと、ティアの持っていたブレスレットが輝き、カノアの左手首へと飛んでいく。手首にブレスレットが装着されると、カノアは強制的に意識を引き戻された。


「……ぐっ!?」


 次第に意識が覚醒し、体中を支配していた黒い感情が引いていくのを感じた。


「……ティア? 一体何が……」


 辺りを覆っていた黒一色の世界は無くなり、やがて夜の森は静寂を取り戻した。


「はあっ、はあっ」


 ティアは大きく呼吸を乱しながらカノアに近付く。


「カノアがどうしてソフィアのことや魔法のことを知らなかったのか、分かったの」


 ティアは何か自分の中で腑に落ちたように言葉を続けた。


「大丈夫。を救うのが、私たちの役目だから」


 ティアは慈愛に満ちた表情を浮かべ、もう大丈夫だとばかりにカノアの体を抱きしめる。

 この世界は非常識なことばかりだった。魔法も、魔物も、運命も。

 自身の知っている世界とはあまりにも異なることばかりが降り注ぐこの世界に、閉塞感すら込み上げてきた。


「異世界、か」

 

 温もりの中で、カノアは呟いた。




― 第一章序編 完 ―


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ここまで読んでいただきありがとうございました。

次回より第一章前編開始となります。

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