第29話

 帰る前に、俺達にはもう一人声をかけるべき人がいる。

 疲れた様子で品出しをするメガネをかけたショートヘアの女性。

 びっくりさせないように、肩を叩くと、彼女はゆっくりとこちらを向いた。


「……あ、高垣さんに白波さん達も」

「水戸さん、全部終わりましたよ」

「え……じゃあ」

「あの店長は私の権限でクビにしたわ。もうあんなセクハラオヤジに付き纏われることはないはずよ。もし、近づいてきたら、私に教えなさい。今度は牢屋にぶち込むから」


 ようやく訪れるであろう平穏な生活に、思わず涙が溢れる水戸さん。

 感極まった勢いで、一番近くの俺に抱きついた。


「ありがとう高垣さん! 白波さん! 私、これから安心してやっていけそうです。本当に、ありがとう」


 色々と柔らかいものがあたり、動揺せずにはいられない。


「そ、そそそんな大したことじゃないですよ! あはは──ぎゃあ!?」


 俺の足の甲を狙い澄ましたように、白波の全体重を乗せた踵が襲いかかった。

 その場でしゃがみ、激痛に悶える。


「いって……何しやがる!」

「足に虫が止まってたから追い払ってあげたのよ」


 そう言ってプイッとそっぽを向く。


「美鈴さんからも何か言ってやってくださいよ!」

「……まぁ、今回は春太も悪いので」

「あんなに鼻の下伸ばしてたら、しょうがないです」


 なんで誰も擁護してくれないの?


「春太! 今日のことは貸しだから、後でこき使買ってあげる。覚悟しなさいよ」

「なんだよそれ」

「なら、協力した私もお願いしてもいいんですよね?」

「月夜さんまで。まぁいいですけど」

「なら、さっさと帰るわよ」


 白波と月夜さんは一足先に店を出る。

 俺も帰ろうとすると、袖を引っ張られた。


「あの、春太さん。私もお願いを聞いていただけるのでしょうか?」


 完璧超人の美鈴さんが俺なんかにお願いなんてあるのだろうかと疑問を浮かべるも首を縦に振る。


「もちろんです」

「でしたら、今そのお願いを使用してもよろしいでしょうか」

「今からですか? いいですけど」

「それでは──」



「春太さんってこういうのが好きなんですね。意外です」


 ぷるキュアの食玩を大人買いする俺に若干引き気味の水戸さん。

 買うのが恥ずかしいのはわかるけど、もう少し買う量を考えて欲しかった。

 袋を持って外に出ると、またくたびれた白波が文句を言ってくる。


「ご主人様を待たせるなんて。って、何買ってきたの?」

「お菓子だよ。へーどんなの?」

「いや、それは」

「お嬢様、人様が買ったものを散策するなど、白波家のものとして、はしたないと思いますが」


 それらしい反論で白波を退けると、俺にしかわからないように、サムズアップする。

 いやいや、元々これ貴方のなんですが。


「はー、今日は疲れたわね。春太、帰ったらすぐに紅茶淹れなさいよ」

「俺、本来なら今日休みなんですけど」

「つべこべ言わずに従いなさい! 休日出勤はちゃんと出すんだから」

「へいへい。わかりましたよ」

「ねぇ……春太」

「ん? なんだ?」

「万が一にもありえない話なんだけど、貴方、この仕事を辞めるつもりはあるのかしら?」


 突拍子のない質問に首を傾げる。


「なんだその質問」

「いいから答えなさいよ」

「……少なくとも、今のところはするつもりないぞ。仕事内容はアレだけど、手当も待遇もいいからな」


 俺の回答に、白波が笑った気がした。


「当然よね! 私の元で働ける名誉があるのに、辞めるなんて考える余地はないものね」

「おーい、俺の話を聞いてたかー? デメリットの部分で業務内容を上げたんですけどー」

「それはつまり、もっと私に貢献する業務がしたいと言うことでしょ」


 ナルシストでポジティブ思考の奴って、こんなことをここまで自信を持って言えるのか。


「そんなわけねぇだろ」

「照れなくてもいいのに」

「照れてるわけじゃ」

「あ、美鈴。今日の夕飯は何かしら?」

「本日はビーフシチューを予定しております」


 俺を置いて三人は歩いて行く。

 大きくため息を吐くが、思わず口角が上がる。

 どうやら俺は、なんやかんやでこの仕事が好きになっているようだ。

 そう思いながら、俺は三人の後を追った。



 後日、スーパーに顔を出してみると、新たな店長と正社員となった田中さんが協力し、以前のような穏やかな雰囲気で働くパートやアルバイト達の姿が見られた。


「田中さん、こんにちわ」

「やぁ高垣君。今日は何をお求めです?」

「生卵を買いに来ました」

「あれ? 昨日も大量に買ってなかった?」

「御影さんという同僚の方が、今日全部割ってしまって」

「そ、それは大変だね」


 苦笑いを浮かべる田中さん。


「どうですか? 正社員になって」

「やっぱり、アルバイトとは違うなって。前よりも責任のある立場だから、やることは多いよ」


 と、弱音を吐いているが、それに反して充実した表情を見せている。


「大丈夫ですって、田中さんならどんな困難でも解決しちゃいますよ。俺が保証します!」

「どこからくるんだいその自信。でも、不思議と君に言われると、そうかもしれないって思うよ。それじゃあ、僕は仕事に戻るよ」


 足早に次のコーナーは向かう田中さん。

 俺も目的の卵をさっさと買って帰ろうと、一直線に卵コーナーへ歩く。


「あれ? 高垣さんじゃないですか!?」


 ちょうどお菓子コーナーの品出しを終えた水戸さんとばったりでくわす。


「水戸さんこんにちは。仕事はどうですか?」

「まだまだ覚えることばかりですが、皆さんと一緒に頑張ってます!」


 以前のような明るい声で答えてくれる。


「あ、そうだ! 高垣さん、こっちこっち」


 こそこそと俺を手招く。

 仕方なくそれに付き合って、お菓子コーナーの前にやってきた。


「これ、ぷるキュアの新作のカード付きのポテチです。人気が高くて売り切れ続出していますが、高垣さんのために少し、奥の方に置いて確保しておきました」

「いや、俺はぷるキュアは」

「大丈夫ですよ! たしかにちっちゃい子向けの作品ですが、だからと言って高垣さんのことを否定しようとは思ってませんから」


 美鈴さんのお願いでぷるキュアを大人買いしてから、水戸さんは俺がぷるキュアの大ファンだと勘違いしてしまっていた。


「ありがとう……ございます」


 ぷるキュアのポテチを受け取る。


「頑張って、お気に入りの子を当ててくださいね。それでは、私は次の品出しがあるので、これで失礼します」 


 スキップ混じりに次のコーナーへ歩いて行った。

 これ以上知人に会わないために、さっさと生卵を回収し、レジで会計を済ませる。

 自転車がないため、歩いて屋敷へと帰った。

 いつか自転車を買おうと心に誓い、屋敷の扉を開く。


「お帰り春太」

「お帰りなさいませ、春太さん」

「春太君、お帰りなさい」

「春太く〜ん、お帰りなさ〜い」

「春太さん、お帰りなさい! 卵買ってきてもらってすいません!」

「おか、えり」


 みんなからお帰りと言われ、胸がジーンとする。


「ただいま戻りました。すいません遅れてしまい」

「いいのですよ……ん? これは」


 渡した袋の中に生卵と一緒に入ったぷるキュアのポテチを美鈴さんは見逃さない。

 他の人にバレないように伝える。


「どこも売り切れらしく、水戸さんが取っておいてくれました」

「感謝いたします」


 皆に仲間が見られないように、美鈴さんは先に調理場へ。


「あ、美鈴ちゃん。私も手伝うわよ〜」

「なら、私と輝夜さんで、グラスを用意いたしましょう」

「御影、今度は、グラス、割らない、で」

「私も手伝いますよ」


 メイド達が全員調理場に行き、俺と白波の二人だけが残される。


「じゃあ、私達は先に食堂に行くわよ」

「そうですね」


 長い廊下を二人で歩く。

 ここにきてもうすぐ二ヶ月。

 色々あったが、白波のおかげでこうして生活をして行くことができている。


「お嬢様、ありがとうございます」

「何よ急に」

「お嬢様のおかげで、俺はこうして生活することができています」

「そうね! 私に感謝しなさい!」


 その上から目線がなければ、いい奴なんだけどな。


「でも、私も貴方に感謝してるわよ。貴方がいなきゃ、ここまで楽しくならなかったから」


 そう言って、お嬢様は屈託のない笑みを俺に向けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新米の俺に対するお嬢様の評価が爆上がり @megunovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ