わたしの物語

 わたしは見るとはなしに画面を見ていた。

 画面にはお気に入りのVチューバ―の動画が流れている。

 時刻は深夜二時――家族はもう寝ている。

 わたしも、明日のことを考えればもう寝た方が良いだろう。


 わたしは、一人でこの時間を過ごすのが好きだ。


 それも今日のような凍てついた晩、空気も凍るような深夜がちょうどいい。

 この世界で起きているのは自分だけ――そんな優越感に浸れる。

 もちろん、そうでないことは分かっている。だが、そう思いたい。


 他人と時間を共有するのを否定する気は一切ない。


 ただ、時折一人で居たいという衝動に駆られるのだ。

 理屈ではなく、本能。わたしはこのままでは壊れてしまう――そんな直感。

 そんな得体の知れない感覚に囚われていることを、他人は笑うかもしれない。

 しかし、わたしにとっては大きな問題だ。

 遠足、体育祭、文化祭、修学旅行等々――学校には、集団行動を強いる行事が詰まっている。そんな中でこの一人の時間が取れなければ、わたしは発狂していただろう。

 昔は母親があまり夜更かししてはいけないとしつこく言ってきたが「誰にも迷惑をかけていないし、日常生活にも支障はない」と繰り返し答えたら、ようやく何も言ってこなくなった。

 自分でも、上手くやっている方だと思う。白い物を皆に合わせて黒いと言うように、私は上手く「擬態ぎたい」している……はずだ。

 画面の中では、Vチューバ―が歌を歌っていた。スピーカーのボリュームは絞ってあるので、他の部屋には聞こえていないだろう。

 わたしはそのウィンドウを最小化すると、今度はワープロソフトを立ち上げて文章を書く。

 脈略のない単語の羅列――詩? だろうか?

 とにかく、思い付いたことを書き殴る。プロの作家や詩人が見たら、その出来の酷さに顔を歪めるだろう。

 カタカタとキーボードを打つ音とVチューバ―の歌声。

 それらが意味もなく空間を満たしていく。


 誰にも邪魔されない。わたしだけの世界。それだけが幸福。


 異質かもしれない。異端かもしれない。

 けれども、わたしに言わせればそれを許さない社会の方が「狂って」いる。

 凶悪事件の犯人が、よく「社会のせい」だと言うが、実際に社会のせいであることもあるだろう。

 常に正しさを求め、それから外れたものを許さない社会――そんな「正しい」社会はわたしのようなものの居場所を奪う。

 正しいというのは、必ずしも「良い」ではない。むしろそれに従って切り捨てられた方に良いものがある場合も幾度となくあったのではないか?

 わたしは学者ではない。評論家でもない。だから、真偽は分からない。

 それでも、素人目に見ても何かが間違っていることは分かる。

 集団の利益だけを考え、勝手な行動を許さない社会――個性を尊重などともっともらしいことを言っても、口先だけで社会が変わらなければ意味がない。それでは単なる詭弁きべんだ。


 もっと、一人一人を大事にする、そんな社会があっても良いのではないか?


 Vチューバ―の歌声は止んでいた。

 わたしはキーボードから手を放して、一息つく。

 台所に行くと、ジュースを冷蔵庫から取り出してコップに注ぐ。それを手にして部屋に戻る。

 少し飲んで、画面に表示された文字を読む。

 思いのまま書き殴った文字、自分でも下手糞な文章だと思う。

 それでも、時折ジュースを飲みながら最後まで読む。

 見えない。


 「わたし」が「どうすべき」か見えない。


 わたしは、先程の動画を繰り返した。空っぽの体の中に歌声が響いていた。

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誰にも届かない 異端者 @itansya

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