第30話

「…それで、結婚、してくれる?」


 優子は白威の腕の中でごそごそ動き、白威を見上げる。

 返事を聞く時くらい、顔を見ようと白威は腕の力を抜いた。


「嫌よ」

「えっ」

「って言ったらどうするの?」

「どう…どう…」

「嫌だって言ったら、結婚しないの?」

「…する」

「何よ、結局するんじゃない。じゃあ結婚でいいんじゃないの?」


 なんだか投げやりな優子は、面白くない。

 白威は不満気に優子の顔を見下ろすが、耳が赤いことに気付いた。

 よく見れば、頬も赤い。

 口元はぴくぴくと、喜びを隠すように動いている。


「…結婚、する?」


 もう一度尋ねる。

 優子はじろりと白威に視線をやる。

 後光でも差しているかのように輝いている。

 その美貌に敵う者は一人もいない。

 綺麗な顔が至近距離にあるので、思わず顔を逸らしてしまう。


「…優子」

「な、何」

「結婚、する?」

「け、結婚したら、どうなるの?」

「優子も、神になる」

「えっ」

「神になって、現世から離れる」

「…両親に会えない?」

「会える。でも、境界線を越えるから、人ではなくなる。今までの黒髪も、境界線を越えたから、消えた。人間は神を見ることができない。でも、人や蛇に化ければ、人間からも見える」


 そういうことか。

 黒髪が消えたのではなく、人間が黒髪を見ることができなくなった。


「…じゃあ、何で黒髪って生まれるの?なんで白蛇と結婚するの?」

「運命だから。ずっと昔、白蛇と黒髪が恋に落ちた。それからずっと、お互い探してる。白と黒は、真逆だけど、惹かれあうもの」


 確かに、白威を初めて見た時、言い様のない感覚があった。

 見惚れるという表現が正しいのか、吸い寄せられるような感覚があった。

 あれが、運命というのだろうか。

 惹かれたのは確かだ。白威も、あの日から自分に惹かれていたのだろうか。

 しかしあれは運命というより、一目惚れだ。

 そう、優子にとって、一目惚れだった。


「それで、結婚」

「…」

「優子と結婚したい」

「…うん」

「僕と結婚、する?」


 結婚しよう、ではなく、結婚するかと問う。

 夢の中では結婚しようと言っていたのに、現実になると、するかどうかを聞いてきた。

 答えはたった一つしかない。


「…してあげないことも、ないけど」

「じゃあ、しよ」

「…うん」


 叶わないと思っていた、白威との結婚。

 こんな未来が待っているとは、夢にも思わなかった。

 幸せすぎて、視界がぼやける。

 言っていることは強気だが、表情は正反対な優子が可愛くて、その額に唇を当てた。これで二度目だ。


「ちょ、ちょっと!」

「何?」

「な、何って…」

「...?」

「はぁ、もういいわ。まったく、あんたが最初に言ってくれれば悩まなくて済んだのに」


 ぶつぶつと未だ文句を垂れる。

 そしてふと、鳥居を思い出す。


「ねえ、鳥居に白威って書いてあったんだけど、あんなもの前からあった?それとも今日が結婚式だから?」


 白威と書かれてあった鳥居に、もしかして、と心の隅で期待した。

 もしかしたら、この神社に祀られているのは白威ではないかと。

 まさかそれが本当だとは思わなかった。


「前からあった」

「嘘よ。あんなの見覚えないわ」

「神代文字、っていう」

「何それ。神様が使う文字?」

「そう」

「白威は神様なの?蛇の神様?」

「そう」

「でも、神じゃない私が読めたのよ」


 何の違和感もなく、白威と読めた。


「僕がずっと、傍にいたから。だから、読めるようになった」

「そうなの?じゃあ鳥居に変化があったんじゃなくて、私が変わったの?」

「そう。だから、日記も読めた」

「日記?」


 日記で思い出すのは、書庫で読んだ江鶴の日記や惚気日記。

 村長は読めないと言っていた日記。


「えっ、あの日記も普通は読めないの?」

「うん」

「というか、どうして私が日記読んだことを知ってるの?」

「…」

「あの時傍に居た?夢には出てきていたけど、私が日記を読んでるところなんて見てないわよね?」


 優子が日記を読んでいた時、傍には白蛇が一匹いるくらいだ。

 まさか。

 仮説が一つ浮かび上がる。


「あの白蛇が使者だったってこと?」

「…違う」


 白威とあの白蛇が使者だと思っていたが、主人は白威だった。ならばあの白蛇一匹が使者。であると思っていたが、違うようだ。

 ならば何だ。

 眉を寄せて考える優子を見て、白威はくすっと笑うと、一瞬にしてその場から消えた。


「…えっ、白威?」


 いなくなった白威を探すべく、本殿の中をぐるりと見渡す。誰もいない。どこに行ったのだろう。

 探しに行こうと足を動かすと、脹脛に違和感があった。


「えっ」


 足元を見ると、あの白蛇が優子の足に肢体を擦りつけていた。

 しゃがみ込んで白蛇を覗き込む。

 いなくなった白威。現れた白蛇。使者ではない白蛇。

 まさか。


「…分かった?」


 その一考を肯定するように、いきなり白威が現れた。

 先程いた白蛇は、いない。


「そ、そういうことね!?この悪魔!全部騙してたのね!」

「騙してない」

「騙してたじゃない!あんたが白蛇だったのね!?」


 夢で会っていた白威と、優子に従順だった白蛇は同一人物だった。

 騙された、と憤慨する優子。

 そして、はっとする。

 初めてこの本殿に来たとき、優子は白蛇を見つけて何をしたか。

 左右に引っ張り、千切ろうとした。床に何度も叩きつけた。尾を持って振り回した。

 書庫でも、床に投げつけた。

 従順なペットとして傍に置いていた。

 それがどうやら、婚約者だったようだ。


「…痛かった」


 青くなる優子の脳内を察し、白威は息を吐いて言う。

 いつだったか、優子が服の中へ入れようとしたら、拒むように逃げていた。

 白蛇の分際で何を意識しているのだ、と馬鹿にしていたが、意識するのも当然だ。

 白威は優子の顔を覗き込み、再度「痛かった」と伝える。


「ふん、じ、自業自得よ!私を欺いてた罰だわ!」

「…罰は、僕が下すもの」


 自分は神だから、と無表情で胸を張る白威にムカっとするも、以前白威と話したことを思い出す。


「ねえ、前に、何でも願いを叶えてくれるって言ったわよね?」

「言った」


 優子の黒髪を撫でながら、白威は頷く。


「じゃあ、私の願いを叶えてよね」


 白威の衣服を掴み、にやっと笑う。


「願い、聞く」


 愛おしそうに優子を見つめる。

 優子の心臓がまた暴れ始め、誤魔化すようにこほんと咳払いをする。


「じゃあ、村人に天罰を下して」

「天罰?」

「そうよ。あいつ等、私たち家族に散々酷いことをしたんだから、当然の報いよ。生贄を差し出せば村は守られると信じてるあいつ等を懲らしめてくれない?」


 優子は一度も善人になったことはない。

 両親のため演じていたにすぎないのだ。

 優子に対して、誰が何をしたかなど細かに覚えている。忘れるものか。忘れてやるものか。今まで耐えてきたのだ。その分を返すことくらい、大目に見てほしい。

 にたり、と善人ならざる顔で笑う優子を見て「悪い子」と呟く。

 でも、そんな優子が好きだ。

 善人になり切らず、強気で勝気で短気で、物騒な言動をする優子が気に入っている。


「それで、この願いを叶えてくれるの?くれないの?」

「叶える」

「ふふ、従順ね」

「...ペットじゃない」

「喜んでたくせに。あんた蛇の姿だと従順なのね」

「…優子のため」


 照れる白威の頬を突き、「また蛇の姿になったら遊んであげる」と揶揄う。

 白威は人にもなれるが、本来は蛇である。故に、蛇の姿だと本能のままになってしまう。

 蛇と白威が同一人物だと知ってしまった優子は、このネタで暫く揶揄おうと意地悪な心がうずいた。

 そんな優子に気付き、白威はむっとして優子の耳元に顔を埋める。


「優子、愛してる」


 その一言が優子に衝撃を与えた。

顔から熱を出し、口をぱくぱくさせ、潤んだ瞳で白威を視界に入れる。

可愛い、と呟いて優子の頬に唇を寄せた。


「な、なん...!」

「天罰、下す」

「そ、そ、そうよ!早くして!」

「…一緒にやる?」

「な、何それ私もできるの?やる」


 悪い子、と笑い、未だ魚のようにぱくぱくさせている優子の口元に、自らのそれを重ねた。

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白蛇様の花嫁は強気な黒髪少女 円寺える @jeetan02

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