第3話 今日も従者はため息を吐く

「ガトーさまぁ♡」

「ノエルは今日も可愛いな」

「…………」


 殿下はさっそく学園でブッシュ男爵令嬢に近づかれました。


「やだぁ、もぉう、ガトーさまったらぁ♡」

「ノエルを私の瞳の中に閉じ込めておきたい」

「…………」


 なんと、出会って5秒で陥落です。


 今や彼女は殿下の恋人気分。

 少しは疑ってくださいよ。


「うふふ、他の『攻略対象』と違ってガトーさまもロッシェ君も『フラグ』立てても落ちないんだもん。諦めてたけどぉ、ちゃんと『好感度』は上がってたのねぇ」


 言ってる意味の半分も分かりませんが、好感度に関しては上がるどころか真っ逆さまの絶対零度ですよ。


 殿下の作り笑顔もヒクヒク引き攣ってるじゃないですか。


「殿下、殿下」

「何だロッシェ?」

「ベニエ様もブレスト様もただのアホウだったのではありませんか?」


 まともな人間ならこんな地雷女に引っ掛からないでしょう、

 完全に二人の自爆だったと思われます。


「うむ、私もそう考えていたところだ」


 あの二人は側近から外して正解だったようです。

 ちょっと殿下、うんうん頷かないでください。また私の心を読んだんですか?


「ガトーさまぁ、どうかしたんですかぁ?」


 ほら、怪しまれたじゃないですか。


「あ、ああ……そうだ、昼にしないか?」

「そうですねぇ……王子ルートが開放したなら食堂でイアリスの転ばし『イベント』が発生するはずよね」


 イアリス様?

 転ばし?

 また意味不明な呟きをブツブツと……いったい何なのでしょう?


「うむ、何かやらかすかもしれんな」


 不吉な事を言わんでください。


 ですが、悪い予想ほど当たるもの。

 殿下の予想は当たってしまいました……


 学生食堂カフェテラスへ到着して席を探そうとキョロキョロと辺りを見回すとイアリス様の後ろ姿が私の目に止まりました。


 あの銀糸の如くきらめく長いシルバーブロンドは目立ちますからね。


「殿下、イアリス様です」

「なに!?」


 そっと耳打ちすると殿下がびくりと体を震わせオドオドし始めました。


「ま、まずい」

「何で逃げようとするんですか」

「だって浮気と思われたら嫌じゃないか」

「それが今回の目的でしょう」

「そうだった……でも、やっぱり嫌われたくない!」

「往生際が悪いですよ」


 このヘタレがうだうだと。


 逃げようとする殿下の尻を蹴っ飛ばし……もとい背中を押しているうちに何故かブッシュ男爵令嬢が先にスタスタとイアリス様の方へ。


「ぐべっ!」


 そして、ヒキガエルが潰れるような声を上げて、何故かイアリス様の目の前でダイビングするブッシュ男爵令嬢。


 五体投地で倒れましたが……あれそうとう痛いんじゃないですか?


 半泣きになってますが……でも、今の自分から倒れましたよね?

 イアリス様の神々しい美しさを前にして拝みたくなったのでしょうか?


「きゃっ!」


 その直後、鈴を鳴らすような澄んだ、そしてとても愛らしい悲鳴が。

 まずい事に倒れたブッシュ男爵令嬢にイアリス様が躓いたようです。


「イアリス!!」


 殿下は咄嗟に倒れそうになったイアリス様を抱き留めました。


「大丈夫か?」

「ありがとうございます」


 心配顔の殿下に対して相変わらずイアリス様は美しい無表情です。


「もう大丈夫で――いたっ!?」

「足を挫いたみたいだな」


 どうやら躓いた時に足を痛めてしまったようです。


「無理はするな」

「殿下!?」


 ヒョイッと殿下はイアリス様を抱き上げましたが……公衆の面前でお姫様抱っこですか?


「ガトーだ……名前で呼んでくれといつも言っているだろ」

「あ、その、ガトー様」


 殿下、イアリス様に名前で呼んでもらって喜んでいる場合ですか!


「ガトーさまぁ、これはどう言う事なんですかぁ?」

「あ、いや、これは……私はか弱き者を思わず助けてしまうタチでな」

「優しいガトーさまも素敵ですぅ……でも、私は誰が助け起こしてくれるんです?」


 殿下の両腕は塞がっておりますので、手を差し伸べるのは不可能ですね。


 チラッと殿下が訴えかける目でこちらを見てきましたが……


「ロッシェ」


 え?

 私ですか!?


 こんな女、近づくのも嫌ですよ。


「どうして誰も私を助けてくれないんですかぁ!」


 ガバって立ち上がってブッシュ男爵令嬢が苦情を申し立ててきましたよ。自力で起き上がれるんだから良いじゃないですか。


「だいたい『攻略対象』が『悪役令嬢』を助けて『ヒロイン』を助けないなんて『乙女ゲーム』として間違ってます!」


 意味の分からない事を叫んで逆ギレしてますよ。


「いったい何の話をしているんでしょう?」


 私が殿下を見れば――


「私に分かるわけなかろう」


 殿下はイアリス様を見て――


「申し訳ございません。私にも理解できません」


 イアリス様は殿下の腕の中で器用に首を横に振られました。


「何よ三人でイチャイチャしてぇ!」


 えぇ! 私も含まれるんですか?


 私は別に殿下とイチャイチャなんてしたくありませんよ。


 イアリス様とだったら――いえ、殿下に殺されるから遠慮しておきます。だから殿下、心を読んで殺意の目を向けてこないでください!


「こうなったら『断罪イベント』に突入よ!……私、イアリス様に虐められているんです」


 何ですか急に?

 狂いましたか?

 元からか……


「さっきだって足を引っ掛けられ転んじゃったし」

「さっきのはご自分で転んでいましたよね?」


 みんな目撃してますよ。


「それに、大切にしていたペンダントを盗まれたし、教科書を破かれたり……そうだ、いつも悪口を言われてますぅ。この間なんて階段で突き落とされちゃいましたぁ」

「なるほど、それは酷いな」


 それが事実であれば、ですけど。


「それで、それらをイアリス様がなされた証拠はあるのですか?」

「え? だから私の証言が……」

「それは証拠にならないでしょう」


 まったく、証言を証拠だなんて主張しないでください。


「イアリスは彼女を虐めたのか?」

「いいえガトー様、私は虐めなんてしておりません」

「ほら、イアリスはやってないと証言しているぞ」


 …………えっ!?


「そっちも証言だけじゃないですか!?」

「イアリスが嘘をつくはずがないからな」

「何でそっちだけ!?」

「私とイアリスの真実の愛の前に嘘はないからだ」


 もうどこから突っ込んでいいのか。


「何で何で? 配役がおかしいですぅ。イアリス・クームは氷の『悪役令嬢』なのにぃ!」

「イアリスを悪役とは聞き捨てならん!」


 イアリス様を侮辱されて怒り狂う殿下……最初の目的を忘れていますよね?


「いいもん、いいもん。まだ私にはアレク君がいるんだからぁ。ガトーさまなんて知らない!」


 プンプン怒ってブッシュ男爵令嬢が去って行きました。


「殿下、けっきょく何も分かりませんでしたね」

「あ……忘れてた」


 殿下の作戦はこうして失敗で幕を閉じたのでした。


 足を捻挫したイアリス様をお姫様抱っこできたのだけは、殿下にとっての収穫だったようです。もうこうなってはと、できるだけ長い時間をかけて医務室へ運ばれておりました。


 よっぽど嬉しかったようで、執務室に帰った後もその話題ばかりするんですよ。うるさいんで途中から耳栓をしましたが。


「こら、ちゃんと私の話を聞け!」

「ご安心ください。殿下と私は以心伝心なので耳栓をしても話は伝わっております」


 まあ、ぜんぜん分かりませんが。


「それで、ノエル・ブッシュの件はどうされます?」

「今日の失敗は痛かったが、あの天然娘が他国のスパイとは思えんから緊急性はないだろう」


 まあ、あんな頭のゆるい女スパイもないでしょう。ハニートラップの線はまずありませんか。


「ですが、殿下の側近が二人もダメにされましたし、現在進行形でアレク・エコーチョ様が篭絡しかかっているのですよね?」

「前二人に関してはむしろ迂闊な奴らと分かって良かったと思おう」


 確かにブッシュ男爵令嬢に引っ掛かるようなのを側近にはしたくないですよね。


「アレクに関しては先ほど彼から報告があった」

「えっ!」


 いつの間にアレク様と接触していたんですか。


「実はアレクもベニエとブレストの件でブッシュ男爵令嬢を疑っていたらしい」

「それじゃあもしかして殿下と同じで?」

「ああ、他国のスパイではないかと調査する為に彼女に近づいたようだ」

「でもスパイではなかった」

「ああ、だが令嬢二人が婚約破棄の被害を受けているし野放しにもできんから、今度キルシュ・テトル嬢と示し合わせてブッシュ男爵令嬢を嵌めるそうだ」


 あの男爵令嬢も年貢の納め時ですかね。


「それではブッシュ男爵令嬢の件はアレク様にお任せするとして、残す問題はイアリス様のお気持ちだけですか」

「ああ、イアリス、イアリス、イアリスゥゥゥ!!」


 やべっ、この話題は出すべきではありませんでした。


「イアリス、君は私をどう思っているんだぁぁぁ!!!」


 当分この問題は解決しそうにありませんね。


 ハァ……

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