その先へ。

 昨日降っていた雨は止み、青い空にぷかぷかと白い雲が浮かぶ。旅立ち日和。そんな風に言ったのはマーニャさん。

 そんな日に、町の出口、山を越えていく道の始まりに、私とソミアさん、マーニャさんにゲールさんたちが集まった。私達の前には、大きな荷物を背負ったメルティエさん。


「お世話になりましたっ!」


 深々とお辞儀をしたメルティエさん。背負カバンからぶら下がる瓶の中で、白く光る枝が揺れた。

 星の光枝。

 メルティエさんが、お師匠様のために探していたもの。私の、メルティエさんのお手伝いの口実。

 そして、私達のお別れの証そのもの。

 私が“アレ”に成り代わって、メルティエさんと一緒に山を越え、川を下り、1週間の旅路を共にしたいくらいなのに……。

 そんな熱もすぐに冷静な私が水をかけて冷ましてくれた。

 モノに嫉妬してどうするんだ、って。

 ……なかなか重症なのかもしれない。


「寂しくなるねぇ。」

「だがな、それが嬢ちゃんの使命ってわけだ。仕方ねえよなあっ。」

「そうですね。道中、お気をつけて。雨季も近いですから。」

「……気を、つけて。」

「はあいっ。あ、リートちゃんっ。」

「…………?」

「例の件、よろしくねっ。」

「うん……。任せて。」

「おっ?リート、メルティエの嬢ちゃんと仲良しになったのかい?」


 ゲールさんがそう聞いてもリートさんの表情はピクリとも変わらない。

 ……気になる。でも、リートさんとメルティエさんが私の知らないところで仲良くなっていたのだとしても、それはきっと私が知っておかないといけないようなことではない。リートさんとメルティエさんの問題、というだけ。

 それは分かっているんだけど……。


「ゲールには、……関係ない。」

「なあぁぁにぃ!?」

「まぁまぁ、ゲールさん。」

「年頃の女の子のヒミツにガサツな男が首を突っ込むもんじゃないよ。まったく。」


 レイバスさんにフェリチナさんと、二人がかりで止められて、渋々ながらもゲールさんは引き下がった。


「フィルカくんという可愛い弟子を持ちながら他の女の子に手を出そうだなんて、不埒な魔法使いさんだ。」


 はっはっはっ、と高らかにマーニャさんが笑うと、メルティエさんは、むうっ、と不満そうにふくれる。


「そうじゃないもんっ。ちょっと頼み事をしただけなんだからっ。」

「そういうことにしておくよ。まぁ、道中は気を付けておくれよ。雨季に片足を入れた時期でもあるし、山越えの道もモンスターが例年よりも多いとも言われているから。」

「も〜っ!大丈夫だよっ!ここまで来るのも一人だったんだしっ。護身用の魔法だって、使えるものが来るときよりも増えたんだからっ。」

「そういうときが一番、危ないんだがね。……ん?そういえば、私が作った杖はどうしたんだい?」

「マーニャさんの杖はフィルカちゃんに預けてあるよっ。あの杖は、フィルカちゃんと一緒の時に使いたいって思って。ここに必ず戻って来るつもりだからねっ。」


 魔法使いは何本も杖を持っているのも珍しくなく、場所や用途ごとに使い分けている人もいる、らしい。

 そう教えてくれたのはメルティエさん。きっと普通のことのはずなのだけど、その理由まで堂々と言われると何だか恥ずかくなる。


「……ふむふむ。なるほどね。」


 何かを理解したかのように何度もうなずいたマーニャさんは、私とメルティエさんを交互に見やった。


「マーニャさんっ!フィルカちゃんに変なこと、しちゃダメだからねっ。」

「変なこと、か。フィルカくんの手の空いている時にちょ〜っと、研究やら仕事やらを手伝ってもらおうとは思っているだけなんだがね。もちろん、報酬は払うつもりだが。」


 私を見るマーニャの視線に怪しさを感じた、というのは、私の考えすぎ、なのかもしれない。……たぶん。


「本当にそれだけだからねっ!」

「安心したまえ。フィルカくんにちょっかいをかけるのであれば、メルティエくんが居る時の方が楽しいからね。早く修行を終えて帰ってきておくれよ?」

「もおおぉぉっ!!」


 ぷんぷん、と怒りっぱなしのメルティエさんを前にまた高らかに笑うマーニャさん。

 マーニャさんの”いい性格”に磨きがかかったようにも思えた。ひょっとしたら、料理の件をまだ少し根に持っているのかもしれない。


「メルティエちゃん。」


 続いて、白いもこもこを着たソミアさんが一歩前に出る。


「ソミアちゃんっ!と〜っても、お世話になりましたっ!」

「メルティエちゃんこそ、ありがとう。ボクのところの久しぶりのお客さんで、嬉しくて……。」

「えへっ。あたしもソミアちゃんの料理、たくさん食べられてとっても嬉しかった!それに、あたしが家で作る時の参考にもなったし!また、帰ってきた時はよろしくねっ!」

「……うんっ。その時までに、作れるもの、いっぱい増やしておくから!」

「ほんと!?楽しみっ!」


 二人が無邪気に笑っている。

 私にとっても、それは嬉しいことのはず、なのだけど、単にそれだけではなくて、灰色の雲のようなもやもやが、ほんの少しかかる。

 ……やっぱり、ちょっとおかしい。

 主に私が。

 もうすぐお別れで、気持ちがくちゃくちゃなせい、なのかな。……きっとそう。だから、少し落ち着けまた元通りになる、と思う。

 ソミアさんが一歩下がって元の位置に戻ると、私を促すように視線をくれた。すっと、雲が晴れたのを感じて前に出ようとするけれど、それよりも早くメルティエさんが私の前にやってきた。


「フィルカちゃんっ。」

「……もう、出発しないと、ですよね?」


 言わなくても分かるようなこと。

 そんなもので、残りわずかしかない時間を浪費なんてしたくないのに、何を言ったらいいのか分からなくて勝手に飛び出てきてしまった。


「うん。でもでも、フィルカちゃんともうちょっとだけ、お話がしたいかなって。」

「私もっ……!その……。」


 初めて話す人を目の前にしたときよりもずっと、胸の鼓動が早くて頭の中で考えがぐるぐると勢いよく回り続けている。目が回りそうで、気を抜くと倒れてしまいそうで。

 大きく息をして、まだ涼しい風を身体の中に取り込んで無理やり心を鎮めようとするけれど、一向に収まる気配がなくて。

 そうやってもごもごしていると、メルティエさんがクスッと笑った。


「フィルカちゃん。そんなに心配そうにしなくても大丈夫だよ。あたし、ちゃ〜んと帰ってくるんだからっ。」

「そ、それは疑っていませんが……。私、そんな風に見えていますか……?」

「うんっ。今生こんじょうの別れって顔してるよっ!」


 そう。今日はただのお見送り。

 少し長くなるかもしれないけれど、いずれメルティエさんは帰ってきてくれる。そう約束してくれた。

 だから。


「ごめんなさい。私――。」


 そこまで言ったところで、唇にそっと指を当てられた。

 一瞬、何か分からなかったけれど、ハッとして。


「えへっ。フィルカちゃん、気が付いたみたいだねっ。」

「は、はい……。」

「謝る必要の無いところで謝っちゃだめって言ってるのに〜。もう。最近は良くなってきたかなぁって思ってたんだけど。」

「ごめ……、じゃなくて、気を付けます。」

「えへっ。よくできましたっ。」


 メルティエさんに褒められて、頭を撫でてもらって、人前で恥ずかしくて鼓動が大きくなったり、でも何だか嬉しくて落ち着いたり、これもしばらくはしてもらえないのだと思うと気持ちがしぼんだり。

 僅かな時間で感情が大きなうねりを作って押し寄せてきて、私を全部押し流してしまいそうだった。


「私、自分一人でもきちんと魔法も勉強しておきます。それに、お金も貯めておきます。ふたりで色々とできるように。なので……。」


 早く、帰ってきてください。

 危うく出かかった言葉を静かに飲み込んでから。


「私、待っています。メルティエさんが、きちんと修行を終えて一人前の魔法使いになって戻ってきてくれるまで。なので、あまり無理をしたり、ズルをしないようにしてくださいね。」

「ゔっ……。はあいっ。」

「全く、どっちが師匠なのか分からないな。」


 マーニャさんがそう言うと、どっと笑いが起こった。


「むぅ〜。」

「大丈夫です。私はメルティエさんのこと、魔法の師匠だって思っていますから。」

「ありがとっ。でもね、マーニャさんの言う通り、ってわけではないんだけど……。あたし、あんまりお師匠様らしいこと、できてなかったなぁって。本当は、もっといっぱい、魔法について教えられることがあったんだけど。」

「それも、全部終わってからでも遅くはないですから。」

「ほんと?」

「はい。ほんとです。だから……。」


 胸の底に渦巻いている熱さが、少しずつ忍び足で登ってくる。かと思うと、目の奥まで着たところで、突然、せきを切ったかのようにあふれ出そうになって。

 咄嗟とっさに空を仰いだ。青い空をふわふわと流れていく雲の緩さのおかげで、少し気持ちが落ち着いた。

 ふぅ、と一息吐いてから、もう一度、メルティエさんを見据える。やっぱり、あふれてしまいそうな熱くて、まだ形になっていない気持ち。それを何とか押し留めて。


「だから、道中、気を付けてくださいね。怪我とかしないように足元には注意してください。一緒に歩いていると、よく転びそうになっていましたし。あと、寄り道もダメですからね?珍しいものを見つけても、帰るのを優先してください。」

「も〜っ!フィルカちゃんまでそんなこと言って!……でもでも、ありがとっ。安心して?ちゃ〜んと、まっすぐ里に変えるからっ。少しでも早く、修行を終わらせるつもりだからねっ。」

「はい……。」

「もお〜。フィルカちゃんがそんなに落ち込んでるようだと心配で帰れないなぁ〜。」

「落ち込んでいるわけでは……。」


 いや、落ち込んでいる。かなり。

 でも、それではだめ。お互いに、きちんと前を向いて進まないと何だから。メルティエさんに心配をされたままお別れなんて、絶対に。

 心の暗い霧を追い払う。前を見て。メルティエさんを見て。


「私は大丈夫です。心配しないでください。」


 目一杯、背伸びをして。

 メルティエさんに届くように。

 そして。


「行ってらっしゃい。」


 私がそう言うと、メルティエさんも、すうっ、と息を吸ってから。


「行ってきますっ。」


 くるんっ、と背中を向けたメルティエさんが一歩ずつ遠ざかってゆく。

 大きな背負いカバンを小さく跳ねさせながら。

 紫色のおさげを揺らしながら。

 濃い灰色の岩山に消えていく道の上、小さくなるメルティエさんの背中。

 ……振り返ってくれるかな。

 淡く小さな期待が胸の奥に灯る。

 大事に取っておきたい、優しい光。だけど、それにそっと息を吹きかけて消した。

 きっと、メルティエさんなら振り返らない。

 だから、私もメルティエさんに背を向けた。

 目の前に見えるのは大きな木。この地の主の星樹。


 圧倒的な存在感のその木は、今日はなぜか、ちょっぴり、ぼやけていた。

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星降る大樹の少女と魔法使い 畑根 蓮 @hatane_ren

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