回想2 彼女のチョコレートパフェに関する考察
ある日のこと、僕と彼女は、そこにあると知っていなければ素通りしてしまいそうなところにある小さな喫茶店に入り、奥のほうにあるこれまた小さな席に、向かい合って座った。僕はブラックコーヒーを、彼女はチョコレートパフェを頼んだ。
注文の品が運ばれてくるまでの間、彼女は僕の原稿を読んでいた。とある新人賞へ送る予定の短編小説だった。僕が物語を描き、彼女がそれを読む。この関係が出来上がったのは、僕らが大学一回生の時だった。
僕が図書館の片隅で小説を書いていると、彼女が話しかけてきたのだった。「その話のつづき、教えてよ」と。僕はその時になって初めて、彼女がずっと隣で僕の描く世界を眺めていたことに気が付いた。書くことに集中すると周りが見えなくなるというのは、今も治らないくせだ。
それよりも何よりも、当時の僕にとっては、僕に話しかけてくる人間がいるということに驚いた。僕は基本的に寡黙で、他人に心を開くどころか、口をきこうともしない人間だった。そんな状態で二〇年近く生きてきたものだから、他人に話しかけられること……しかも、自分の小説について話しかけられることに、慣れていなかったのだ。
「そうね。やっぱりこっちの方がいいわ。前のは暗かったもの」
原稿を読み終えた彼女が感想を漏らす。その原稿は、以前のアドバイスを受けて書き直したものだった。
「そうかな」
「そうよ。こっちの方が、夢がある。夢はたいせつよ」
「ま、君がいうのなら、そうなんだろう」
小柄なウェイトレスが、上品な笑顔を浮かべて僕の前にコーヒーを、彼女の前にチョコレートパフェを置いた。その喫茶店によく似合う、こぎれいなチョコレートパフェを前にして、彼女はうっとりして語り始めた。
「チョコレートパフェっていうのは、夢の宝庫のようなものね。それでいて、切なくなる」
「どうして?」
確かに甘いものがたくさん詰め込まれていて、スイーツ好きの女の子にとっては、ちょっとしたお祭り状態の食べ物だろうけれど、切なくなるというのはよくわからない。
「だって、夢は覚めるものよ。チョコレートパフェだって、食べてしまえばそこで終わり。食べずにおいておこうにも、アイスは溶け、クリームは侵食して、そのまま崩壊してしまう」
「なるほど」
とは言いつつも、おいしそうにチョコアイスをほおばる彼女を見ていると、ほほえましい気持ちになる。
「それがチョコレートパフェであることに必然性はあるのかな?」
「どういうこと?」
「いちごパフェとか、他のパフェにも当てはまらないのかってこと」
「そうね……」
彼女は白い額にしわを寄せて考え込んだ。考え込みながらも、スプーンは次の層へ突入している。
「いや、やっぱりチョコレートじゃないと駄目ね。私の大好物だもの」
「そうか。確かにそれは重要だ」
僕は笑いながらコーヒーを飲みほした。
「パフェの崩壊は夢の終わり。切なく、儚いものなの」
そう言って彼女は、空っぽになったグラスとスプーンをテーブルに置いた。カタンという音がグラスの中で響いていた。
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