森亜紅太郎は名探偵を黙らせたい

星雷はやと

森亜紅太郎は名探偵を黙らせたい

 


「暇だぁぁ……」

「休憩時間だから暇でいいじゃないか」


 公園のベンチで本を読んでいると、隣から気の抜けた声が響いた。大学の友人である家入鍵一だ。僕は本から視線を外さずに、家入の発言を否定する。


「教授、何か謎を出してくれ……」

「僕も休憩時間だって理解しているのかい?」


 本当にマイペースな奴である。今日は同じ学科の友人が体調不良により、提出することの出来ない課題を昼休みに受け取りに来たのだ。此処は待ち合わせの公園である。目の前には友人の高層マンションが聳え、駐車場が見えている。

 家入は僕のことを『教授』と呼ぶ。森亜紅太郎という僕の名前が、某有名な小説の犯罪王とフレーズに似ているからだ。


「勿論だとも! 休憩時間ならば、何をしても自由だろう?」

「いや、君は常に自由人だろう……。はぁぁ……分かったよ……」


 家入は整った容姿を持ち優秀な男であるが、無類の推理オタクである。このまま彼を放置したい気持ちがあるが、そうすると被害を受けるのは僕だ。

 以前、同じような状態の家入を放置した際、彼は通りがかった女性が二股を掛けられていることを言い当てた。突然、見ず知らずの男からプライベートなことを言い当てられ、怒り心頭の彼女は家入へと殴り掛かった。

 慌て止めに入った僕は見事に、左頬に赤い紅葉が付ける結果になったのだ。僕は溜息を吐くと、白旗を上げるように本を閉じた。


「教授の謎は面白いからな」

「はぁ……。現金なことだね、名探偵?」


 家入が僕を教授と呼ぶ理由はもう一つ存在する。僕が思い付いた謎解きを書いているからだ。推理オタクな彼がそれを見逃す筈もなく、知られてからは定期的に謎を要求されている。毎回見事な『名探偵』ぶりを発揮しているのだ。

 日頃、謎を求めて五月蠅い彼を黙らす方法として、謎を提供するのはやぶさかでない。調子の良いことを口にする『名探偵』に挑発的な笑みを浮かべた。


「ある男がマンションのエレベーターに乗りました。彼の目的の階は5階でした。しかし彼は途中でエレベーターを降りて階段を使い、目的の階まで行きました。何故でしょうか?」

「それだけか?」


 僕が謎を告げると、彼は意外とばかりに首を傾げた。彼にとってこの謎は簡単過ぎたようだ。だが今はこれでいい。


「そうだよ。口頭で出来る謎解きには限界がある。それとも解けないのかい?」

「いや、大丈夫さ。質問は2つだけだ」


 日頃の謎解きよりも簡単なレベルに、彼が驚くことは予想の範囲内だ。わざとらしく煽ると、彼は首を横に振った。彼の視線が僕に集中しているのは、都合がいい。視界の端で白い影が過ぎたことに、内心ほくそ笑む。


「どうぞ」

「男性はそこの住人かな?」

「いいえ」

「途中でエレベーターに乗って来た人は?」

「います」


 彼の質問に答えていく。本来ならばこんな質問も無駄である。簡単過ぎると警戒しているのだろう。良い心がけである。


「男性は運送関係者で配達先が5階だった。エレベーターに乗ったが途中で住人が乗り、下りのボタンを押した。急いでいた彼はエレベーターから降り、階段を使い目的の5階まで行った」

「お見事」

「……なんか手抜きじゃないか?」

「おや、失礼だな」


 淀みなく謎を解いた彼に拍手を送ると、不満顔で彼は僕を問い詰める。スマホの通知音が鳴り、画面を確認すると待っていた相手からの通知だった。


「さて名探偵、僕は貴重な休憩時間を君に付き合ってあげたよね?」

「ん? 嗚呼。……教授?」


 僕が微笑みながら家入を見ると、彼は少し戸惑ったような声で僕を呼んだ。


「じゃあ、10階まで取りに行ってくれ」


 友人から送られてきた【e5igwh;】と表示された、スマホの通達文を見せた。


「【e5igwh;】……成程、教授の入れ知恵か?」

「人聞きが悪いよ。彼が中々、課題に手を付けないから助言をしてあげただけさ」


 送られてきた暗号は、名探偵には数秒で解けてしまった。パソコンのキーボードに記されている五十音を、同じキーに表示されているアルファベットと記号に変換しているだけの簡単な暗号だ。このメッセージは【いえにきてくれ】である。

 マンションの友人が、少しでもパソコンに向かってくれるようにと教えたのだ。百パーセント善意なのだが、家入が疑うと僕が悪者のように聞こえてきてしまうから止めて欲しい。


「では、即興的に作った謎で俺に付き合ったのは、時間稼ぎか?」

「やっぱり、簡単過ぎて即興だとばれた?」

「嗚呼、君は本を読み始め、途中から一ページも進まなくなっていた」

「観察力の鬼かな?」


 マンションの友人から連絡が来るまでの時間稼ぎであったこと、この公園に来てから思い付いた謎だったことがばれてしまった。だがそれは計算のうちである。


「因みにエレベーターは使えないようだから、10階まで頑張ってくれ。良い運動だろう?」


 駐車場に止められたエレベーター会社のロゴが入ったバンを指差した。これで少しは静かに読書をすることが出来る。謎で家入を黙らせることが出来なかったのは、惜しいことだ。  だがエレベーターが使用出来ない状況ならば、10階まで階段で往復するのは時間がかかるだろう。僕の平和な読書の為にも、是非行って来て欲しい。

 即興的な謎を出してまで家入の注意を引き付けたのは、エレベーター会社のバンを見せない為である。彼が初めから車が停車していることを知っていたら、友人の部屋まで課題を取りに行くことを断られる可能性があったからだ。僕の努力を無駄にして欲しくない。


「……先日。あいつはエレベーターの点検があったと、愚痴をこぼしていたが?」

「え? ……待ってくれ。さっきエレベーター会社の作業員が、マンションに入って行ったけど?」


 家入が顎に手を当て、矛盾するようなことを口にした。思わず僕はエレベーター会社のバンを指差し、首を傾げた。


「あ、……まじかぁ……」


 スマホが新たな通知を知らせた。通知を見た途端に頭を抱えたくなる。現実逃避をする訳にもいかず、【s@\-@4】・【utjt@gq】と表示されたスマホを隣の家入に見せる。暗号の意味は【どろぼう】【なかまがきた】だ。


「これも、教授の仕込みか?」

「そんなわけあるか」


 家入が立ち上がると、質の悪い冗談を口にする。彼の瞳がこの上なく好奇心に駆られ輝き、頭痛がする。そんな彼を睨みながら、僕は苦々しい気持ちで重い腰を上げた。


 友人のピンチを助けるべく、マンションへと足を進めた。


 その後。階段を使い僕が息も絶え絶えになりながら、10階に到着すると家入一人で泥棒達を制圧していた。彼は武術に関しても優秀なのである。マンションの友人が無事なことに胸をなでおろすと、家入の余計な発言で警察からあらぬ疑いを向けられることになり。


 名探偵は黙らせなければならないと再度、僕は誓うのであった。

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