さいわいなことり

オレンジ11

さいわいなことり

「ばーば!」


 たんぽぽ組の中をのぞいた義母と俺に気付くと、友里ゆりは手にしていた積み木を放り出して立ち上がり、はじけるような笑顔で駆け寄ってきた。


「友里ちゃーん! 会いたかったー!」


 義母が屈んで両腕を広げ、友里が飛び込む。そして二人はひしと抱き合った。祖母と孫、感動の再会。


「おむかえ、ありっと! ばーば、おとまり?」

「うん、泊まる」

「あしたも?」

「うん」


 義母の返事に友里は頬をピンク色に染め、満足げにゆっくりとうなずいた。



 義母は博多に住んでいるのだが、我が家に緊急事態が発生すると上京してくれる。今週は理世が出張で不在なので、そのヘルプだ。


「お義母さん、合鍵、持ってます?」

「大丈夫」

「じゃあ僕は、申し訳ありませんが仕事に戻るので、夕食は二人で済ませてもらえますか。なるべく早く帰るようにしますので」

「あら、いいのよ和哉さん。私がいるときくらい時間は気にしないで。友里ちゃんの晩ごはん、何がいいかしら?」

「そうですね……」


 急にきかれて答えに詰まっていると、友里が口を出した。


「かれー、たべたい。かれー、おいちい」

「あら! 友里ちゃん、カレーライス食べられるようになったの? わかった。おばあちゃん、おいしいの作ってあげる。スーパーに寄って帰りましょ!」

「あい!」


 俺たちは保育園の玄関を出たところで別れた。

 少しして振り返ると、手をつないで歩いていく二人の後ろ姿はうきうきと弾んでいた。



 妻の不在中に義母に泊まってもらうのは、正直、以前は抵抗があった。気まずいと思った。  

 だが義母はこちらが感じている居心地の悪さを気にする様子もなく、マイペースに友里の相手をし、食事を作ってくれる。何回か来てもらううちに俺もすっかり慣れ、今では友里の世話をほぼ任せっきりだ。


 帰宅したのは午前零時過ぎ。ふと食卓の上を見ると、メモが一枚置かれてあった。


 和哉さんへ

 カレーを作りました。お鍋ごと、冷蔵庫に入れてあります。

 左は普通のカレー、右は友里ちゃん用のトマトカレーです。

 おなかが空いていたら、温めてどうぞ


 二種類も? 

 冷蔵庫を開けてみると、なるほど義母のメモの通り、大きい鍋と小さい鍋が仲良く並んでいる。心をよぎる昔の記憶。

 思わず理世に電話をかけた。そうしてから、しまった深夜だと切ろうとしたが、それより早く理世が出た。


『もしもし?』

「起きてた?」

『うん。明日の会議の資料を見直してたところ。どうしたの?』

「お義母さんがカレーを二種類作ってた。もしかして俺に気を遣ったのかな」

『……大人用と子ども用ってこと?』

「うん。普通のとトマト」

『懐かしいな。お盆なんかで帰省した時、兄たちの家族も来ていれば、一食は必ずそれだった。甥と姪はもう中学生になったから、もう何年もトマトカレーは見てなかったけど。友里のために復活したんだね』

「そうなんだ」

『驚いたの?』


 理世が笑った気配がした。


「ああ。ごめん、こんな夜中に。おやすみ」


 余計なことを話しそうだったので、急いで電話を切った。



「カレーは作りたくない。だって、うちでカレーが好きなの、和哉だけだから。お鍋を洗うの、すごくめんどうで嫌」


 あれは十歳くらいの頃だった。「カレーが食べたい」と言った俺に対する母の答えを、鮮明に覚えている。ひどく屈辱的な気持ちになった。

 思いがけず、ため息が出る。

 俺は上着を脱いで椅子の背もたれにかけ、ネクタイを緩めた。



「おとうしゃん、あさー」


 目を覚ますと、ソファで眠っていた俺の胸に友里がよじ登ってくるところだ。ニヤニヤしている。


「……おはよう、友里。どうした? なにかいいことあったか?」

「あったよー。でも、ひみちゅ」


 くすくすと笑う。楽しそうで何よりだ。



 台所で朝食の準備をしていた義母に挨拶をし、身支度を整えてから食卓につく。

 メニューはカレーとヨーグルトだ。


「和哉さん、昨夜はごめんなさい。ソファで寝かせちゃって」

「いえ、気にしないでください。僕がうっかりしていたので」


 こういう時はリビングに貸し布団を敷いて寝るのだが、頼むのを忘れてしまったのだ。

 この部屋は1LDK。いずれ友里の部屋も必要になるだろうし、義母用の寝室も用意できる広い物件に引っ越したいとずっと思っているのだが、忙しくてなかなかできない。


 友里の前には見慣れない皿が置かれている。白地に葉の模様の縁取り。「いいこと」はこれか。


「お皿、おばあちゃんにもらったのか?」

「あい」

「いいことって、これだな?」

「もっとある。まだひみちゅ」

「和也さん、ごめんなさい。お皿、勝手に。あんまりかわいくて、つい買っちゃった」

「いえ、こちらこそすみません。ちょうどこの間お気に入りの一枚を割ってしまったばかりで……代わりを買いに行く時間が取れなくて。助かります。ありがとうございます」


 義母は友里から話を聞いたのだろう。それで昨日の帰り道、友里が喜びそうな皿を買ってくれたのだ。


「代金、お支払いします。おいくらでしたか?」

「気にしないで、プレゼントだから」

「そんなわけには――あの、他にも何か頂いたんでしょうか。もっと秘密がある、と」

「ううん、このお皿だけ。秘密は、もう少ししたらわかる。じゃ、いただきましょうか」

「あい! いただきまちゅ!」


 スプーンを握りしめた小さな手で、手前から着々と食べ進む様子を眺めていると、やがて最後の一口になった。


「とりさん こんにちは」


 友里が慎重に、皿の端に残っていたカレーをスプーンですくう。

 するとその下から、水色の小鳥が一羽現れた。友里の顔が幸せそうにほころぶ。


「ぜんぶ たべると あえるのよー」

「いい位置に描いてあるでしょう? 最後まで楽しく食べさせるための工夫ね」


 義母が微笑んだ。

 二人の後ろ、キッチンのカウンターの上に置かれた水切りかごの中では、二つの鍋が朝日を反射していた。


 (了)

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