第11話 前代未聞の皇太子妃、受けて立ちます。
後宮は女の戦場。
現在、ローゼンベルガー侯爵家出身のギーゼラ皇后が圧倒的な権力を握っている。お父様は後宮を毛嫌いして、ロヴィーサの庭園があっても寄りつかなかった。
後宮といっても男子禁制のハーレムじゃない。あくまで、皇帝の私的な居住区っていうところ。
厳しいチェックはあるけど、お兄様も私の専属護衛騎士たちも出入りできる。後宮内のあちこちにいる警備の騎士も宦官じゃない。
お兄様は顔見知りの騎士を見つけ、立ち止まる。貴族のマナーとされる仰々しい挨拶はない。
「ノイエンドルフ小公爵、どうかここではおとなしくしていてください。姫君のためにも」
顔見知りの騎士から沈痛な顔つきで注意され、お兄様は忌々しそうに頷いた。
「わかっている」
「皇后陛下に気をつけてください」
「あぁ」
私は何もわからないような顔をして周囲を窺った。
無表情な騎士たちは何を考えているのか不明。
ただ、私は同情されているような感じがした。
やっぱ、私は人質?
幼い人質として同情されているのかな?
キンキラキンの豪華絢爛な本宮より、後宮は全体的に落ち着いている。
中心から少し離れた微妙な区域に皇太子妃の居住区があった。鬱蒼とした草木に覆われているような感じ。
「代々、皇太子妃のお住まいはこちらでございます」
案内した騎士は言うだけ言うと、脱兎の如く去ってしまう。お兄様の怒りを恐れて、避難したのかもしれない。
私も皇太子妃の部屋を見た途端、騎士が逃げるように去った理由に気づいた。
「……お、お化け屋敷?」
どこからどう見てもお化け屋敷。
前世、祖父母が私に与えた押し入れの中のほうがまだマシだと思う。
……や、まだこっちのほうが広いからマシ?
けど、壁や床に穴は空いていなかった。
皇太子妃不在の間、皇太子妃の部屋は掃除されなかったような?
けど、あれだけ皇太子妃に望んでおいてこれ?
にょろ、とゴミの山から這いでてきたのは真っ黒な蛇。
「きゃーっ」
私が悲鳴を上げると、お兄様が魔力で黒い蛇を真っ二つに斬った。
それでも、禍々しい瘴気を発散させて蠢く。
「こいつ、ただの蛇じゃねぇ」
お兄様は不遜な目で顎を決ると、護衛騎士が黒い蛇を回収した。そのまま皇太子妃の部屋から出ていく。
「俺の姫をこんなところで寝泊まりさせる気か?」
お兄様が激憤した瞬間、後宮に激震が走る。ガタガタガタガタッ、と。
「お兄様、駄目っ」
「これ、俺らにケンカ売っているんだ」
お兄様の視線の先はヒビの入った天井や壁、朽ち果てた床、足のない椅子や倒れたままの飾り棚。
皇帝陛下が皇太子時代に迎えた皇太子妃が使って以来、放置されていたんじゃないかな?
「ケンカ、買ったら謀反」
「結局、謀反人にしたいのか」
「……あ、きのこ」
崩れ落ちた柱にきのこが生えているから驚く。よくよく見れば、穴の空いた床下にも。
「きのこ部屋か」
お兄様の鋭い目が宿敵を見つけたように鈍く光るけど、きのこに罪はないと思う。
「きのこ、美味しい」
こちらのきのこは味が濃くて塩茹でしただけでも美味しい。きのこのパイもきのこのシチューも大好物。
「毒きのこだから食うな」
お兄様が血相を変えて言うや否や、護衛騎士はすべてのきのこを運びだした。
「あれ?」
「毒きのこだ。絶対に食うなよ」
「毒きのこなの? 非常食にならない?」
「ノイエンドルフの娘がきのこに未練を残すな」
私とお兄様が言い合っているうちに、ばあやたちが物凄いスピードで掃除する。ノイエンドルフ貴族邸から大量の荷物も運ばれた。天蓋付きのベッドには人形やぬいぐるみ。
あっという間に、覇権国家の皇太子妃らしい部屋になる。
「アレクシア、この腕輪はいつでも俺とお喋りできる魔導具だ」
お兄様は私の右腕に伝達の腕輪をつけた。並の貴族では手が出ない高価な魔導具だ。見方を変えたら富の象徴。
「はい」
「何かあったらすぐに連絡しろ」
「はい」
「さすがに俺は後宮に長居できない」
「そうね」
「少しでも後宮にいたら、名前も知らねぇ女が俺の子を妊娠する」
お兄様は苦い過去に触れた。二回目の私は知っているけど、八歳のアレクシアはまだ知らないから、不思議そうに首を傾げた。
「……え?」
「目が合っただけで妊娠するか、馬鹿野郎」
お兄様は後宮に留まることはしない。皇太子妃の居住区に結界を張ると、ノイエンドルフ宮に向かった。
入れ替わるように、皇后から回された専属侍女が挨拶にきた。
きのこが生えたお化け屋敷の掃除が終わるのを待っていたみたい?
……や、違う、お兄様がいなくなるのを待っていたんだ。
「帝国の新しき星、アレクシア皇太子妃殿下にお仕えする名誉を賜りました。ディートフリーダ・フルラ・ヴァン・アイヒベルクでございます」
由緒正しい伯爵家の当主夫人が私の首席侍女だ。
前回、何度も会った。
先祖代々、ノイエンドルフ公爵家の庇護を受け、貴族として勢力を伸ばした家門。
お父様の推薦で宮廷に出入りできるようになったのに、あっさり裏切った家門、と私は怒りと悲しみでどうにかなりそう。
「アイヒベルク夫人、眩い日ですね。光り輝く時が露と果てませんように」
私の返事に思うところがあったのか、首席侍女はこれ以上ないというくらい優しい顔で近づいてきた。
「アレクシア様、覚えていらっしゃいませんか? ノイエンドルフ城で開催された春祭りで御挨拶させていただきました」
ホワイトチョコでコーティングされたウサギ型のケーキで覚えている家門だ。……うん、見栄えも味もよかった。
「ウサギのケーキ、美味しくいただきました。ありがとうございました」
「……まぁ、感激ですわ。さようでございます。アレクシア様のため、ウサギのケーキをご用意させていただきましたの」
首席侍女以下、私の顔がヒクヒクする家門の夫人や令嬢が続いた。
どういうこと?
裏切り者が勢揃い?
皇后陛下の忠犬一族の令嬢もいる。
「アレクシア様、皇后陛下がお茶会を開いてくださいました」
「はい」
「伺いましょう」
「……え? 今から?」
皇宮では何事にも先触れの使者が立つ。お茶会の開催ともなれば、内々であっても事前に連絡があるもの。
「さようでございます」
「どうして?」
悪い予感しかない。
「皇后陛下のご厚意に感謝しましょうね。アレクシア様は皇后陛下にお仕えすることになったのですから」
首席侍女の言葉に引っかかり、私は怪訝な顔で聞き返した。
「はい?」
「アレクシア様が心からお仕えするのは皇后陛下です。ノイエンドルフの姫君ですから、それぐらいは理解できますね」
ばあやが口を挟もうとしたら、ほかの侍女たちが咎めた。
「アレクシア様には母君がおらず、教育が行き届いていないと聞いています。これからは皇后陛下、ならびに私どもが教育して差し上げます」
首席侍女以下、錚々たる名門の淑女たちが私を真上から見下ろした。
「……ん?」
このメンバーから教育という言葉が出たらアウト。
祖父母の『躾』と同じ、虐待の言い訳。
「アレクシア様のため、お任せください」
「……私のため?」
私のため、を信じたら詰む。
「さようでございます。アレクシア様のため、ノイエンドルフ公爵家のため、私に従ってください。この伝達の魔導具は無用です」
お兄様からもらった左腕の腕輪を取り上げられた。これでお兄様に助けを求めることができない。
「……あ、お兄様からもらった」
返して、と私は手を伸ばした。
パシッ。
首席侍女は隠し持っていた鞭で私の手を叩いた。
痛い。
手より心が痛くて身体が竦む。
「アレクシア様に無体な振る舞いはお控えください」
ばあやたちが非難して、私を庇ってくれたけど、身分の差が大きすぎる。首席侍女はばあやたちに一瞥もくれない。
「アレクシア様、ここは皇宮です。我が儘は許されません。肝に銘じなさい。兄上様にはこちらからすべてお伝えします。今後、勝手に連絡することを禁じます」
……これ、あれだ、いじめ。
お兄様がいないうちに私を屈服させたいんだ。
やっぱり、私を未来の皇后として大切にするのは嘘。
どんないじめかな、と私はさんざんいじめられた前世を思いだした。
少し思いだしただけで目が潤む。
悲しくて悔しくて恥ずかしくて。
生まれ変わっても忘れられない。
けど、ここで泣いていられない。
伊達に二度目じゃない。
心に秘めたナイフを隠して、今は従順に従うのみ。
ばあやたちはお茶会に付き添うことを止められた。私ひとりで敵陣に乗りこむ。妖精王の私を意識しているのか、何かの罠か、お茶会はロヴィーサの庭園だ。
ふわり、と優しい風が頰を撫でる。
ギーゼラ皇后陛下を見た瞬間、怖くて身体が竦んだ。
前回、私やばあやに鞭を振るった女。
けど、お母様が再生させたロヴィーサの庭園だから大丈夫。
私は妖精に守られている。
ロヴィーサの庭園に棲みついている妖精も守ってくれるはず、と私は信じて皇后陛下に挨拶した。
噛まずに言い終えた。
繊細なお菓子が用意されたテーブルにつく。……や、つきたくてもつけない。私、八歳児にしては小柄なんだけど、大人用の倚子に自力で座ることができない。
これもいじめ?
ふんっ、と私は気合いを入れて倚子によじのぼろうとした。
「皇太子妃殿下、失礼します」
大人用の倚子に座らせてくれたのは、警備に当たっている近衛騎士だ。
皇宮音楽隊の演奏開始で決戦の火蓋が上がった……や、お茶会が本格的にスタート。
「皇太子殿下の母君は亡くなられて久しく、私が母として支えさせていただいています。皇太子妃になられたノイエンドルフ公女も私の娘」
皇后陛下は楚々とした美女だけど中身は違う。第二皇子・第三皇子や第二皇妃を暗殺した噂が付きまとう悪女。
「はい」
「母の教えを守り、よき皇太子妃におなりあそばせ」
私の言いなりになれ、って皇后陛下は私に言っている。この場にお父様やお兄様がいなくてよかった。
「はい」
「なれど、まだまだ幼く」
「はい」
「教育が不充分」
聖母マリアみたいな顔で微笑みながら、私の首席侍女に扇を振った。
「皇太子妃様、教育をさせていただきます。お立ちなさい」
首席侍女は私の前に立ち、鞭を取りだした。
「はい?」
「早く立ちなさい」
「はい」
「スカートを上げ、足を向けなさい」
これ、鞭打ちの準備?
どうして?
私、何もしていないでしょう?
ああ、何をしていなくても鞭打ち。
皇后の首飾りは映像の魔導具だ。
私が鞭打ちで泣いている姿を保存して馬鹿にするのかな?
ノイエンドルフ公女も皇后の玩具って?
いじめて落として服従させる手は祖父母一緒。
ここで黙っていたら、エスカレートするだけ。
もう、やられっぱしの美帆じゃない。
前回も従うだけだったけど、二回目は全力で暴れる。
私は静々と皇后陛下に近寄った。
「皇后陛下、お手本を見せてください」
グイッ、と私は皇后の手を掴んだ。
「……な?」
皇后は驚愕で固まっている。
後宮を牛耳る女帝もアドリブには弱い? ……うん、今までそんな怖いもの知らずがいなかったのかな?
「皇后陛下、スカートを上げて足を見せて。お手本を見せてください」
渾身の力をこめて引っ張ると、皇后は身体のバランスを崩して、倚子からずり落ちる。
「無礼な」
非難の声は邪気のない顔でスルー。
「私のお母様代わり、お手本を見せてください……あっ……」
私はよろけたふりをしてテーブルのポットやティーカップを零す。
バシャッ、皇后陛下の白いドレスに茶色の染み。
「きゃあっ」
「皇后陛下、お花摘みに失敗したみたいですね」
私が無邪気な笑顔で笑うと、皇后は顔を真っ赤にして震えた。
「無礼にもほどがある」
「アレクシア様、万死に値する蛮行ですわよ」
フロレンティーナに怖がるふりをして、私は硝子瓶を零した。
「叔母様、怖い」
フロレンティーナや首席侍女がびしょ濡れ。
皇后がとうとう帝国近衛騎士に命令した。
「無礼者を捕縛しなさい」
「怖いおばちゃん、いじめるーっ」
私は怖がる子供を演じ、ロヴィーサの庭園を走った。てってってってっ、と短い手足を死に物狂いで動かす。
妖精の声も存在も感じないけど、私は守られているはず。
庭園の魂は泉だ。
「皇太子妃様、お待ちなさい」
近衛騎士たちの追っ手が迫る。
ここで掴まったらアウト。
「お母様、助けてーっ」
私が叫んだ瞬間、後ろから追ってきた近衛騎士たちは無様にも転んだ。
お母様が助けてくれた?
妖精が助けてくれたのかな?
迷わず、転ばずに泉に辿り着いた。
つまり、もう逃げ道がない。
クルリと振り返れば、首席侍女が鞭を持って迫っている。
「アレクシア様、もう逃げられませんよ。皇后陛下にお詫びなさいーっ」
フロレンティーナまで鞭を持ち、般若のような顔で私を睨みつけた。
淑女というより鞭を持つアマゾネス。
本性、きっちり確認しました。
「アレクシア様、ノイエンドルフの恥です。皇后陛下に跪いて謝罪しなさいーっ」
ピシッ、と鞭がしなる。
「うわ~ん、怖いーっ。おばちゃんがいじめるーっ」
私は泣きながら後ろ向きに後退する。
「皇太子妃様はしてはいけないことをなさいました。おしおきが必要です。これも皇太子妃様のため。ノイエンドルフ公爵家のためです」
ピシッ。
私はわざとフロレンティーナの鞭にぶたれた。
やった、痛いけど痛くない。
「おばちゃん、怖い。お父様ーっ。お兄様ーっ。叔父様ーっ」
私は後ずさり、背中から泉に落ちた。
バシャーン。
「きゃあーっ、皇太子妃様?」
「助けなさいーっ」
「アレクシア様は泳げませんーっ」
誰かが何か叫んでいるけど、ノープロブレム。
……うわ、泉の底に落ちているのに苦しくない。
お母様が再生させた泉は、私を歓迎してくれるはず。
お兄様の結界も張られているから、ちっとも苦しくない。
泉の底に落ちていくはずなのに、フロレンティーナや首席侍女たちの姿が見えたし、会話も聞こえた。
これ、泉が見せてくれていると思う。
「おい、アレクシアに何をした?」
お兄様が移動魔法で現われると、フロレンティーナたちは鞭を隠した。私に対して鞭は駄目、っていう意識はあるらしい。
「皇太子妃殿下が泉に落ちました」
近衛騎士が報告した途端、お兄様の全身から凄まじい魔力が発散された。
「誰がうちの姫を泉に落としやがったーっ?」
ノイエンドルフ後継者の魔力放出。
ドバーッ、という音とともに泉の水がすべて天に昇る。
……あ、お兄様、すごい。
もうちょっとおとなしくやって……うわ、皇宮のどこか、吹き飛ばした?
シュルルルル、という風の音に私は包まれる。
「アレクシア、大丈夫か?」
あっという間に、私はお兄様の逞しい腕の中。
心の底から安心できる場所だ。
「おばちゃん、いじめる。怖い。フロレンティーナ叔母様も悪魔ーっ」
ぶわっ、と涙が溢れる。ただただお兄様にしがみつく。上手く説明したいのに、何をどう言えばいいのかわからない。
「誰だ、うちの姫をいじめやがった奴?」
お兄様が背後に火柱を立てると、首席侍女が苦悶に満ちた顔で答えた。
「……そ、それは皇太子殿下のお妃様としてあるまじきふるまいを……」
「ノイエンドルフの姫を泣かせたんだ。遺書を用意しておけーっ」
……ね、眠い。
私はここまで。
お兄様、ブチ切れずに上手くやって、と私は言いたいのに言えない。
お兄様の強靭な胸で深い眠りに落ちた。
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