第10話 初めて見る皇太子殿下が麗し過ぎました。

 翌日、当然のように皇宮から迎えの馬車がくる。紋章入りの豪華な馬車に使用人たちは感激しているけど、お兄様やばあやは平然しといた。

「綺麗」

 ノイエンドルフ公爵家の馬車もヤバいけど、皇室の馬車はまた趣が違う。

 さすが、って感じ?

「アレクシア、それ父上の前で絶対に言うなよ」

 お兄様に注意された理由はよくわかる。私が馬車に関して一言でも漏らせば、明日にも豪華な馬車が買い占められるはず。

 親バカ爆発はできるだけ止めなきゃ。

「うん」

 お父様やお兄様、ノイエンドルフの男たちは馬車より馬が好き。何台馬車があっても無用の長物。

「暴れろよ」

 お兄様は皇宮で暴れる気満々?

「お兄様、駄目」

「あ~っ、ムカつく」

「時間よ」

 時間ギリギリ、私はお兄様を急かせて皇室の馬車で出立した。

 貴族街のすべての馬車が、私を乗せた馬車のために止まる。

 まるでサイレンを鳴らしているパトカー。

 洒落た建物の前で宮廷式のお辞儀をしている紳士や淑女も多い。ノイエンドルフ公爵の力にひれ伏す人たち。

「……あ、あれは宰相の実家だ。ローゼンベルガー侯爵貴族邸」

 一際壮麗な建物の前でも高慢そうな貴婦人や家令、騎士たちが並んで礼儀正しいお辞儀をしている。

「宰相?」

「アレクシアが会った宰相じゃない。白鬚じゃなくて黒髭のローゼンベルガー侯爵」

 黒い鬚の宰相はお父様の生首の前で満足そうに笑っていた奴。

「はい」

「ローゼンベルガー宰相はギーゼラ皇后の父親だ。宰相就任の時に父上に挨拶があった……あぁ、アレクシアに五段重ねのチョコレートケーキを贈ってきた奴」

 表向き、宰相はお父様に媚びへつらっている。いくら皇后の実家であるローゼンベルガー侯爵家でも、ノイエンドルフ公爵家とは比べるまでもない。

「悪い奴」

 前回、皇帝陛下に入れ知恵したのも実働部隊を出したのも宰相だ。ノイエンドルフに取って変わりたかったのだろう。

「会ったこともないのに悪い奴?」

「はい」

「このところ、どうした?」

 お兄様に顔を覗かれ、私は背筋を凍らせた。

 回帰したなんて言えない。言っても信じてもらえない。どうしよう。

「……う」

 私が誤魔化すように人形を抱き締めたら、お兄様は不敵に笑った。

「それでこそ、ノイエンドルフの姫だ」

 頭を撫でられ、私はほっと胸を撫で下ろす。

「はい」

「気にくわなかったら、宰相でも構わない。噛みつけ」

 お兄様のノイエンドルフ魂に呆れつつ、私たちを乗せた馬車は豪華絢爛な皇宮に入った。

 皇宮と言っても単なる宮殿ではない。本宮である主塔を中心に多くの棟や塔、庭園に牧場など、広大な敷地内にひとつの街のように形成されている。

 私はお兄様にエスコートされ、馬車から降り、ズラリと並んだ近衛騎士の前を進む。

「アレクシア、安心しろ。俺がついている」

 やんちゃなお兄様が貴公子に見えるから不思議。

 宮廷貴族も廊下に並び、私とお兄様に対して優雅なお辞儀をした。意外なくらい好意的な視線が多い。

「まぁ、春の妖精?」

「妖精が舞い降りたと思いましたわ。なんて可憐な姫君ですこと」

「小公爵様、帝国一の美丈夫と称えられた公爵様に瓜二つ」

「ノイエンドルフ公爵閣下は妖精王を一途に愛されましたけど、ローデリヒ様はどうなのかしら?」

「ローデリヒ様に決まったお相手はいらっしゃらないそうですけど、第二皇女様がご執心ともっぱらの噂ですわ」

「それにしても、夢のような光景ですわね。麗しい兄妹ですこと」

 私へのいろいろな意味での興味。未だに婚約者を決めないお兄様への熱心線。とりあえず、すべてがすごい。

 皇帝陛下に謁見する前、控え室では宰相と叔母のフロレンティーナが出てきから驚いた。

「アレクシア様、母代わりとして付き添わせていただきます」

「どうして?」

「皇帝陛下のご配慮でございます」

 裏切り者のフロレンティーナ。

 あれだけいやがったのにどうして?

 お兄様の表情を見る限り、ノイエンドルフの意向じゃない。

 たぶん、皇帝側の罠。

 どっちにしろ、今、フロレンティーナを排除できない。

「アレクシア、噛みついてもいいぜ」

 お兄様に小声で耳打ちされたけど、ここでやっても効果はない。

 やるなら、陛下の前。

 私はお兄様にエスコートされ、フロレンティーナとともに陛下が待つ大広間に進んだ。

 理由は知らないけれど、皇后陛下はいない。

 お兄様が貴公子然とした態度で挨拶した。

 これが酔っぱらってお城の屋根に登って転げ落ちたお兄様?

 思わず、目が釘付け。傲慢な第二皇女やあちこちの令嬢がお兄様に恋い焦がれている理由がよくわかる。

「アレクシアの番だ」

 じ~っ、と見つめていたらお兄様に耳元で囁かれた。

 お兄様に見惚れている場合じゃない。

 教えられた通り、私は宮廷式のお辞儀をした。

「誉れ高き帝国を照らす太陽よ、太陽神の後継者、皇帝陛下、御挨拶する名誉をお与えくだしゃい」

 ……あ、よりによってこんな時に呂律が回らない、と私は焦ったけど、陛下は満面の笑みを浮かべた。

「アレクシア嬢、よいよい。かたぐるしい挨拶はぬきじゃ。もっとちこう」

 皇帝陛下に手招きされ、私とお兄様は距離を縮めた。

「お父様、いなくて寂しいです」

 今回の魔獣討伐も罠?

 私が泣きそうな顔をすると、陛下は宥めるように言った。

「そなたの父は我が国の至宝、悪い奴をやっつけにいってもらっている。ジークヴァルトのそばにいれば寂しくないぞ」

 陛下の言葉に呼応するように、絶世の美女が私に歩み寄った。皇帝の象徴である淡い紫色の髪と瞳の持ち主だ。

 彼女の周りだけ空気が違うような気がする。

「ジークヴァルト?」

 ジークヴァルトって皇太子殿下。

 皇太子って男だよね?

 切りこみの入った長い上着に膝までの細いキュロットにタイツ、男性用の宮廷服を着ているけど、傾国の美女。

 腰まで伸ばしたサラサラ髪もとっても綺麗。

 美人過ぎる。

「皇太子の嫁になってくれるな?」

 陛下に確かめるように聞かれ、私は皇太子と呼ばれた美女を指で指した。

「綺麗なお姉様」

 こんな美女、見たことがない。

 映像の魔導具で見たお母様とはまた違ったタイプの美女だ。

 ぶはーっ、と隣でお兄様が勢いよく噴きだし、フロレンティーナに咎められる。

「……よ、よ~く見てごらん。お兄様だよ」

 陛下は慌てて絶世の麗人の細い首を手で差した。

 お父様やお兄様、護衛騎士と同じ男とは思えない首だ。

 喉仏があるのかないのか?

 クラヴァットっていうスカーフでわからない。

「お兄様、ないない。とっても綺麗なお姉様」

 女の皇太子と結婚?

 それ、やっぱり、皇太子妃とは名ばかりで人質?

「父や兄、叔父たちが一際屈強な男たちだから、男という者に対してのイメージが形成されているようじゃな」

 陛下は苦渋に満ちた顔で唸っているけど構っていられない。

「綺麗なお姉様にびっくり」

 ふ~っ、と私が息を吐くと、お兄様が腹を抱えながら言った。

「アレクシア、俺の妹だな。初めてジークヴァルト殿下を見た時、俺も女に間違えた」

 お兄様の言葉を聞き、私はようやく目の前の美女が男だと知る。

 皇太子殿下のジークヴァルト様だ、と。

 嘘、こんなルックスだって聞いていない。

 私は口を開けたまま、皇太子殿下の前に立ち尽くした。

「アレクシア嬢、どうしたら男だとわかってもらえるかな?」

 皇太子殿下に困ったように声をかけられたけど、私は一言も答えられない。お兄様が楽しそうに言い返した。

「皇太子殿下、わからなくてもいいと思う」

「それは困る」

「ジークヴァルト殿下はお姉ちゃんのまま、困らねぇ」

「ノイエンドルフの狂犬が妹に弱い噂は真だったのだな」

 皇太子殿下が優艶に微笑むと、お兄様は鋭い目をきつく細めた。

「妹に手を出したら、ノイエンドルフの敵に回ると思え」

 お兄様の脅迫を聞き、私は我に返る。

 単細胞のお兄様を止めようとする前に、皇帝陛下が口を挟んだ。

「これこれ、ローデリヒ、そなたの妹は未来の皇后として皇宮入りしたのではないのか?」

「変態、まだ八歳だ」

「案ずるな。結婚式を挙げても、本当の夫婦になるのはまだまだ先」

「それまで皇太子殿下が生きていればいいな」

 お兄様が怒気を漲らせた途端、凄絶な魔力が発散されたらしく、皇太子殿下は真っ青な顔で倒れた。

「……ひっ」

「……う……ローデリヒ……魔力が強すぎる……」

「……うううう……小侯爵の魔力がここまで強いなんて……」

 フロレンティーナにしろ、周りにいた侍従たちにしろ、護衛騎士にしろ、お兄様の魔力に当たってバタバタ倒れていく。

 さすが、皇帝陛下は平然としていた。

 お兄様、血の気が多すぎる。

 こんなところで陛下にケンカを売るのは……や、反逆罪で捕縛される。

 ここで家門断絶?

 ノイエンドルフじゃなかったら、確実にこの時点で家門断絶だ。

 私は慌てて皇太子殿下に駆け寄った。

 今まで見たことのないタイプ。

 気の毒にこれだけ弱かったら短命なのも納得する。

 ペチペチ、と手で白い頰を叩いたけどピクリともしない。

「殿下、おっきして」

 私がペチペチしていると、皇帝陛下は神妙な顔つきで言った。

「アレクシア、皇太子はアレクシアがお嫁さんになってくれたら元気になる。皇太子のお嫁さんになってくれるな?」

 ズイッ、と私の前に魔法誓約書が差しだされた。

 読み書きの授業は始まっているけれど、八歳児にとってはなかなかハードルの高い文面だ。けれど、二回目の私にはわかる。

「はい」

 見たところ、私と皇太子殿下の結婚に関する誓約書だ。

 おかしな文言はない。

 けど、いきなり結婚?

 婚約式も挙げていないのに?

「ここ、指で押して」

 誓約書の私の署名欄には、フロレンティーナが代理で署名している。戸籍上、フロレンティーナは叔母だから代理人としておかしくはない。保護者の代理人はフロレンティーナの実父であるローエンシュタイン侯爵だ。

 ……あぁ、これが狙いか。

「……指?」

「そうじゃ、指でちょっと押すだけぞ。アレクシア嬢はいい子だからできるな?」

 一抹の不安はあった。

 結婚という名の人質。

 けど、ここで断わったらさらに危険。

 騒ぎを聞きつけた帝国近衛騎士が続々と現われ、お兄様の周りを囲む。

 お兄様の不遜な態度を注意している余裕もない。

「はい」

 言われた通り、指で自分の名を押す。

 ピカッ、と誓約書の名が光り、私の指もじんじん痺れた。

「アレクシア嬢、今からそなたは皇太子の妃。今月中に結婚式を挙げよう」

 皇帝陛下が高らかに宣言したように、この時点で私は皇太子妃。

「アレクシア、待てーっ」

 魔獣討伐にフロレンティーナとくれば破滅のフラグ。

 運命を変えるためには、前回と違うことをするしかない。

 皇太子と結婚する。

 私は陛下のしたり顔を眺めつつ、お兄様の絶叫を全力でスルーした。

 結果、私の勝ち。

 今日より、私は皇太子妃として皇宮で暮らすことになる。それも、賜っていたノイエンドルフ宮ではなく、皇帝の私用で使われる後宮で。

 即急に準備が整えられ、貴族街邸で待機していたばあやたちが呼ばれた。

 当然、お兄様は爆発寸前。

「アレクシアの後宮入りは許さねぇーっ」

 控えめに言っても、皇帝陛下による騙し討ちの結婚だ。帝国史を遡っても、こんな形で皇宮入りした皇太子妃はいない。

 前代未聞の皇太子妃。

「お兄様、キスして」

 私がキスを求めて抱きつかなければ、お兄様は確実に後宮を破壊していたと思う。

「アレクシアの後宮入りは認めんーっ」

 お兄様は私を抱いたまま、子供のように地団駄を踏んだ。どんな贔屓目で見ても、高貴な令嬢たちが憧れる貴公子には思えない。

「お兄様、お母様のお庭が見たい」

 後宮にはお母様が蘇らせた庭園がある。

 遠い日、私の祖父が幼かった頃、純真で優しい皇女が成人前に亡くなった。

 表向きは病死。

 当時の強欲な皇后が妖精に守られている皇女を毒殺したという。

 その妖精が激怒して、後宮の土地を荒廃させた。一瞬にして、毒虫や毒蛇の巣窟。

『妖精王ならび妖精たちを怒らせましたな。妖精が加護を与えていた皇女を暗殺したことが原因です』

 原因はすぐに判明した。妖精の怒りを解くため、皇后はすぐに処分された。それでも、荒れた地は戻らない。皇室魔術師も外国から招いた高名な魔術師も匙を投げた。毒虫や毒蛇が後宮だけでなく皇宮全体に広がり、被害者が増え続けた。近衛騎士団や帝国騎士団が駆逐しても、毎日毎日、毒虫や毒蛇が増え続けたという。

『妖精の呪い』

『皇女の呪い』

 呪いとして帝国中を震撼させた。毒虫まで徘徊するようになった荒れた土地に、豪華絢爛な宮殿は異様だったらしい。あっという間に、毒虫と毒蛇は貴族街も侵略した。

 最後の手段、当時の皇帝陛下が妖精王に膝をつき、許しを得たのだ。そうして、妖精王、つまり私のお母様のロヴィーサが蘇らせた。

 現在『ロヴィーサの庭園』と呼ばれ、大切に保護されているという。

 お父様がどんなに激昂しても皇宮を吹き飛ばせないのは、お母様が生命を吹きこんだロヴィーサの庭園があるから。

 一刻も早く、私は妖精王としての力を持ちたい。

 お母様の庭園を見ても何もないかもしれないけど、何かあるかもしれない。……うん、何かあると思いたい。

「……あ」

 直情型のお兄様も思い当たったように止まる。

「見たい」

「そういうことか」

 お兄様は納得したように息を吐いた。

「うん、とっても見たいの」

 お兄様の頰をスリスリ撫でていると、ばあやが宥めるように言った。

「大丈夫ですよ。ノイエンドルフを怒らせたらどうなるか、皇帝陛下が一番よく知っていますから」

 ばあやの言葉が虚しい。

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