第12話 ノイエンドルフの娘、なめたらあかんぜよ。
目が覚めた時、私は皇太子妃の部屋のベッドで寝ていた。
「アレクシア様がお目覚めになられました」
ばあやに真っ赤な目で抱き締められ、私はきょろきょろ見回す。
ノイエンドルフから連れてきた侍女が泣き崩れ、神に感謝を捧げていた。フロレンティーナや首席侍女たちはいない。
「ばあや、意地悪なおばちゃんたちは?」
私は甘えるようにばあやの胸に顔を埋めた。ここは怖い思いをした子供をアピールするところ。
「よほど、怖かったのですね。もう大丈夫ですよ」
「怖いおばちゃんたち、いる?」
「皇帝陛下から何度もお見舞いがありました」
ばあやが私の質問に答えないから、怯える子供のふりしてリピート。
「怖いおばちゃんは?」
「皇后陛下のことをお尋ねになっているのならば、謹慎中です。ローデリヒ様を宥めるのに大変でした」
ばあやが言った瞬間、ドアが開いて、突風……うん、お兄様が飛びこんできた。
「アレクシア」
「ローデリヒ様、後宮では寝室に入ってはいけません。エグモンド、ローデリヒ様をお連れして」
ばあやの一喝で兄は止まり、エグモンドや護衛騎士たちに背後から引き摺られる。 ノイエンドルフの暴れん坊もばあやには弱い。
「お兄様、いいのに」
「アレクシア様、後宮はそういうところです。些細なことで揚げ足を取り、家門断絶に追いこむ戦場です」
「……う」
「いくら実のお兄様でも皇太子妃様の寝室に飛びこむなど、言語道断」
「謀反?」
「不敬罪に当たります」
「……あ、皇太子殿下は?」
皇帝陛下のお見舞いは聞いたけど、肝心の皇太子殿下の見舞いは聞いていない。書類上だけだけど、私は皇太子妃だ。
「皇太子殿下のお見舞いはございません」
「どうして?」
「ローデリヒ様が暴れそうなので着替えましょう」
ばあやに誤魔化されたような気がしたけど、直情型のお兄様が心配なのは確か。
私は寝間着から小さな赤いリボンがたくさんついたワンピースに着替えた。幼さをアピールするためか、髪型は小花を散らしたツインテール。
「アレクシア様、今日も愛らしい」
「可愛くしてくれてありがとう」
私が礼を言うと、侍女たちは感激して目を潤ませる。
寝室から出ると、見舞いの花で溢れる中、お兄様が待ち構えていた。
「アレクシア、すまん」
お兄様に抱き締められ、私は手を振り回した。
「お兄様、大丈夫」
「あのババア、ブチ殺してやる」
あまりのお兄様の迫力に、私の心臓が止まりかけた。
「……ひっ」
私の悲鳴を聞くや否や、ばあやが子供を注意するように人差し指を立てて振る。
「ローデリヒ様、姫を怖がらせないでください」
「……ばあや」
「ローデリヒ様、大切な宝物を守りたいなら、自分を制御できるようになさい」
「……う」
お兄様が顰めっ面で低く唸ったら、私のお腹も勢いよく鳴った。ぐ~きゅるるるるる、と。
「アレクシア様、お腹が空いたでしょう。たんと召し上がれ」
カトレアが飾られた天然大理石のテーブルには、サンドイッチやマフィンなど、軽くつまめるものが用意されている。私が好きなホットココアにはハート型のマシュマロ。
「いただきます」
私はウサギのぬいぐるみと一緒に猫脚のソファに座り、杏とチョコレートのプチケーキに手を伸ばした。
五臓六腑に染み渡る甘さとコク。
……うん、生き返る。
「皇后陛下かららお見舞いの使者が見えられました」
「叩き返せーっ」
お兄様が激昂した瞬間、ガタガタガタガタッ、と部屋が揺れる。
「お兄様、あ~んして」
私はお兄様の口にチョコレートでコーティングした苺を突っこんだ。
「……ん」
一瞬でお兄様はデレデレ。
兄バカは単純なだけに扱いやすい。けど、扱いやすいだけに危ない。
「使者の相手はこちらでします。ローデリヒ様、わかっていますね。後宮を潰したらこちらの負けです」
「けっ」
「そろそろ皇帝陛下にお会いしましょう」
「あいつら、まだのうのうと生きているよな?」
皇后陛下やフロレンティーナなど、お茶会のメンバーは全員、私の無礼を捲し立てているという。皇宮の統治者は皇帝陛下だけど、後宮の統治者はギーゼラ皇后だ。皇后の一声で無罪も有罪になる。
「アレクシア様の無礼を皇宮中に流しています。証拠隠滅も賄賂工作も励んでいらっしゃるご様子」
ばあやはにっこり笑いながら、名前が綴られた文書を差しだした。
ギーゼラ皇后派の侍女や侍従たちの名だ。今回の件で大金や地位を得た騎士の名もある。これが欲しかった。私が泉に落ちたのも無駄じゃない。
「一気に炙りだす」
「そのためにアレクシア様がお目覚めになるまで待ったのです。よくお待ちになられました」
ばあやが言い終えるや否や、お兄様は指を慣らした。背後に並んでいた従者や騎士たちがいっせいに動きだす。
ここで打つ手を間違ってはいけない。
私もそれだけはわかっていた。
私が寝ている間、ギーゼラ皇后側は皇宮中に『幼い皇太子妃の非礼』という噂を流していた。せっかくお茶会を催したのにいきなり暴れて勝手に泉に落ちた、と。
当然のように、お茶会を映した映像石の魔導具を提出していない。
お兄様は持てる理性を振り絞って、私が目覚めることを待っていたという。時間が経てば経つほど、皇后側の人間を炙りだせる。
今回の一件、誰に非があるか?
それは問題じゃない。すべて身分で決められる。後宮では絶対的な権力を握る皇后には皇帝でも口が出せない。
けれど、ノイエンドルフ公爵の娘ならば?
ましてや、皇后の無礼が問題の惨事ならば?
お兄様がノイエンドルフ公爵代理として訴えたから、皇帝陛下も今回の件に乗りだした。
私がお兄様と一緒に広間に入れば、ギーゼラ皇后が淑女の仮面を被って皇帝陛下に泣きついていた。
「皇太子妃には教育が必要です。私は母代わりとして教育したまでのこと。皇太子妃が自我を失って泉に落ちたのです」
「皇后や、そなたの言い分はよくわかった」
「陛下、わかっているのならば、どうしてわたくしに謹慎をお命じになられるのですか? 謹慎すべきは皇太子妃です」
「姫はまだ八歳」
「何事も始めが肝心でございます」
そうだよ、始めが肝心、よくわかっている、と私は心の中で同意しながら大広間に進む。
すぐに皇帝陛下が私に気づき、相好を崩した。
「おぅおぅ、愛らしい姫、よう来た。挨拶は無用ぞ。近こうまいれ」
「……怖い」
私がぶるぶる震えてお兄様に抱きつくと、皇后だけでなく皇帝の憤りも伝わってきた。
「陛下、御挨拶は省かせていただきます。今回の一件、皇后陛下の指導という名の攻撃が原因です」
お兄様の言葉に応えたのは、皇帝ではなく皇后だ。
「ノイエンドルフ小侯爵、不敬罪に問われる覚悟はありますか?」
「皇帝陛下にお茶会の模様を見せましたか?」
「皇太子と書類だけでも結ばれた公女を歓迎するためのお茶会です。ゆるりと過ごしてもらうため、映像の魔導具など、用意していませんでした」
皇太子妃の無礼を証明することができませぬ、と皇后は懊悩に満ちた顔を扇で隠した。
「証拠ならあります。フロレンティーナも首席侍女も、俺がアレクシアにつけた伝達の魔導具に気を取られ、映像の魔導具に気づかなかった」
お兄様は荒い語気で言ってから、お茶会で私の髪を結っていた髪飾りを差しだした。
パッ、とその場でお茶会の様子が映しだされる。
皇后があどけない皇太子妃に鞭打ちを命じ、追い詰める姿まで克明に。
「……うぅぅ」
皇后は悔しそうに歯を噛み締める。
「……あ」
皇帝陛下は苦海に身を落されたような顔でこめかみを揉む。
「これ、幼い妹を案じてつけた映像の魔導具が証拠です。貴婦人のお茶会とは思えない」
私の髪飾りにはそれとわからないような映像石がついていた。ノイエンドルフ公爵お抱え魔術師の特製品。
「これこれ、ローデリヒ、そなたの気持ちはよくわかる」
皇帝陛下は猫撫で声で宥めようとしたけれど、お兄様は悪魔のような顔で睨み返した。
「これが偉大なる陛下のおわす後宮ですか?」
「これこれ、そう言わずに……行きすぎたのは認めるが、これもそれも姫のことを思って……」
「いきなり鞭打ちがうちの姫のためですか? 鞭持参の茶会なんて聞いたこともない」
「……うぅ」
「陛下、ノイエンドルフの姫を追い詰め、泉に落としたのは事実。どう落とし前をつけますか?」
「後宮には余でも手が出せぬ」
想定内、皇帝陛下は逃げた。
お兄様は扇で顔を隠している皇后に近づく。
「皇后陛下、謝罪と賠償を求めます」
「皇太子妃の躾のため。悪気はございません。これもそれも皇太子妃のため。ノイエンドルフのため、帝国のため」
「それですむと思っていますか?」
「わたくしに非があると申すか?」
「当たり前だ」
「そなた、若いと大目にみていたが目に余る」
「大切な妹を殺されかけて黙っていられない。……おい、殺そうとしたのか?」
お兄様が殺気を漲らせると、皇后は恐怖で顔を引き攣らせた。
「勝手に走りだされたのです」
「泣いて逃げだすようなことをしたのは誰だ?」
「皇太子妃の落ち度にほかならない」
皇后はあくまで私のせいにしようとする。これも想定内。
埒が明かないとばかり、お兄様は逃げる算段を錬っている皇帝陛下に詰め寄った。
「陛下、ノイエンドルフを選ぶか、皇后陛下を選ぶか、お決めください」
お兄様は恭しく皇帝陛下に跪いた。
「これこれ」
「皇帝陛下は我が妹を皇太子妃に望まれましたが、皇后陛下や後宮は違う模様……いえ、こちらが本心ですか?」
お兄様が確信に触れると、陛下だけではなく周りの宰相や侍従長たちも顔色を変えた。皇太子妃に強く望まれたのに扱いが悪すぎる。まるで、ノイエンドルフの怒りを焚きつけるようなもの。
「そんなことはない」
「皇太子妃候補に用意された部屋はきのこが生えた奴隷部屋……人質でももう少しマシな部屋があてがわれるはず」
「手違いがあったようじゃ」
「ノイエンドルフの娘をゴミ部屋に閉じこめるつもりでしたか」
皇后の単なるいやがらせかもしけないけれど、お兄様は陛下の責任を追及した。
……うん、いくらなんでもすべて知らなかったとは思わない。
知っていながら、知らないふりをしたんだよね。
「我の存ぜぬこと」
「皇后陛下の廃位を求めます」
お兄様がズバリ切り込むと、陛下は顔色を失った。
「……待て。第四皇子の母であるぞ。第二皇女の母でもある」
「皇太子殿下の御母堂様ではありません」
「今回の件、余に任せてくれぬか?」
「父が国のために魔獣討伐に出ている中、後宮入り早々、妹が殺されかけた。任せられない。結婚も無効、連れて帰る」
「これこれ、待たぬか……のぅ、優しい姫、余から謝罪する。余に免じて許してくれぬか?」
皇帝陛下は私の機嫌を取るように、珍しい東国の人形や私に差しだした。宰相や侍従長たちもそれぞれ首飾りやお菓子。
お兄様から顔を上げた瞬間、鼻がむずむず。
「はっくしゅ」
こんな時にくしゃみ。
不敬罪で投獄になるところ、皇帝陛下には効果有り。
皇帝陛下だけでなく宰相や侍従長たちも息を呑んだ。
「うちの女神、大丈夫か?」
「……怖い」
「ギーゼラ皇后の廃位。妃としての位も剥奪し、平民として帝都から追いだせ」
お兄様は皇后に対する処分を大声で言い放った。
皇后や実父の宰相から悔しそうな呻き声が漏れるけど、口は挟まなかった。ここで反論しても、お兄様の怒りに火を注ぐだけだとわかっている。
……や、皇帝陛下が自分たちの味方につくとわかっているから安心している?
皇后や宰相と陛下は一心同体なのかな?
陛下は言いなり?
「考えよう」
「お茶会に参加した奴、全員、火刑……」
お兄様は一呼吸置いてから、声のトーンを落として続けた。
「……火刑にしたいが、今回、命は助ける。舌を抜いて手首を切り落とした後に、鞭打ち一〇〇回、身分剥奪、家門断絶、当然、帝都追放」
「叔母も含まれているぞ?」
皇帝の視線の先には、宰相の隣で今にも倒れそうなローエンシュタイン侯爵がいた。フロレンティーナの実父だ。
私に縋るような目を向けるけどスルー。
「フロレンティーナの鞭打ちは二〇〇回にしろ。叔父の離婚に応じるように」
お兄様は映像の魔導具で見たフロレンティーナの本性に怒り心頭。
すぐにノイエンドルフ城を守っている叔父様にも見せたという。
「考えよう」
「陛下、ノイエンドルフは陛下と戦いたくない。わかってほしい」
いつでも戦う準備がある、とお兄様は脅したようなもの。
私は焦ったけど、陛下は神妙な顔つきで頷いた。
「あいわかった」
「陛下のご英断をお待ち申し上げる。シュトライヒ帝国と陛下のために」
お兄様に合図され、私は宮廷式のお辞儀をした。皇后の顔は扇で見えないけど、肩が怒りで震えている。
お兄様の要求がすべて通るわけがない。お兄様もわかって要求している。それでも、陛下はどんな判断を下す?
運命が変わっていないのならば、不敬罪に問われ、投獄されるかもしれない。
前回より少し早いノイエンドルフの反乱?
私はいやな予感に震えつつ、お兄様にしがみついた。やっと掴んだ家族を失いたくない。
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