第8話 皇太子の婚約者として、皇宮に向かいます。
お父様と皇帝陛下の攻防戦は静かに続き、いつまで経っても平行線を辿ったまま。
それでも、折衷案で折れた。
まず、私と皇太子殿下の婚約は書類上だけ。実際、会うのも、婚約式を挙げるのも、私が八歳になる五年後に皇宮で。
お父様は五年という歳月に賭けた。
「皇太子に女はまだできないのか? 選りすぐりの女を送りこんだんだろう?」
お父様の目論見が外れ、皇太子殿下は禁欲的な日々を送っているみたい。お兄様と第二皇女の縁談話もあったけど、皇太子殿下と私の婚約で拒否できた。
とりあえず、最大のフラグはへし折った。
ありったけの愛に包まれていたら、あっという間に五年という月日が流れる。とうとう私は八歳の誕生日を迎えた。
前回、処刑された歳だ。
婚約式のため、私を連れて皇宮入りすると返事しておきながら、一向にお父様は腰を上げない。
八歳の誕生日パーティは開催せず、居城で家族や使用人たちにこっそりお祝いしてもらう。
皇宮から使者が来たけど、いつものように躱した。
その後、使者は立て続けで来たけど、私は仮病で挨拶を受けない。お父様の膝に人形を抱いたまま座り、魔導具の大きな鏡に映されたやりとりを見る。
「公女様の体調がご回復次第、御出立してくださいますね?」
プライドの高い宮廷貴族の使者には悲愴感が漂っているけど、応対した叔父様は飄々としている。
「アレクシアはまだまだ幼い。教育中です。婚約式は今暫くお待ちください」
「露にも」
何の心配もないから来い、と使者は言っている。
「ノイエンドルフの恥になる。もう少しお待ちください」
「何度目ですかな?」
「今のアレクシアを無理に送りだし、皇宮を混乱させては申し訳ない」
「あの愛らしい公女様がどのように暴れても、皇宮には小波さえ立ちません」
「公女がノイエンドルフ公爵の娘だとお忘れか?」
叔父様が楽しそうに言った途端、使者の顔色が変わった。
「……うっ」
「兄上の名を聞いただけで倒れる貴族が多い。……あぁ、甥の名前を聞いただけで倒れる貴婦人も多い」
「ナターナエル卿のお名前を耳にしただけで、気絶する騎士も珍しくありません」
五年前の取り決めでは、私の八歳の誕生日パーティの三日後、皇宮入りする予定だった。翌日、婚約式。
「うん、だから、もう少し待て」
「もう少し待て、と言われてから月の満ち欠けを何度見たでしょう」
「星は変わっていない」
内容は違うけど、前回と同じ日だし、同じ時間に同じ使者。
「私、このままでは帰れません」
「領内に宿を用意させよう」
「私、本日は命を捨てる覚悟で参りました。ここでおめおめ引き下がれば我が家門の恥、皇帝陛下にも申し訳ない」
「お疲れのようです」
「これ以上、愚弄されるならば、謀反と取られても仕方がありませんぞ」
捨て台詞とともに逃げ帰るのも同じ。
どういうこと?
いろいろな理由をつけて、のらりくらりと皇宮からの使者をあしらっていた。
お父様と叔父様は平然としているけど、側近が青い顔で進言した。
「閣下、これ以上伸ばせません」
「伸ばせ」
お父様は煩そうに一蹴した。
「いつまで?」
「陛下が諦めるまで」
「甘いことを仰らないでください」
「皇太子殿下が露になるまで」
「皇太子殿下が露になれば第四皇子が皇太子に即位されるでしょう。アレクシア様とお似合いのお年頃」
後ろ盾が強固な第四皇子のほうが厄介です、と側近は視線で匂わせる。
「そういや、スペアがいたよな」
「忘れていたのですか?」
「第四皇子が生まれたのまでは覚えている。第二皇子と第三皇子が暗殺されたことも」
お父様はなんでもないことのように軽く言ったけど、側近は陰鬱な顔で咎めた。
「公爵、姫の前です」
側近の注意で膝に私がいると思いだし、お父様は引き攣り笑いを浮かべた。
「……う、姫、皇宮の菓子職人が夕方に到着するから楽しみにしていろ」
一瞬、空耳かと思って私は聞き返した。
「はい?」
「皇宮の菓子職人を引き抜いた。皇宮入りする必要はない」
……こ、この親バカ、いったいなんのために私が覚悟を決めたのよ。
けど、親バカ暴走は止められない。
夕方、皇宮の菓子職人がノイエンドルフ公爵家お抱え菓子職人としてやってきた。
「アレクシア様、御指名を賜り、深く感謝します。これ以上の名誉はございません」
なんでも、皇宮菓子職人よりノイエンドルフ公爵家の菓子職人のほうが名誉らしい。待遇が半端なくいいのは確か。
早速、アレクシア公女に捧げるチョコレートケーキを焼いてくれる。ルビーチョコと苺をふんだんに使った目にも可愛いケーキ。
美味しいのに喜べない。
この親バカ、どうしたらいい?
相変わらず、お父様は吠えている。
「アレクシアは嫁にやらーん」
親バカも叔父バカも相変わらず。
家令や側近たちの顔色がますます悪くなる理由がわかる。
皇帝陛下の侍従長が乗りこんできて、涙ながらに訴えるのも前回と同じ。
「閣下、このままでは謀反人として追討命令がくだされます。アレクシア様が八歳になったら、皇宮で婚約式を挙げる誓約を破るつもりですか」
この姿、その泣き方、前と同じ。
前回、ここでお父様が侍従長を竜巻で飛ばした。送り先は隣の領地にある皇帝の別荘。
面目ない、って侍従長は自決した。
取り返しのつかない事態の三発目。
ノイエンドルフ公爵家と皇帝陛下の板挟みになって苦しんだ使者がふたり、貴族の身分を剥奪されて追放された。板挟みになって追い詰められて自決した使者はひとり。
これも前回と同じ。
追放された人も自殺した人も同じ。
その家門からお父様と私が恨まれる。……前回と同じならば。
運命が変わっていないの?
考えればそうだ。
皇太子殿下と婚約しても一度も会わず、婚約誓約書にサインしただけ。
前回と同じように、私はここから動いていない。
皇宮では皇帝陛下がメンツを潰されてイライラしているはず。
私はお父様の膝から飛び降り、侍従長に駆け寄った。
「皇宮に行きます」
私が大声で宣言すると、侍従長ははらはらと涙を流した。
「公女様、ありがとうございます」
「俺の姫、血迷うなーっ」
お父様が血相を変えて近寄るけど、側近と騎士団長が身体を張って阻んだ。
もう誰もがわかっている。
これ以上、誤魔化せない。
侍従長を竜巻で返却したら戦争だ、と。
私の一声で親バカ暴走を止めた。さすがに、お父様も諦めたらしい。慌ただしく、私の皇宮入りが正式に決まった。
私は寂しそうなお父様に抱かれ、果てしなく広がっているような庭園を進む。
筆頭公爵家は東京ドーム一〇個分? 二〇個分以上って感じかな?
葡萄園を横切ると、鬱蒼と生い茂る林がある。綺麗な泉のほとりにはここだけにしか存在しないピンク色の樹木。
「妖精王の樹だ」
お父様は私を右腕だけで抱いたまま、愛しそうにピンク色の樹木を見上げた。
「お母様の樹」
お母様だよね、と私は自分の髪と同じ色の幹に触れる。
妖精王は亡くなると身体は跡形もなく消える。髪の毛一本、この世には残さない。
その代わり、花を咲かせたり、泉を湧かせたり。
私の母、妖精王のロヴィーサは息を引き取ると、なんの痕跡も残さずに煙のように消えた。
けど、この泉のほとりに木を根づかせた。
ロヴィーサの樹。妖精王樹。お父様もお兄様も誰もが大切にしている。
「そうだ。アレクシアのママだ」
ママ、っていうお父様のイントネーションが独特。
お父様、お母様、って呼べるようになったのにご不満みたい。私にはいつまでも幼い子供でいてほしいんだろう。
「ママ、なんか言ってくれたらいいのに」
私が本心をポロリと零すと、お父様は切なそうに眉を顰める。
背後にいる護衛騎士たちは鼻を啜った。
「う~ん、ママだけど、木だからな」
なんか言ってくれよ、とお父様も妖精王の樹に語りかける。傍若無人な俺サマが捨てられたわんこに見えた。
「ママ、なんか言って」
ペチペチ、と私はお父様に抱かれたまま太い幹を叩いた。
なんの声も聞こえない。
優しい風がふんわり吹いて、花の甘い香りが漂ってくるぐらい。
けど、これは何か?
何かだよね?
「妖精たちがたわわになっている。見えるか?」
お父様の言葉で枝を見たけど、私は何も確認できなかった。
「見えない」
私に魔力はないし、妖精としての力もまだ。前回、私はとても焦っていた。魔力も妖精も見えない私は役立たず、って。
「見えぬか」
「はい」
「魔力、ってわかるか?」
ピカッ、とお父様は指輪を光らせ、泉の周りに咲く赤い花を散らした。
「パパ、駄目」
私の教育のためだってわかるけど、花を散らすのは許せない。
「魔力がどんなものか、わかるな?」
「うん」
「魔力は皇帝以下の皇族、帝国序列第一位のノイエンドルフ、四大侯爵家とか有力貴族の子弟が持つ」
皇族以下、皇宮に出入りできる大貴族の子弟はだいたい魔力を持つ。反面、皇女でも女性が魔力を持つことは珍しいという。実際、今の皇女たちも魔力は持っていない。
「はい」
「魔力持ちの貴族でも妖精を確認できる奴は少ない。力の強い魔力持ちでも見えないケースがある」
どんなに強い魔力を持っていても、妖精を肉眼で捉えることは難しいという。
魔術師は妖精とコンタクトを取ることができなければ、魔術師と名乗ることはできない。帝国内だけでなく、妖精は世界中で特殊な存在。
「はい」
「魔力のない貴族でも平民でも、子供は稀に妖精を見る。だが、大人になると見えなくなる」
純粋な子供は妖精を見ることができるけど、成人したら見ることができなくなる。魔術師の世界ではそんな説が流れている。
「はい」
「妖精はよくわからん」
お父様にこれ以上ないというくらい真剣な顔で言われ、私の口は空いたまま塞がらない。
「妖精について、ロヴィーサに聞いたけど、未だにわからない」
俺にとっては蝶の一種に変身する美女一族、とお父様は独り言のように続ける。周囲の騎士たちの顔は一様に渋い。
「……ふぇ?」
妖精王の夫がそれじゃ、ほかの人にとって妖精はさらに謎。
「俺もナターナエルもローデリヒも生まれた時から妖精が見えた。妖精と話せた」
「私はできない」
妖精王の娘だと言われているし、生まれながらの妖精王と呼ばれたけど、それらしいものは何も見えない。感じない。
「アレクシアは妖精王の跡継ぎとして生まれている。どうして、見えないのかわからん」
「わかんないの?」
「あぁ、誰もわからん」
専属魔術師も高名な魔術師も答えが見つけられなかったという。
「ただ、俺の姫は生まれる前から妖精に守られている。忘れるな」
「どこにいる?」
「左右の肩に一匹ずつ、足元に……すまん、妖精が四人」
お父様は妖精に何かされたらしく、苦笑を漏らしながら詫びた。
「どんな妖精?」
「桃色とオレンジと水色と金色」
「お名前は?」
「レーナと……うわ、たくさん寄ってきた。妖精の力が開花したら自分で聞け」
お父様、面倒なんだ。
うん、あとで自分で聞くよ。前回、私を守ってくれた妖精の名を尋ねる余裕もなかった。
「はい」
「今のアレクシアには魔力もないし、妖精の力もない。単なる子供と一緒」
八歳になって自分でできることは増えたけど、お父様から見たらまだまだ非力な子供だ。
「はい」
「俺が強力な結界を張っているから安心しろ」
「はい」
「もし、アレクシアがいやな目に遭ったら、誰であっても殴り飛ばせ」
一瞬、お父様が何を言ったのかわからず、私は目をぱちぱちさせて聞き返した。
「……え?」
「アレクシアなら殴り飛ばすより蹴り飛ばすほうがダメージを与えられるか」
お父様が顎を決ると、周囲にいた護衛騎士たちが実演した。
エグモンドが頑強な騎士に飛び蹴りを決める。
「姫様にご理解いただくため、もう一度」
二回目はほっそりとした騎士が華麗な飛び蹴りを披露した。
「はい?」
きょとんしているのは私だけ。
お父様はいつになく真剣な顔。
「いやな奴は蹴り飛ばせ」
「……え?」
「いやな奴は殺しても構わん」
お父様の言葉に呼応するように、エグモンドは剣を抜き、剛健な騎士団員に向かって突き刺す。
騎士団員は殺されたふりをして倒れた。
「……な、ないない」
「いやな奴を殺しても構わないのがノイエンドルフの娘だ」
お父様が胸を張って力説すると、騎士団長以下、騎士たちは真剣な顔で相槌を打った。
これ、否定したらあかんやつ。
「……は、はい」
「いいな? 先手必勝、やられる前にやれ」
「……は、はい」
「皇宮は毒女の倉庫だ。少しでも嫌みを言われたら蹴り飛ばせ」
お父様は皇宮という仁義なき戦場にピリピリしている。根本的に嫌いなんだ。前回も毛嫌いしていたから、何があっても私を手放そうとしなかった。
「……は、はい」
「皇太子殿下が近寄ったら噛みつけ」
皇太子殿下って私の婚約者。
「……え?」
「皇太子殿下と目が合ったら噛み殺せ」
「……え?」
「いいな? 忘れるな」
お父様の目が血走って怖い。
「……は、はい」
「嫁にはやらーん」
お父様が悔しそうに叫ぶと、護衛騎士たちもいっせいに吠えた。
「うぉぉぉぉぉぉぉーっ」
「俺らの姫、嫁にはやらーん」
「謀反、上等だーっ」
どこからともなく、不気味な地響き。
妖精の樹がざわざわとざわめき、妖精の泉の水面も大きく揺れ、綺麗に咲いていた花が一瞬で散った。
私、みんなを守るために行く。
必ず守るから待っていて。
お母様、見守って。
八歳の夏に妖精王の力が覚醒すること知っているけど、もうちょっと早く、と私は妖精の樹に頼んだ。
話に聞く限り、皇宮は裏切りの激戦地以上の激戦地だ。
けど、けど、けど、大丈夫かな?
ようやく皇太子妃候補として居城を出立する日、お父様は堂々と言い放った。
「出陣じゃーっ」
騎士団長を始めとする筋骨隆々の騎士たちが雄叫びを上げた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ」
焦ったのは、お父様に抱かれている私だけ。
「お父様、出陣じゃないっ」
私が手を振り回したら、なんか誤解されたみたいで雄叫びがグレードアップ。
この親バカ、どうしよう?
……ううん、親バカ軍団、どうしよう?
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