第7話 未来永劫、妖精王を愛す。

 妖精がいなければ、大地は痩せ衰え岩場が広がり、花も咲かず実らず、川や海から魚は消え、漆黒の闇が広がる。

 皇帝を怒らせても妖精王は怒らせるな。

 ノイエンドルフ公爵家に代々伝わる家訓。

 妖精王に今でも初めて会った時のことは鮮明に覚えている。

「坊や、大きくなったねぇ」

 先代ノイエンドルフ公爵の親父を子供扱いする妖精王の美貌に息を呑んだ。

 初めて会って一目惚れ。

 初恋だった。

「妖精王、俺の嫁になれ」

 俺がプロポーズした瞬間、親父は口をポカンと空けたまま固まった。

 妖精王は楽しそうに高らかに笑う。

「坊や、いい度胸ね。お目が高い」

 頭を撫でられ、俺は悔しかった。あと二、三年すれば、背丈は追い抜くはず。

「坊やじゃない。アレクシス・ゲルハルト・ヴァン・ノイエンドルフ」

「私はロヴィーサ、妖精の王よ。これでも一〇〇〇年以上、生きている」

「俺、五歳になった」

「可愛いな」

 子供扱いされ、俺はむくれた。そばで親父が頭を抱えているが気にしない。

「可愛い、はやめろ」

 男に対して失礼だ、と俺は睨み据える。

「ちっこくても男か」

「すぐ大きくなる」

「そうだね」

 ロヴィーサは艶麗に微笑んでから一呼吸置き、真っ白な手を挙げて言った。

「アレクシスが妖精に危害を加えない限り、ノイエンドルフに祝福を与えん」

 桃色の髪が風に靡き、周りの木々から妖精の楽しそうな笑い声が聞こえる。

 俺の初恋は五歳。

 実らないと誰もが思っていた。

 ……が、俺はノイエンドルフ後継者としての義務である政略結婚を退け、ずっと想っていた。

 忘れられなかったんだ。

 忘れようとしても忘れられるか、あんなに綺麗で色っぽいの。

 親父がちょっとした油断で露になり、俺が一六で公爵位を継いだ秋、最初で最後のチャンスが回ってきた。

 ノイエンドルフ領内に限ったことじゃないが、増え続ける魔獣対策として、砦を新しく築くことになったんだ。

 計画中、ふらりと現われた妖精王。

 桃色の長い髪を靡かせ、薄紅色がかった白い羽根を羽ばたかせる。

「アレクシス、大きくなったね」

 初めて会った時と同じ美貌に目眩がした。俺も妖精王の前じゃ、巷の男となんら変わらない。

「ロヴィーサ、変わらないな」

「妖精は老けないもの」

 ふふふっ、とロヴィーサは仇っぽく微笑んだが、それだけでも俺は駄目だ。

 直視できん。

「アレクシス……いえ、ノイエンドルフ公爵は砦を築くつもりか?」

 ロヴィーサは机に広げている砦の建築図をしなやかな指で突いた。

「あぁ」

「妖精の泉が近い。やめてほしい」

 専属魔術師は懸念していたが、現場の騎士たちは領民のために引かなかった。何より、俺の目には充分、距離を取ったように見える。

「砦を築かないと領民が危険だ」

「領内から妖精を追いだす気か?」

 ノイエンドルフ公爵は帝国内で最も肥沃な地を多く所有する。

 つまり、妖精が多く棲んでいるから肥沃な地になるのだ。

 妖精が去れば地は荒れ、岩が増え、数多の狂暴な魔獣が棲みつく。

「ロヴィーサ……いや、妖精王、わかっているはずだ。ノイエンドルフ以上に妖精を大切にする土地はない」

 ノイエンドルフの繁栄は妖精を手厚く保護したから。

「わかっているなら砦はやめろ」

「お前が俺の妻になればやめる」

 冷静に言ったつもりが、俺の声は震えていただろう。一か八か、俺はかけた。

「……妻?」

 妖精王もそんな顔をするんだな、と俺は内心を隠して言った。

「公爵夫人になれば砦を築かない」

「いい度胸ね」

「妻の一族のため、西国で追い詰められた妖精も助けてやる」

 西国では軍事力増強のため、妖精が棲む自然が破戒されている。行き場を失った妖精たちがシュトライヒ帝国に棲む妖精王に救いを求めていることも掴んでいた。

「断わる理由がないわ」

 最初で最後の賭けに勝った。

 一六でロヴィーサを娶り、一八で長男が生まれた。

 嬉しかった。

 ローデリヒは俺そっくりだと、誰もが口を揃えた。

 妻も嬉しそうに笑った。

「ローデリヒは私の力をまったく受け継いでいない。公爵の子ね」

「あぁ、俺の跡取りだ」

 ローデリヒの後、ロヴィーサは二人目を妊娠しなかった。

 だが、それでよかった。

 妖精王の出産はひどく衰弱する。

 俺の子ならなおさら。

 並の妖精なら妊娠した時点で死んでいたかもしれない。

 二回目の妊娠を聞いたとき、嬉しさより恐怖が勝った。

「ロヴィーサ、大丈夫か?」

 俺が探るように尋ねたら、いつものように嬌艶に微笑んだ。

「さすが、わかるのね?」

「俺とローデリヒを置いていくな」

「この子はあなたの子ではなく私の跡継ぎ」

 ロヴィーサは愛しそうに膨らんだ腹部を撫でた。俺もそっと触れる。

 命が宿っていることは間違いない。ただ、ローデリヒの時とは明らかに違う。変な表現だが、ロヴィーサの塊が詰まっているような気がする。

「妖精王になる子か?」

 いやな予感が当たった。どんな時代でも、妖精王はひとりだ。

「予想以上に長生きした。あなたと結婚して、子供を産んで、幸せだったわ」

「やめろ。そんなことを言うな」

「妖精王はひとり。わかっていでしょう」

 妖精に国境はない。新しい妖精王の誕生とともにそれまでの妖精王は果てる。

「堕ろせ」

 俺が言った途端、平手打ち。

 バシッ。

「今の失言、生涯、後悔するわよ」

「すまない」

 俺はロヴィーサの胎内に宿る子に心から詫びた。

「私は次期妖精王の出産で露になる。次期妖精王の育成を頼むわね」

 ロヴィーサは大仕事を終えたように晴れ晴れとしていた。

「いやだ。俺は俺の娘としてしか育てられない」

「妖精たちも頼むわ」

「いやだ」

「ローデリヒを頼むわね」

 クソ生意気な跡取りはまだまだ母親が必要なガキだ。

「いやだ」

「リアーネの子も頼む」

 リアーネはロヴィーサが目をかけている後宮の庭師だが、言われなければ思いだしもしない。そもそも、庭師の子供に興味もない。

「そんな奴、知らん」

「悪くない生涯だったわ。永い時を生きてきたけど、あなたの妻になってこんな幸せがあると知った。ありがとう」

 ロヴィーサに宥めるようにキスされたが、俺は爆発しそうな魔力を抑えることに必死だ。

「言うな」

「愛しているわ」

「知っている」

「私はあなたを永遠に愛する妻よ」

「妻なら夫をおいて露になるなーっ」

 俺の魔力は帝国だけでなく列強の君主も恐れるという。

 だが、俺の魔力はなんの役にも立たなかった。

 初めて愛した女性は逝ってしまった。自分にそっくりの子供を残して。




 妻の忘れ形見はこの世で一番可愛いが、性格はいったい誰に似たんだ?

「モグモグちていいの?」

 娘のために用意したスイーツなのに、必ず、不安そうな顔で確かめる。ローデリヒは見た瞬間、食らいついたのに。

「当たり前だ」

 娘のために用意した人形や玩具、嬉しそうに手を伸ばそうとして引っこめてから確認する。いつも。

「これ、アーチャ、もらっていいの?」

「当たり前だ」

 使用人たちに聞いたが、俺の娘は甘えたいのに甘えられないらしい。

「だっこちてほちい。いいの?」

「当たり前だ」

「だっこ。いっぱいちてほちい」

「俺もだっこしたい」

「一度でいい。一緒におねんねちいたい」

「それ、俺がしたい。俺の寝相が悪くて潰すかもしれないから止められていたんだ」

 妻を奪った子だと微塵も思わなかった。

 妻が命がけで俺に残してくれた子だ。

 外見は妻にそっくり。

 魔力は全然感じられなかった。

 何故か、控えめ? 

 俺とロヴィーサの子とは思えないぐらい遠慮ばかりする。

 俺のことが嫌いだと思ったら違うようだ。

 可愛くて仕方がない。

 アレクシアのためならなんでもやってやる。

 皇帝の座に興味はないが、アレクシアが望むなら座ってやる。

 いざとなれば皇帝を始末する。

 ブルノルト七世、あいつも覚悟しているはずだ。

「嫁にやりたくねぇーっ」

「わかっています」

「フロレンティーナとローエンシュタイン侯爵を徹底的に調べろ」

 あの優しい姫があれだけ嫌うのだから何かある、と俺は確信した。家令や側近たちも同じ意見のようだ。ナターナエルでさえ、妻と舅を疑いだした。

「すでに調べています」

「よし……アレクシアは嫁にやらん」

「くれぐれもご短慮はお控えください」

「わかっている」

 俺の命より大切な姫、絶対に嫁にやらん。

 アレクシアが惚れた男ならまだしも、魑魅魍魎の巣窟なんぞに誰がやるか。

 ブルノルト七世、首を待っていやがれ。

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