第6話 破滅フラグをへし折るため、皇宮入りの準備をします。

 自分でも不思議だったけど、私が美帆からアレクシアに転生したことはすぐにわかった。

 美帆の日々とは真逆の日々。

 毎日、綺麗な服を着て、美味しいご飯を食べて、芸術品みたいなスイーツも食べて、遊んでいるだけ。

 私、こんなに優しくしてもらったのは初めて。

 いくらお金持ちの幼児でもこれでいいの?

「……お、お、おとう……」

 お父様、おはようございます、って私はお父様に挨拶したいのに挨拶もできない。

 父親という唯一の保護者に嫌われたらおしまいなのに。

「パパ、と呼んでくれ」

 正直、お父様はイケメンだけど、迫力がありすぎて怖い。侍女たちがビクビクしている理由がよくわかる。

「……パパ?」

 パパ、って呼んでいいの?

 美帆の時、パパって呼べる人がいなかった。

「……う……」

 怖い顔。

 詰んだ?

 やっぱ大貴族でパパはアウト?

 城に出入りしている貴族の令嬢は『お父様』とか『父上様』って呼んでいる。

 私が慌てて謝ろうとしたら、お父様は隣にいた側近に言い放った。

「アレクシアが俺をパパと呼んだ。今日、パパ記念日として祝日にする」

「公爵閣下、祝日だらけになります。お待ちください」

 ここでの父は優しくしてくれる……っていうか、溺愛してくれるけど、いつまで続くかな?

 今の私は役立たず。

 このままだと追いだされる。

 私は掃除をしようとして、使用人から箒を奪おうとした。

 けど、奪えない。

「お嬢様、何をなさいます?」

「アーチャ、お掃除」

「お掃除は使用人の仕事です。お嬢様が使用人の仕事を奪ってはいけません」

「アーチャ、役立たず」

 その言葉、転生しても私の魂には刻まれている。

「……や、役立たず? 誰がそんなことを言いました?」

 その場にいた使用人全員、顔色を変えた。

 前世の祖父母に母、って答えられるわけがない。答える必要もない。

「アーチャ、役立たずないない。お掃除」

「お嬢様のお仕事は毎日楽しく過ごすことです」

 夢みたいなことを言われたけど、信じられるわけがない。

 働かざる者、食うべからず。

 祖父母は何度もそう言って、お寿司や大福、饅頭を私の前で見せびらかすように食べた。私は空腹で目が回りそうだったのに。

 あの頃、私の食事は給食の昼食だけ。

 今は夢のよう。

 小さな手足でもできることを必死に探した。

「お洗濯、アーチャもお手伝い」

 祖父母のポリシーで全自動洗濯機ではなくずっと古い二槽式の洗濯機で洗濯していた。手間暇かかって大変だった。こっちの魔導具の洗濯機のほうが簡単みたい。

 この魔導具の洗濯機があれば、幼児の私でも洗濯できる。洗濯係として役に立とう。そう思ったのに。

「アレクシア様、おやめください」

「アーチャ、役立たずの穀潰し」

 騒ぎを聞きつけたらしく、いつしか、お父様が背後に立っていた。

「アレクシア、どこでそんな言葉を覚えた?」

 悪魔より悪魔。

 お父様が怖い。

「……ひっ」

 私が腰を抜かして床に尻餅をつくと、ばあやが慌てて駆け寄った。

「公爵様、お嬢様が怖がっています。ローデリヒ様やナターナエル様とは違って繊細な姫様ですからお気をつけあそばせ」

 ばあやが注意すると、お父様は低く唸ってから使用人たちを睨みつけた。

「お前らが言ったのか?」

「違います」

「そうだよな。お前らは死にたがっているようには見えない」

 アレクシアにそんなことを言ったら殺されるのはわかっているはず、とお父様の鋭い目が使用人たちを威嚇する。

 ひっ、という悲鳴があちこちから漏れた。

 助けてください、と使用人たちから縋るような目を向けられる。

「アーチャ、いらない子だけどおいて」

 私はお父様の裾を掴んで懇願した。

「俺の女神、何を言っている?」

「アーチャ、生まれなければよかった子」

 前世、母にも祖父母にもさんざん言われた。私さえ生まれなければ、母の人生は狂わなかったという。祖父母の老後も安泰だったという。

「アレクシアは俺の女神だ。俺の命より大切な子」

「アーチャでママ、ないないちた」

 私の命と引き替えに公爵夫人が亡くなったと揺り籠の中で知った。

 お父様が深く夫人を愛していたことも。

「誰がそんなことを言いやがった。生きてきたことを後悔させてやるーっ」

 この世界での父、パパの愛は深かった。

 ばあやもお兄様も叔父様も侍女も、私の心魂に刻まれた傷を癒してくれた。

 なのに、なのに、なのに。

「愚かな奴じゃ。あの時、アレクシアを皇太子妃として差しだしていれば滅ばずにすんでいたものを」

 皇帝陛下は禁じ手を使ってお父様を滅ぼした。

 いやーっ。

 せっかく掴んだ幸せ。

 やっと夢にまで見たパパが、と私は目の前に転がったお父様の生首に手を伸ばそうとした。

 ぎゅっ、と優しく握られる。

「お嬢様、どうされました?」

 ばあやの顔が目の前。

 ……夢だ。

 私の寝室のベッド。

 侍女のイルゼがカーテンを開けると、眩しい朝陽で寝室が明るくなる。

 夢だとわかっても、確かめずにはいられない。

「パパは?」

「叔父様たちと一緒にヤケ酒を呷って、二日酔いでございます」

 酒蔵が空になりました、とばあやは呆れ顔で溜め息をついている。

「ヤケ?」

「皇宮に竜巻を送りそうでひやひやしていました」

「ばあや、ついてきて」

 スリスリ、と私は甘えるようにばあやの胸に顔を擦り寄せた。

「お嬢様、昨日のことを覚えていらっしゃるのですか?」

「あい、行く」

「もちろん、ばあやもお供させていただきます」

 ばあやの返事を聞いた後、私はイルゼを見つめた。

「イルゼ、ついてきて」

 皇宮で戦うためにはばあやだけでは無理だ。

 信頼できる侍女は必要不可欠。

「お嬢様、御指名していただき、ありがとうございます。どこにでもついていきます」

 イルゼは嬉しそうに笑顔全開で私に宮廷式のお辞儀をした。

「マルレーネ、ついてきて」

 ワゴンの前に立つマルレーネにも手を伸ばした。

「お嬢様、光栄です。命にかえてもお嬢様をお守りします」

 イルゼやマルレーネのほか、専属の侍女たちの名前、全員、呼んだ。

 全員、泣きながら喜んでくれた。

 たとえ皇宮に行きたくなくても、私に指名されなければ悲しい。そういう気持ちは知っている。

 それに本当に無理だったら、ばあやが陰で角が立たないように外してくれる。

 お父様を育てたばあやは最高に有能。

「エグモ、ついてきて」

 皇宮で戦うには信頼できる腕利きも必要。

「アレクシア様にお仕えする名誉、手放すつもりはございません。たとえ地の果てであってもお供いたします」

 エグモンドは膝をつき、私に改めて忠誠を誓った。

 私の心変わりがないと知り、お父様がますます荒れる。

「俺の姫を嫁にやるぐらいなら、皇室をブっ潰してやるーっ」

 けど、家令たちが皇宮入りに向けて本格的に動きだした。

 皇太子妃としてノイエンドルフ公爵令嬢が皇宮入りするのだから、付き添う侍女にも身分が必要になる。ばあやは男爵未亡人だけど格下すぎるらしい。

「公爵閣下が領地に残り、叔父のナターナエル様がお嬢様に付き添って皇宮入りすることが相応しいと思います。よろしいですか?」

 お父様の側近はクールビューティー系に見えるけど、三歳児にもちゃんと説明して、承諾を得ようとする。

「パパは?」

「閣下が付き添うと言い張られ、宥めるのに苦労しました」

「パパ、お留守番」

 私は自分と同じワンピースを着た人形を抱いたまま力んだ。

「そうでもしなければ、皇宮が火の海に包まれると思います」

 側近の引き攣り笑いを目の当たりにして、私の背筋も凍りついた。

「あい」

「フロレンティーナ様がお嬢様のお母様代わりとして付き添われます」

 叔父様が同行するのならば叔母も同行して当然。

「叔母ちゃま、いや」

 私が全力で首を振ると、側近は困惑顔で首を傾げた。

「あんなにフロレンティーナ様を慕っていたのにどうされました?」

「叔母ちゃま、いや」

「叔父様は?」

「叔父ちゃま、好き。大好き」

「叔父様のお嫁さんだからフロレンティーナ様がおいやなのですか?」

「ふんっ」

 そんなんじゃない。

 裏切った。

 城内にスパイをこっそり忍びこませて、移動魔導具や伝達の魔導具、防犯の魔道具をすべて破壊して。

 何食わぬ顔で、私のそばにいた。

 前回、帝国騎士団に包囲された時、二手に分かれ、お父様に合流することに決めた。

 イルゼとマルレーネが囮。

 ばあやは私の身代わりの孫を抱く。

 フロレンティーナが使用人の子に扮した私を抱いた。

『私がアレクシア様を抱いて避難します。もし何かあっても、私が抱いている子がアレクシア様だとは思わないはずです』

 私を抱いて秘密の抜け道から逃げるふりをして、帝国騎士団に飛びこんだ。

 気づいた時、手遅れだった。

 私さえ帝国側に捉えられなければ、ノイエンドルフは勝ったのに。

 それを知っているから、フロレンティーナを使った搦め手で攻めてきた。

 伝えたいけど、伝えられない。

「フロレンティーナ様は皇宮で力を持つローエンシュタイン侯爵家出身です。正当な理由をください」

「……うぅぅぅぅぅぅ~ん」

 私が人形を抱いて唸っていると、イルゼが大きなリボンがついたワンピースを衣裳箱に詰めながら口を挟んだ。

「私、フロレンティーナ様は苦手です」

 イルゼの意見に同意するように、ほかの侍女たちがいっせいに相槌を打った。

「イルゼ、お嬢様の前です。慎みなさい」

 ばあやが窘めたけど、イルゼは止まらなかった。

「お嬢様がフロレンティーナ様をいやがる気持ち、よ~くわかります」

「あとでお聞きします」

「イルゼ、おちえて」

 私はイルゼを引き留めようとしたけど、側近と一緒に部屋から出て行ってしまう。……うん、連行された感じ?

「お嬢様、デザイナーを呼びましょう。どんなドレスがいいですか?」

 私も聞きたいのに聞かせてくれない。

 なんだろ?

 フロレンティーナはやっぱり淑女のふりして悪女?

 私たちと侍女に対する態度が違うのかな?

 皇宮入りの準備をしていたら、あっという間に夕食の時間。

 お父様だけでなく叔父様もテーブルについた。

「俺の姫、皇宮のケーキはたいしたことないぞ」

 お父様のイケメン面がひどかったけど、私は心を鬼にして首を振った。

「パパ、いい子ちて」

 あ~ん、と私はお父様の口に指で摘まんだベビーキャロットを放りこむ。野菜嫌いのお父様には必須の栄養。

「……うぅ」

 姫のために皇帝になるしかないのか、とお父様は悲愴感を漂わせながら独り言。

 これ、危ない。

 私の作戦を少し明かしたほうがいい。

「皇宮行って、おじちゃん、いじめてくる」

 チュッ、と私はお父様の頰にキスをした。

「陛下をいじめてくるか?」

「あい」

「気が合うな」

「あい?」

「……で、さっき聞いたが、フロレンティーナがいやか?」

 側近はきちんと私の希望をお父様に伝えていた。

「あい」

「俺が皇宮入りに付き添う。俺がいれば貴婦人がついていなくてもナめられない」

 真の皇帝が皇宮に入ったら、帝国中に血の雨が降りかねない。

「……パパ?」

「ナターナエルに公爵代理として領地を任せる。俺の留守中、フロレンティーナとともに城に入れ」

 お父様が鷹揚に叔父様に向かって顎を決る。

 叔父様が頷く前、私は手を振り回した。

「叔母ちゃま、お城に入れちゃめっ」

「フロレンティーナを城に入れては駄目か?」

「あい」

「わかった。姫の言う通りにしよう」

「お城は」

 あの人たちに任せれば大丈夫、と言いたいのに呂律が回らない。

 代わりに、壁際に立っていた家令や使用人長、侍女長を指差すと、お父様は不敵に口元を緩めた。

「あいつらがいれば城は大丈夫か?」

「あい」

 私が思い切り力むと、家令や使用人長が感極まったような顔で私に跪いた。

「誓います。アレクシア様の信頼を放棄する愚はいたしませぬ」

「改めて誓うまでもありませんが、アレクシア様のご期待を裏切るようなことはございません」

 侍女長はいつも気丈なのに、私の前で泣き崩れた。

「……お、お、お嬢様……嬉しゅうございます……」

「……ふ……ふぇぇぇ」

 侍女長の最期を思いだし、私もつられるように泣いてしまった。

 お父様はのらりくらり出立を延期するつもりだ。

 それでも、皇帝陛下の性格を知る叔父様や側近により、皇宮行きの準備が進められた。

 これで運命は変わる。

 変わったと思ったけど、白い鬚の宰相が急逝したという伝令が届いた。

「ノイエンドルフ公爵の説得で寿命を縮めた」

 そんな噂で持ちきり。

 前回同様、後任の宰相には皇后の実父のローゼンベルガー侯爵が就任した。

 お父様を妬み続けている奴。

 あいつが宰相になったってことはまだ運命が変わっていない?

 私は恐怖でいっぱいになる。

 不安に揺れる中、お父様の留守中、フロレンティーナがこっそり押しかけてきた。

「下がってくださらない」

 フロレンティーナは身分を盾に、私のそばにいた専属侍女たちを下がらせる。勝ち気なイルゼも言葉を飲みこんで退出した。

「アレクシア様、わたくしが皇宮にご一緒できると窺っていたのですが?」

 フロレンティーナが悲しそうに目を潤ませるけど、私には嘘泣きにしか見えない。

「バイバイ」

 私は抱いていた人形の手を振った。

「わたくし、何かお気に召さないことをしてしまいましたか?」

「叔母ちゃまのパパ」

 フロレンティーナの実家が皇后の実家と手を組んでうちを潰した。

「……はい? 実家の父が何か?」

「叔母ちゃまのパパ、めっ」

「去年、ローデリヒ様のお誕生日会で父とお会いになられましたよね?」

「叔母ちゃまのパパ、叔母ちゃまの兄ちゃま、めっ」

「父と兄がアレクシア様にご無礼を働いたとは思えないのですが」

 フロレンティーナが食い下がった時、お父様が音も立てずに現われた。

「フロレンティーナ、子供に何を言っている。俺の決定に不服か?」

 フロレンティーナはお父様を見て愕然としている。領内の港に行ったはずだったから。

「……あ、兄上様……その……私もアレクシア様が我が子のように可愛いのです。心配でたまらなくなりました」

 フロレンティーナはお父様の前に跪き、必死になって取り繕うとした。

 騙されないで、と私が言う必要はなかった。

「ローエンシュタイン侯爵令嬢、お前は自分の立場を逸脱した」

 私を溺愛するお父様とは思えない迫力。

 思わず、私も怖くなって震える。

 私以上にフロレンティーナは震えていた。

「……お、お許しください」

「ナターナエルに処分は任せる」

 お父様の視線の先には側近とともに叔父様もいた。はっきり言って、お父様より叔父様の顔つきが険しい。

「フロレンティーナ、実家に戻れ」

 叔父様は冷酷な顔で妻に言い放った。

「あなた」

「子供は置いていけ」

「……ひ、ひどい」

 これくらいで、とフロレンティーナの目から大粒の涙が滴り落ちる。

「俺らの姫に逆らうからだ」

 今の時点でお父様と叔父様がフロレンティーナを見限ったら、家門断絶に繋がる裏切りはない。……ないはず。

 運命は変わったんだ。

 私はお父様の胸でほっとした。

「俺の姫、フロレンティーナの家門も潰してやる」

「……ふぇ? ないない」

 いくらなんでもこの時点でそれはない。

 この親バカ、どうしよう。

 けど、うちが絶命しないためには先手必勝?

 それでいい?

 前回、フロレンティーナは叔父様との間に生まれた子供もあっさり捨てたから。

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