第5話 破滅フラグが立つ前、宰相に返事をしました。

 翌日、いやな予感は当たった。

 ノイエンドルフ公爵領内に皇帝の使者を乗せた馬車が入ったという。先触れの早馬が到着して、城内は騒然となった。

 以前と同じように、私はお父様の膝で絵本を見ながら報告を受けた。

「皇帝陛下より御使者が参るそうです」

 家令が今にも倒れそうな顔で告げると、お父様は憎たらしそうに尋ねた。

「使者は誰だ?」

「宰相です」

「宰相が?」

「宰相が使者に立つ意味、おわかりですね」

 固定電話もスマートフォンもないけれど、それらしい魔導具があるから、遠い皇宮と連絡が取り合える。

 わざわざ使者を立てるということは極めて大切なこと。

 そのうえ、宰相が使者だから用件はわかりきっている。

「まさか、アレクシアを諦めていなかったのか?」

「公爵閣下、冷静にお願いします」

「面倒だ。消せ」

 短絡的なお父様に血の気が引いたのは私だけじゃない。家令が沈痛な面持ちで跪いた。

「愛らしい姫に免じて、おやめください」

「アレクシアを連れて行け」

 ひょいっ、とお父様が私を傍らにいるばあやに託そうとした。

 けど、私は手足をバタバタさせて抵抗する。

「パパ、一緒にいたい」

 私のお願いにお父様はデレデレ。

 なのに、デレ顔で拒まれた。

「俺は仕事だ。少しの間、ばあやと待っていてくれ」

「パパと一緒におちごと」

「宰相を露にしても早く終わらせる。ちょっと待っていろ」

 私はばあやに抱かれ、奥の部屋に運ばれた。

 家令の指示により、宰相の命を守るため、私は自室に戻らずに奥の部屋で待機。

 前回と同じ流れ。

 リピートしているなら、今日は二度目の難関。

 今日で取り替えしのつかない事態になった。

 宰相はお父様を心から尊敬する政治家だったから。

 もっと言えば、お父様が宰相にした大貴族だったから。

 あっという間に、白い鬚の宰相が城に到着する。

 予想通り、皇太子殿下から私への結婚申しこみだった。 

 宰相が使者に立つと誰もが予想していなかった。正式な求婚もこんな時期になると思っていなかった。

 二回目の私は知っていたけど。

 黄金と虹色水晶の大きなシャンデリアが吊された部屋、魔導具の大きな鏡でお父様と宰相のやりとりを見て、叔父や家令、ばあやたちが青ざめる。壁や扉の前に並んだ騎士たちも一様に死人のような顔。

「お嬢様、今からでも遅くありません。ヘルフリート様のお嫁になりませんか?」

 ばあやに真剣な顔で尋ねられ、私は正直に答えた。

「ヘル、お子ちゃま」

 好きだし、将来有望だけど、あまりにも幼すぎる。どんなに脳内を変換しても、未来の夫とは考えられない。

「お嬢様もお子様です」

 ばあやだけでなく部屋にいた全員、楽しそうに笑っている。

 緊張が解けたみたい。笑いを取りにいったわけじゃないのに。

「エグモ」

 私が背後に立っている護衛騎士を指差す。

 ここで婚約者として公表すれば家門絶滅は免れるかもしれない。

 以前同様、エグモンドは真っ赤な顔で石像みたいにカチンコチン。

「エグモンドはルーデンドルフ子爵の五男で受け継ぐ爵位も領地もなく、魔力の強さと武勇を見込まれ、公爵に取り立てられた騎士です。婿入りしても……」

 年長の騎士の言葉を遮るように、私は手を振り回しながら言った。

「エグモ」

 私の胸きゅん相手。

「お嬢様、皇太子殿下より年下にしてください。殿下より年下なら、なんとかなります」

 ばあやに切々と宥められたけど、私の気持ちは変わらなかった。

「エグモでちゅ」

 私がちょこちょこ近づくと、エグモンドは真っ赤な目で跪いた。

「アレクシア様、光栄です……あの……あの……何度も揺り籠から落ちた姫様がそんなことを言えるようになったとは……スープ皿に顔を突っ込んだ姫様が……アイスクリームの器をペロペロ舐めた姫様が……大きくなったんですね」

 エグモンドは鼻を啜りながら、つらつらと言い連ねた。

 ……む、父が娘を見るような感じ?

 そういえば、ちょっと動いたら揺り籠から落ちて、ばあやは笑っていたけど、エグモンドが死にそうな顔で駆けつけた。

「エグモ。アーチャ、お嫁になるでちゅ」

 エグモンド、私と結婚して。

 破滅フラグを一緒にへし折って。

 歳の差は理解している。

 エグモンドはすでに妻子がいてもおかしくない年頃。

 本当の夫婦になるまで庶子さえ作らなければ浮気は大目に見る……うん、正妻として愛人ふたり……や、ひとりまでは許すから。

「は~っ、嫁にやりたくない。いやだ、俺らの姫、冗談じゃねぇ」

 私が婿養子に指名しているのに、エグモンドは父の顔で苦しそうに髪の毛を掻き毟っている。

 ちょっとそれはないんじゃない?

 ポスッ、と私は抱いていたウサギのぬいぐるみでエグモンドを叩く。

 もっとも、周りに笑われただけ。

「アレクシア様、お父様とお兄様とエグモンド以外で、誰のお嫁さんになりたいですか?」

 ばあやに食い入るような目で尋ねられ、私はエグモンドの肩を叩いていた叔父のナターナエルを指した。

「叔父ちゃま」

 その瞬間、叔父様の精悍な顔がデレデレ。

 うわ、そのデレ方、パパと同じ。

 お父様と叔父様の母親が違うから、叔父と姪でも結婚できる。

 ここでは意外に叔父と姪、叔母と甥の結婚が珍しくない。

「叔父上には奥様のフロレンティーナ様がいらっしゃいます」

 叔父様は生まれながらの婚約者と結婚した。

 フロレンティーナは名門侯爵家出身の申し分のない淑女。

 私は叔母も大好きだった。

 けど、フロレンティーナの裏切りでノイエンドルフ公爵家は滅亡した。

 帝国側と前面衝突に踏み切った時、真っ先に狙われる私はどこかに隠れる案があった。

 けれど、お父様の結界が最も強く張り巡らされている居城に残ることになった。隠し部屋も秘密通路も多い。

『フロレンティーナ、アレクシアと一緒に城に籠もれ。一番安全だ』

『閣下、アレクシア様は私の命にかえてもお守りします』

 フロレンティーナは私と一緒に篭城しているふりをして裏切った。

 まさか、叔母が裏切ると誰も思わなかった。だから、なんの手も打っていなかった。

 気づいた時には遅かった。

 私はばあやと一緒に帝国騎士団に囲まれていた。エグモンドが命がけで戦ったけど多勢に無勢。

『……アレクシア様、ごめんなさい。私は実家の父に逆らえなかったの……許してください……』

 私が人質になったら、無敵の父も兄も手が出せない。

 結果、皇帝側の汚い罠により絶滅。

 フロレンティーナ、許さない。

 今、ここで断罪したい……無理だから、必死になって内心の嵐を鎮める。大好きな叔父様を見上げた。

「叔父ちゃま」

 優しい叔父様は跪き、視線を合わせてくれる。

「花のような姫、婿に指名されるとはこれ以上のない名誉……兄上がいなくてよかった」

 叔父様は大きな鏡に映るお父様を横目で見ながら大きな息を吐いた。

 叔父様も優しいイケメン。

 迫力満点のお父様より明るい感じのルックスもいい。

 裏切り者と引き離せるし、私の婿も決まるし、一石二鳥。

 けど、誰も賛成してくれない。

「アレクシア様、叔父様の息子はどう?」

 フロレンティーナが赤ん坊を私の前に差しだした。叔父様の赤ん坊の頃にそっくりだという。

「赤ちゃん」

 私が首をふるふる振ると、フロレンティーナは宥めるように言った。

「赤ちゃんだけど、すぐに大きくなるわ。アレクシア様にお似合いのお婿さんになると思うの」

「叔父ちゃまがいいでちゅ」

 私がウサギのぬいぐるみをふるふるすると、叔父様が低い声で言い切った。

「アレクシアは嫁にやらん」

 振り出しに戻った。

 そんな感じ。

「ナターナエル様、近衛にいたから、閣下より皇帝陛下の性格をご存知でしょう」

 年長の騎士に切々と言われ、叔父様はふっ、と鼻で笑った。

「お前もアレクシアを嫁にやりたくないだろう」

「当たり前です」

「何か手を考えろ」

「アレクシア様を即急に婚約させる以外、手がありません」

 なんら解決の見ない話し合いがループ。

 魔導具の大きな鏡に映しだされたお父様と宰相も。

『公爵閣下、帰れませぬ』

 白い鬚の宰相は何度拒否されても引かない。

 お父様も決して結婚の申しこみを受け入れない。

『繰り返す。俺の娘はまだまだ赤ちゃん。皇宮入りは無理だ。偉大なる陛下にはご理解していただけたと思っていた』

 またこのターン?

 同じやり取りを執拗に繰り返している。

 あの時と一緒だ、と私はばあやの隣で泣きたくなった。

『皇帝陛下はノイエンドルフ公女をご覧になり、ますます皇太子妃に相応しいと思われたそうです』

『帰れ』

 ボッ、とお父様は威嚇のように手に黄金色の炎を燃やした。

 常人や弱い魔力の持ち主ならこれだけでもアウト。

 さすが、宰相は顔を歪めるだけで倒れない。

『閣下、何度も申し上げます。帰れませぬ』

『死にたいのか?』

 ノイエンドルフ公爵が指輪を光らせて脅しても、宰相は覚悟しているから怯まない。

『覚悟はしています』

『死ぬつもりで来たのか』

『陛下も並々ならぬ決意で公女をお迎えしようとお考えです」

『陛下を止めるのが宰相の役目だ』

『閣下、断わるのならば、私の首を皇宮に送ってください』

『くだらん』

『承諾をもらえぬ限り、私はここから一歩も動けません』

『そんなに死にたいなら殺してやる』

 お父様、駄目。

 前回、お父様は宰相を殺してしまった。

 実際、手にかけたわけじゃない。魔力の瞬間移動で、宰相を皇宮にいる皇帝陛下の前に送り返してしまった。

 ノイエンドルフ公爵は大魔術師にもできないことを平然とやってしまう。

 だから、さらに皇帝陛下はお父様を恐れた。その場で宰相を責めた。

 宰相は責任を取ってその場で自決。

 被害者の一人目は白い鬚の宰相だった。

 その後、転がり落ちるように険悪になって謀反でっち上げ。

 フロレンティーナの裏切りでトドメ。

 皇帝の大嘘で絶滅。

 今、ここで運命を変えないと家門断絶を繰り返してしまう。

 私が行くしかない、と私はウサギのぬいぐるみを抱いたまま猛突進。

「お嬢様、お花摘みですか?」

 ばあやの声はスルー。

「アレクシア様、そちらはいけません」

 エグモンドの制止もスルー。

 バンッ、と踏み台を使って自分の手でドアを開け、お父様と宰相が睨み合っている広間に飛びこんだ。

「アレクシア?」

 お父様は黄金色に光る手を上げ、宰相を飛ばす寸前。

 その手が下がる前に止めないといけない。

「アーチャ、皇宮のケーキ、モグモグちたいから行くーっ」

 ……あれ?

 皇太子殿下と婚約するために行く、って言うつもりだったのに。

 間違えた、と私はウサギを抱いたまま呆然とした。

 お父様も手を上げたまま石化したし、ノイエンドルフの指輪の光も消える。

 私を追ってきた叔父様や家令、護衛騎士たちも硬直。

 一瞬、珍妙な静寂。

 けど、宰相が嬉しそうな顔で沈黙を破った。

「さすが、妖精王の血を受け継ぐ公女、皇宮のケーキを希望になられるとは感服しました」

 宰相に恭しく跪かれ、私はコクリと頷いた。この際、もうなんでもいい。これこそ、三歳児の強み。

「……お、俺の姫、待てーっ。皇宮のケーキが食いたいなら、皇宮の菓子職人を引き抜いてやるーっ」

 お父様が我に返り、私を抱き上げる。

「閣下、ノイエンドルフ公女のご希望通り、皇宮にお連れします。公女に捧げるケーキも新しく作らせましょう」

「……あ、アレクシアを連れて行けーっ」

 私を護衛騎士に託そうとしたけど、宰相が真摯な目で言い放った。

「閣下、公女のお気持ち、無下にしないでくださいーっ」

「俺の娘、気づいていると思うが、魔力がない」

 お父様も叔父様もお兄様も産まれた瞬間、壁をぶち抜いた魔力持ちだったという。

 けど、私は今もなんの魔力もない。

 お父様の結界で守られている普通の子。

「閣下ではなく妖精王の力を引いているのでしょう」

 宰相がなんでもないことのように言ったけど、私は外見も中身も妖精王だった母に似た。

 魔力はないけど、妖精としての力を受け継いだ。……うん、前回、ばあやが刺客に殺されかけた時にわかったんだけど。

「……だといいんだが」

 お父様は父の顔で独り言のようにポツリ。

「公爵と妖精王の娘がただ人であるはずがない」

「……待て」

「閣下、陛下は本気です。一度、公女を皇宮にお連れください。理由はケーキでよろしい」

 宰相の言葉に賛同するように、私は大きな声で言った。

「アーチャ、皇宮、行く」

「さすが、公女、ありがとうございます。決して不快な思いはさせません」

「あい」

「俺の姫、お花摘みだな? お花摘みに行けーっ」

 私は腹を括ったのにお父様は相変わらず。

 この親バカ、どうしよう。

 それでも、家令が宰相と話し合って決めた。婚約は結ぶけれど、私の年齢を考慮して、結婚式は最低でも一〇年後。

 その間、皇太子殿下が側妃を娶ったり、愛人を侍らせたりしたら婚約破棄。

 何がなんでも家門断絶の運命を変える。

 人質として皇宮に閉じこめるのも無理だって、あちらから断わるように仕向ければいい。

 それに皇太子は短命だ。

 任せて。

 私は言いなりになるしかなかった美帆じゃなくて、英雄の娘で、多くの貴婦人にトラウマを植えつけたお兄様の妹だから。

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