第7話 君の寝顔、可愛かったな
翌日。目が覚めるとひとりだった。
てっきり枕元にトワが立っていて俺の寝顔でも見つめているかと思ったのだがそんなことはなかった。
やっぱり昨日のことは夢か何かだったのか。
そう結論づけようとしたとき、
「おはよう。やっと起きたね」
「うおぉっ!?」
驚きながら振り向くと、天井裏からトワが顔を出した。ぱかっとフタを開けて、するすると身体を滑らせながら器用に降りてくる。
そんなところに潜んでいるとは……そりゃ幼なじみがいくら探しても見つけられないわけだ。
「い、いつからいたんです?」
「いつからだと思う?」
「まさか昨日からずっといたんです?」
「ふふっ、どうだろうね」
トワはどちらとも取れるような曖昧な笑みを浮かべた。
「透君の寝顔、可愛かったな」
「俺が寝てるとこ見てたんです?」
「うん。上からずっと」
「そ、そうですか……」
推しに寝顔を見られていた。
それが無性に恥ずかしくて目を逸らしてしまう。この話題を続けるのが恥ずかしくて俺は別のことを切り出した。
「あんな狭いところにいて平気なんです?」
「うん。最初はホコリまみれだったけど掃除したら案外悪くない。秘密基地みたいでワクワクする」
「あー……気持ちわかるかも。子供の頃、押し入れにいるだけですごい楽しかったんですよね」
「そう思う? なら私たち両思いだね」
両想い。
その言葉に昨日のトワの「恋人」という言葉が脳裏によみがえる。
どういう理屈でそうなっているかはわからないが、トワの頭の中で俺たちの関係はそうなっているらしい。
「そんなことより透君。早く準備しないと」
「準備……?」
「学校の時間でしょ。ほら、早く着替えないと。バンザイして」
「い、いいって。服くらいさすがに自分で着れますよ!」
上着を脱がしにかかろうとするトワから慌てて離れると、むっと不満そうに頬を膨らまされる。
なんでそんなに残念そうな顔してるんだ。
じっとぎらついた目でこっちを見てくるのに身の危険を感じた俺は、制服を手にトイレに入る。さすがに個室ならトワも覗いてこないだろう。
着替え終えてから自室に戻ると、トワが真剣そうな目で紙を見つめていた。
「何を見てるんです?」
「これ、進路調査票って書いてあったから」
「ああ……」
それは学校から出された俺の宿題だ。何か埋めなければと適当に書いていたが、途中で考えるのが面倒になって床に放り投げていたやつだ。
「提出期限、今日って書いてあるけど」
「そうなんですよねー……どうしよう。マジで忘れてた」
「透君は将来なりたいものないの?」
「はは、そういうの全然わからなくて……そういうトワさんは将来何か考えてます? 高校卒業してもアイドル続けるんです?」
「6人は欲しいかな」
「ん?」
何の数字だろう。
《フォーマルハウト》に新規メンバーが6人欲しいという意味だろうか。
そう思っていたのだが、
「庭つきの一軒家で私と透君の寝室に、子供部屋が6つと、お風呂は一緒に入れる大きなものが良い。ペットはいらない。動物よりも私だけを見て、私だけを可愛がって欲しい」
「そういう将来の話!?」
「だいじょうぶ、お金は私が稼ぐから。透君は働かなくていいし、寝転んでていい。帰ってから私が料理も洗濯も全部やる。だから透君は私と家でずっとセ――」
「ストップストップ! それ以上は言わなくていいですから!」
「6人以上欲しいの? 私は別に構わないけど」
「そ、そういう話じゃなくて!」
両手をぶんぶんと振ってトワの話をさえぎる。なんだかアイドルが話したらまずい話題が出ている気がするがいったんそれはさて置いて。
「まず前提を確認させてください。トワさんの中では、俺とあなたは付き合っていることになってるんですよね?」
「そうだけど」
「そうでしたか……。それはいつ頃でしょう?」
「330912017秒くらい前かな」
「3億……なんて?」
彼女の数字をスマホの電卓アプリに入力しながら計算をすると、だいたい10年前くらいだった。
「いまが17歳だから、そこからマイナス10年で、7歳ってことですか」
トワいわく10年前に俺たちは結婚の約束をしていたらしい。
となると10年前というと小学1、2年くらいの頃に結婚の約束をしたということだろう。
幼い頃に交わした約束が2人の運命を赤い糸で繋いだ。そう考えるとなんとも微笑ましい話だ。……それが妄想の話でなければ、だが。
「照れてる透君かわいい」
「照れてません。悩んでるんです」
しつこいようだがその記憶が俺にはない。
こんな美人と結婚の約束なんてしてたら絶対忘れるわけがない。しかもそいつがアイドルになったとくればそれは鮮烈な思い出として焼き付いていただろう。
「……念のためもう一回確認なのですが、俺たちは本当に恋人同士なんですよね?」
「そうだけど」
「成程……」
俺は腕組みをして考え込む。
さて、ここからは慎重に言葉を選ぶ必要があるだろう。
文字通り俺の人生を左右することになるのだから。
「トワさん。あなたの気持ちは嬉しい。あなたのような憧れのアイドルに慕われて俺はものすごく幸せ者だと思います。一ファンが受けるには身に余るような栄光だ」
けれど、と口を開いてから。
「俺はあなたの気持ちに応えられそうにありません」
トワの呼吸が止まった。
信じられないことを聞いたとばかりにわなわなと震えながら自分の肩を抱きしめた。
「何を悩む必要があるの? もしかして……浮気? あの沙紀とかいう女がそうなの? あの女が何かをしたの? そうなんでしょ、そうだと言って、そうだと言いなさい、いやそうに決まってる、それ以外有り得ない」
「刃物を取り出そうとしないでください。そうじゃなくてですね」
感情剥き出しでぎらついた眼になるトワをなだめてから言う。
「なぜなら俺には、トワさんの話がわからないからです。10年前の思い出を語られてもその記憶がないんです。俺にはまったく身に覚えがないから理解が出来ない」
「それなら今すぐ思い出して」
「残念ながら存在しないものを思い出すことは不可能です。それはあなたが作り出した勝手な妄想ですから。ですが――」
トワの目を見る。
彼女は泣いていた。傷ついていた。
俺の言葉に、拒絶されたことに苦しんでいた。
胸が痛んだ。
けれど目を逸らしては駄目だ。
まっすぐと、トワを見る。
「新しく、一から始めることは出来ます」
トワがぱちくりと目を瞬かせた。
訳が分からなそうな顔で、じっと俺を見つめている。
「……どういうこと?」
「えっと、ですね」
やれやれ、なんでわからないんだろう。
この人、俺の事が好きなんだよな。だから恋人だって言い張ってるんだよな。
なのにどうしてこんなに鈍いんだろう。
分からないならはっきりとこちらから気持ちを伝える必要がある。
ああ、今から俺とんでもないことを言おうとしている。
俺は馬鹿だ。
こんな怒らせるようなことわざわざ言わなくてもトワの妄想に乗っかってしまえば付き合うことなんて出来ただろうに。
けれどそれは俺が許せない。
なあなあに流される形でそういう関係になることを許せない。
だって俺にとって恋人同士なんてものは特別で。
尊くて。
素敵で。
この世の何物にも代えがたい奇跡だから。
それはもっとロマンチックな始まり方をすべきだ。
ああ、ものすごく緊張する。
声が震えそうだ。
噛んでしまったら恥ずかしいなあ。
緊張でどうにかなってしまいそうな頭を落ち着かせるように震える拳を握りしめる。
しっかりと息を吸ってから。
「七星トワさん!」
「っ……!?」
俺の大声に。
トワがびくっと肩を震わせる。
「お、俺はあなたが好きですっ! 俺と、付き合ってくれませんか?」
トワがぽかんとなる。
言われた言葉の意味がわからないと言わんばかりに固まっている。
ああ、言ってしまった。
俺はいま、憧れの推しアイドルに告白をしている。
とんでもない状況だ。
トワはぼっと顔を赤くした。
蒸気が出そうなくらい真っ赤になって照れている。
彼女のこんな顔を見るのは生まれて初めてだ。
ここ最近の積極さからは考えられないくらい奥手で。
きっと俺以外の誰にも見せたことない顔で。
この上なくて可愛くて愛おしいと思えた。
「えっ、あっ……その……っ」
トワはぷるぷると生まれたての小鹿みたいに震えながら、
「ひゅ……ひゅつつかもにょですがっ、よ、よろしくおねがいします!」
消え入りそうな声で小さくうなずいた。
それが俺、七瀬透に。
――生まれて初めての恋人が出来た瞬間だった。
通り魔から推しアイドルを助けたらストーカーされて重く愛されるようになった話 黒絵耀 @bell_snow
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