第6話 さきっちょだけ、さきっちょだけだから
押し入れの中から現れたのは、七星トワだった。
え、何これ。どういうことなの。
ドアの鍵も閉めていたし、窓だって戸締りをしていたはずだ。
まったくもって意味がわからない。
トワは口を開かない。
何かを待っているかのように、じっと黙って俺の顔を見つめている。
「えっと……何してるんです?」
「きちゃった」
「きちゃった、じゃなくてですね……」
「仕方ないでしょ。きちゃったのだから」
「そ、そうですか……」
互いに見つめ合うこと数秒。なんだかよくわからない沈黙が流れる。
間抜けな空気を打ち破るかのように、スマホから幼なじみの声が響いた。
『ねえ、透くん! いますごい音したけど大丈夫!?』
そういえば……さっきトワに驚いてスマホを床に取り落としてしまっていた。
この状況をなんと説明しよう。
迷っているとトワが俺のスマホを拾い上げ、躊躇いもなく通話終了ボタンを押した。
「あっ――ちょっ、何してるんですか?」
「ねえ、誰と話してたの?」
じとっとした目で言われる。
正直質問をしたいのはこっちの方なのだが……。
「そいつは俺の幼なじみです。幼なじみの新島沙紀」
「幼なじみ……ふーん」
トワは首をかしげる。
おかしなことを聞いたと言わんばかりに。
「……おかしい。まさかこの私が知らない相手がいるなんて有り得ない。接触は時期的に小学校卒業後に出てきた相手か……? いや、有り得る。その期間は私も知り得ない空白。タイミングとしては符合する、か」
ひとりでよくわからないことを呟きながら、どす黒い手帳を取り出して何かを書き込んだ。手帳の表紙には『殺』だとか『怨』だとか『苦』という文字が書かれている。
「な、何を書いてるんです?」
「内緒」
ここ一番の微笑みを浮かべられた。
なんだか怖くなった俺は黒い手帳には触れずに、気になっていたことを切り出した。
「あの……どうやって忍び込んだんですか?」
「窓の鍵が開いてたから」
「窓が……?」
嘘だろ、ここ3階だぜ?
とても素手で登れる高さじゃないのだが。
さすがにこれは嘘だろう。俺が電話に夢中になっている間に玄関から忍び込んだに違いない。
「ちゃんと戸締りしないと危ない。泥棒が入ったらどうするつもりなの」
「あなたがそれを言いますか」
「なぜ?」
「トワさん不法侵入してるじゃないですか」
「違う。あなたを驚かせたくてサプライズしたの」
「たしかに驚いたけど! これ以上ないサプライズだけど!」
やばい、まるで意味が分からない。
トワの目的は何なのだろうか。
「勝手に入ってしまってごめんなさい。でも正直に話しても許してくれないと思って」
「そりゃそうですよ」
「でしょう。許してくれないなら勝手に入るしかないじゃない」
「それが不法侵入ぅ~!」
「違う、あなたが心配なだけ。こうして定期的に見守ってあげないと心配でたまらないの」
「どう言いつくろってもそれは許されないことですよ」
「じゃあどこまでなら許されるの? 腕がちょっと入るのは許されるの?」
「ダメです」
「じゃあ指なら?」
「ダメです」
「さきっちょだけ、さきっちょだけだから」
「全部ダメです」
はあ、とトワさんがため息をつく。
ため息を吐きたいのはこっちだ。
「透君はわがままだね」
「と、当然の対応だと思うのですが」
「男の子って難しい」
「俺にはトワさんの考えてることが分かりません」
「もう、照れ屋さんなんだから」
「照れてないです」
どうしよう。トワの言葉がわからない。
俺の置かれている状況がまるで分からない。
なんで彼女は俺の家にいるのか。
それとも水曜日にやっているドッキリ番組でも仕組まれているのか。
なんとか情報を引き出さなくては。
「で、そろそろ何が目的なのか話してくれますか?」
「目的がないとダメなの?」
「ダメというか……知りたいんです。なぜこんなことを?」
「だって透君。電話ばかりで晩ご飯、全然食べようとしないから。だから心配になって作りに来てあげたの」
たしかに幼なじみとの通話でご飯食べ忘れていたけど……それは俺の身に起こっているあれこれで混乱して忘れてだけというか。
「あの……なぜそんなことを?」
「なにって、私は君の恋人でしょ」
「――こ、恋人? 俺が?」
「あの時のことは昨日のことのように思い返せるわ。私はイギリス人と日本人から生まれたハーフ。この日本人離れした容姿のせいで子供の頃は周りからいじめられていた。仲のいい友達なんていなかった。学校ではいつもいつも独りぼっちだった。そんな私を救い上げてくれたのは透君――あなただった。あなただけが話しかけてくれた。あなただけが私を見い出してくれたのよ。あなただけが私を見た目だけで差別したり迫害をしなかった。私を絶望の淵から救い出してくれたのはあなただけだったのよ透君。まるで運命のようだと思った。ううん、違う。私と透君は赤い糸で結ばれた運命のふたりなの。それから私たちは
「???」
「もしかして透君、覚えてないの?」
なんでそんなことも知らないの、と不満げに唇を尖らせるトワ。
普段の寡黙さからは考えつかない
どうしよう。話を聞いてもまるで意味が分からない。
もちろん俺にそんな思い出はないし、そもそもこんな美人と出会っていたら絶対忘れるはずないんだが。
「いやいや、知らない。俺は付き合ってもないし告白もされてないですって」
「もう、ひどい」
トワがずいっと身を乗り出して、熱いまなざしを向けてくる。
さらさらの金髪からシャンプーの匂いがして、どきっとする。
「ねえ。いま、どきっとした?」
「……っ」
「透君って私のこと、好きでしょ。だって私があなたを好きなんだから透君もそうに決まっている。やっぱり運命の出会いってあるんだね。人生って素敵」
トワってこんなに喋る子だったのか。いや、きっと彼女は好きなものに夢中になっているだけだ。俺も《フォーマルハウト》の話題になると早口オタクになるから分かる。
俺がトワの推しであるように、トワの推しは俺なのだろう。
「透君のおめめ、可愛いね。きゅぽんっと手に取って、舌の上でアメ玉みたいにコロコロと転がして味わってみたいな。透君が17年間そのおめめで見てきた景色はいったいどんな味がするんだろうね」
「どういう人生を送ってきたらそんな言葉が思い浮かぶんですか」
でもひとつだけはっきりしたことがある。
妄想だ。全部トワの妄想だ。
七星トワは頭がおかしい。言動が狂気じみている。今日色々なところでトワが俺の前に現れたのも、彼女の妄想に巻き込まれていたからだ。
「とにかく……いまは帰ってくれませんか?」
「なんで?」
「なんでじゃなくて……さっき俺の電話切りましたよね。それがやばいんですよ」
「やばいって?」
「俺の幼なじみが来ます。やつは俺の真向かいに住んでるからそろそろ――」
そこまで言いかけたとき、いきなり家のドアが勢いよく開け放たれ、幼なじみが上がり込んできた。
「透くーん! だいじょうぶー!?」
「うおっ!? びっくりした!」
「どうしたの? さっき聞いたこともない大声上げたから気になって」
「沙紀……どこから入ってきたんだよ。玄関の鍵かかってたはずだよな」
「え? そんなことなかったけど」
きょとんとした顔で言われる。
もしかしたらトワが侵入した際、カギをかけ忘れていたから沙紀も入れたのだろうか。
いやでもトワは窓から侵入してきたと言っていたし……いやいや窓からなんてイカれた話を真に受けるな。冷静に考えればとても有り得ない。トワは普通に玄関から入ってきたに決まっている。だから幼なじみも入れたのだ。
そんなことよりもこのまま沙紀とトワと鉢合わせてしまう事態は避けたい。
「なに? なにか隠そうとしてる?」
「いや、そんなわけねーだろ! な、なんでもない! なんでもないから!」」
慌ててトワの方を振り返るが、彼女は姿を消していた。この一瞬でどこに姿を隠したというのか。俺の部屋のどこかに身を潜めているかと思って視線をさまよわせていたが、最初からそこにいなかったかのように影も形もなくなっていた。
窓から侵入してきた話が本当ならば、外に脱出したのだろうか。
「さっきの電話はなに? なんか他の人の声がしたし、誰かいたの?」
「あー……あれか。あれはだな、ドッキリだよ」
「ドッキリ?」
「沙紀で試したくなってな。すまん」
「ほんとにぃ?」
「ほんとだよ。疑うなら見てみろ」
「そ。なら遠慮なくおじゃましまーす」
とりあえず大丈夫だと判断した俺は、沙紀を遮っていた腕を下ろし、幼なじみを部屋に通すことにする。
沙紀は宣言通り、家の中を物色し始めた。
「エロ本はっけーん! ベッドの下とかベタすぎー!」
「ちょっ、お前それは触るなって」
その後もベッドの下を漁ろうとする沙紀を制止したり、なぜかコンセントや電気周りを気にするような素振りを見せたり、押し入れや部屋という部屋を確認していく。もしかしたらどこかにトワが隠れていて鉢合わせてしまうかと内心びくびくしていたが、何事もなく沙紀の捜索が終わった。
「ほんとになにもない。つまんなーい」
「ははっ、まんまと俺の罠にハマったな」
「なんか悔しいからさっきのエロ本読ませてー」
「帰ってくれ」
「しし。ま、なんともないようで安心したよ」
ケラケラと幼なじみは笑いながら玄関で靴に足を通してから、振り返る。
「ねえ、透くん。――今日、泊ってもいい?」
「え?」
幼馴染は遠いところを見るような眼差しをしていた。何かを言いたいけど、でも言い出せないようなそんな目だ。
どういうことかと彼女の顔を見つめ返すと、いたずらっぽく歯を覗かせた。
「本気にした? スケベなんだから」
バタン、とドアが閉じられる。一体何だったのだろう。
ひとりになった俺はカギを閉め、自室に戻って椅子に座り込んだ。もしかしたらトワの接触があるかと思って待ち続けていたのだが、何の音沙汰もなかった。
トワといい、沙紀といい女の子の考えは分からない。
「推しアイドルが俺の恋人、か……」
あまりにも現実味がない。
妄想を見ているのはトワではなく、俺の方なのか。
スマホの時刻が深夜の2時を回ったあたりで限界を迎え、俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
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