第5話 きちゃった

『だいじょぶ? おっぱい揉む?』


 電話口から幼馴染の心配そうな声が響く。


『SNSで見たよ。男の人は「下手な慰めの言葉よりも、おっぱい揉んだ方がよっぽど癒やし効果ある」って』

「お前、バカにしてんのか。元気になるわけないだろ」

『おや? でも別のところが元気になっちゃったでしょー?』

「んなわけあるか」


 なぜこんな沙紀とこんな話をしているのか。

 事の経緯は今日起こった様々な出来事のせいだ。


 自宅に帰った俺はなんだか落ち着けない気分だった。

 とにかく誰でもいいから話したくて、スマホを取り出して幼馴染の沙希に通話をかけて、今日の出来事を全て話した。

 CD屋に《フォーマルハウト》の新曲を買いに行ったらトワらしき女の子がいて、CDを手渡されたこと。

 失くしたはずの自宅の鍵が、彼女に手渡された袋の中から出てきたこと。

 そして鍵につけられた付箋に、俺宛てで意味深なメッセージが手書きで書かれていたこと。

 そんなことを話すと――


『だからおっぱいでも揉んで元気だそ』


 にしし、と電話口から幼馴染の笑い声が聞こえた。


「あのなぁ、あんまりそういうこと言うなよ」

『なんで?』

「なんでじゃなくて、男相手にそういうこと言うと勘違いされるからな?」


 たしかに沙希は誰とでも仲良くなれるし、遠慮のない性格のせいかクラスのみんなもからも好かれる魅力的な女の子だ。

 よく男子から好意を持たれたりするし、明るいグループとよくつるんでいる。


『別に誰にでも言ってるわけじゃないよ。透くんにしか言わないもん』

「俺相手でもやめとけ」

『ムラムラする?』

「……いや、そんなことは」

『ムラムラするよね?』

「……ああ、うん、それなりに」


 もちろん幼馴染にそういう気持ちは湧かない。

 けれど肯定しておかないと、沙紀はなぜか怒るし、しばらく口を聞いてくれない。よく分からないが、面倒だから頷いておくに限るのだ。


『あはは、良かった』

「なんでそんな話をするんだ?」

『だって、透くんが「トワさんと会った」とかおかしなことを言うから』

「嘘じゃない、本当にいたんだよ」

『うーん。たしかに学校には来てたけどさー……』

「それだけじゃないってさっきも言っただろ。帰り道にCDショップ行ったら声をかけられたんだ。俺は店員かと思ったんだが、それは推しが変装した姿で、俺をバックヤードに誘導して閉じ込めるためだったんだ」

『透くん、本当にだいじょうぶ? なんかいつもよりますます妄想がひどくなってるような……』

「だから妄想じゃないって」

『はいはい。で、推しに閉じ込められて倉庫でなにされたの?』

「それは……」


 言いかけて口ごもる。

 ただでさえ疑われているのに、トワにキスを迫られてしまったなどと説明しても信じてもらえるだろうか。

 きっと頭のおかしいやつだと思われておしまいだ。最悪話しかけてもらえなくなるかもしれない。

 でもあのときのキスはとても良かった。唇は柔らかかったし、舌と舌を擦り合わせる感触で頭がどうにかなってしまいそうだったし。いけないことだと思いながらも、相手が憧れのトワだということで正直めちゃくちゃ興奮した。

 叶うことなら彼女ともう一度――


『やらしい』

「え?」


 心の中を読まれた気がして、ぎくっとなる。


『やらしい』

「な、なんでそんなこと言うんだよ。まだ何も言ってないんだが」

『やっぱおっぱい揉んどく? 性欲持て余して事件起こすのまずいし』

「そ、そんなわけないって――……ん?」


 そこでは俺は、ある異変に気づく。

 部屋が片付けられていることに、気づいた。


 具体的には、床に落ちていたままのゴミが捨てられていたり、ベッドが整えられてたり、脱ぎっぱなしの衣服がシワひとつなくたたまれていた。しかもちゃんと洗濯までされているという至れりつくせりっぷり。

 綺麗だ。あまりにも綺麗だ。

 それ故に、異常さが際立っていた。


「あれ? 部屋、掃除してたっけ……」

『ん? どうしたの、透くん』

「いや、部屋がなぜか片付いているんだ」

『なぜって、そんなの透くんが掃除したからでしょ?』

「いや、そんなはずは……」


 ふぅ、とため息をつく。

 多分そんなことはなかったような気がするけれど、もしかしたら覚えていないだけで掃除していたかもしれない。

 というか普通に考えて家族だろう。俺が入院している間、気を使って部屋を掃除してくれていたんだ。

 そうだ、それしかありえない。

 家の中に俺以外の人間が入ってるなんてありえない。


「そうだな、沙希。ごめん、もしかしたら俺疲れていたのかもしれない」

『あはは。まったく、ドーテーこじらせ過ぎだよ』


 こじらせてないが。

 生意気な幼馴染にそう言い返そうとしたとき。



 ――その女……誰?



 どこかから、くぐもったような声が聞こえる。


「だ、誰かいるのか?」


 返事はない。

 部屋を見回しても誰かがいる気配はない。


『どうしたの透くん。急に大声なんてあげて』

「なあ、沙希。もしかしていま近くにいたりするか?」


 沙紀は俺の家から真向かいの家に住んでいる。

 だから可能性としては一番有り得るのだが……。


『え? あたしなら部屋にいるけど』

「あ、ああ、そうだよな。そうに決まってるよな」

『どうしたの?』

「いや……いま女の声を聞いた気がして」

『ちょっと、なにそれ。本当に大丈夫? 様子見に行こうか』

「すまん……どうやら俺は疲れてるみたいだ」


 さっきのは幻聴だろうか。

 ただでさえここのところおかしなことが立て続けに起こっていたし、案外俺はまいっているのかもしれない。

 そう結論づけて自分を落ち着かせようとしたとき――


「わっ……」


 囁き声と共に、ふすまが横にスライドした。

 ぬっ、とそこから青白い顔が覗いた。


「うわぁぁぁっ!?」


 お、おばけ!?

 驚きのあまりスマホを放り投げた。

 頭を抱えてその場にうずくまりかけて、その顔に見覚えがあることに気づき、おそるおそる身体を起こした。


 整った顔立ち。

 蜂蜜のようなれない柔らかな金髪と、藍い瞳。


「驚いた顔も可愛い。好き、大好き」


 ――ふすまから現れたのは、七星トワだった。


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