アオハル ~桜の花びらが舞う季節~

ほしのしずく

第1話 春風に背中を押されて

――とある住宅街。


大きめで紺色のブレザーに、おろしたてで襟元がパリッとしたカッターシャツ。


そして、下はダボっとしたズボンと灰色のスニーカー。


何度も校則を読み返した末、真っ黒だった髪をほんのり明るめのトーンである茶色に染め。


カッターシャツのボタンを一番上まで留めながらも、自分で出来る最大限のおしゃれをした男子高校生がいた。


彼の名は、“冬野柚木とうのゆずき”という。


彼は幼い頃から繰り返されてきたように、振り返り声を掛ける。


「おーい! 早くしろって遅れるぞー!」


背中には黒色のバックを背負い、その視線の先には彼と同じブレザーにブラウス。


エメラルドグリーンのネクタイ、膝下くらいの長さである紺色のスカート。


艶のある亜麻色の長髪を、春風になびかせている女子高生の姿があった。


彼女の名は、“夏乃なつのれもん”おしゃれに目覚めた柚木とは幼馴染の関係だ。


れもんも、また彼と同じように返事をする。


「ちょ、ちょっと待って! 待ってってばっ!」


昔から少しどんくさい彼女は、慌てて家を出てきたようで靴が上手く履けておらず。


その姿を見た柚木は、口元を緩ませながらも近づき肩を貸した。


「ったく! しゃーねぇな!」


その態度に、れもんも俯きながら自分の気持ちを素直に伝える。


「ゆず……その、いつもありがと」


彼女の飾らない言葉を受けた柚木は顔を逸らし。


ズボンのポケットに両手を入れた。


「まっ、あれだ。そんな礼とかいいっての」


そう言うと、耳をほんのりピンクに色づかせ。


今度はポケットから手を出して、れもんへ手を伸ばす。


「ほれ、いくぞ」


しかし、柚木は恥ずかしいのか顔は逸らしたままだ。


なんとも不愛想で不器用だが、優しさの溢れた振る舞いに、彼女はいつもと同じようにはにかみ。


その手を取る。


「う、うん!」


そして、2人で学校へ通う。


一緒に時を積み重ねてきた分。


友人より、遥かに上で。


でも、恋人と呼ぶには未熟で淡い関係で――。




◇◇◇




――1年後、1年前と同じように、桜が舞う季節。


同じクラスにいた冬野柚木と、夏乃れもんは別々のクラスとなっていた。


柚木はもっとおしゃれをしたくて、コンビニでバイトをするようになり。


対してれもんも、昔から好きだった本を読むということから、小説を綴りたいということになり、文芸部へと入部していた。




◇◇◇




――そんなある日の帰り道。


2人は、久しぶりに下校時間を共にしていた。


それはごく自然なことで成長したことで、お互いの時間を持つようになったからだ。


柚木は、自由に使えるお金を手にしたことで、働くことに魅力を感じ始めて、ほぼ毎日放課後にバイトを入れるようになり。


その後もれもんと会うことなく、そこでできた友人と遊ぶことが多くなっていた。


彼女もその理由は違えど、自分のしたいことを部活動をしたことで見つけ。


放課後は、文芸部の仲間と一緒に創作についての話やその活動について。


それが終われば、ファミレスのドリンクバーで将来の夢を語り合ったり。


その仲間達と、遊びに行くようになっていた。


「なんか……こうして、2人で帰んのも久しぶりだよなー」


柚木はけだるそうに、角の色味が薄くなってきた茶色い鞄を、頭の上でぶらぶらとさせている。


その容姿は1年前と比べ背は高く、髪の色もワントーン明るくなっており。


服装も大きめのサイズだったブレザーも着こなし。


そして、真上までしっかりと留めていたカッターシャツのボタンも、一番上まで止めなくなっていた。


夕日に照らされたその姿を見たれもんは、小さな声で応えた。


「その……さ。ちょっと、ゆず変わったよね?」


そんな彼女の容姿も変化していた。


亜麻色の長髪は1年前と同じ。


でも、背も伸び。


より女性らしく綺麗になっていた。


特に目立ちはしない。


だが、それなりにクラスの男子から人気だった。


彼女の隣に柚木が居なかったら、告白されることは間違いないくらいにだ。


そんなれもんの今を知らない彼は何気なく返す。


「マジ?! 俺、変わった? それならよかったー!」


無邪気に自身が変われたことを喜んでいた。


それもそのはずで、柚木は柚木でれもんに格好いいと言ってもらえるように、毎日自分磨きをしていたからだ。


なので、彼にはその”変わった”という彼女の言葉はかっこ良くなった。成長した。という意味で伝わっていた。


そんな柚木を目の当たりにしてれもんは、視線を向ける事無く言葉を発した。


「……うん、変わった。変わっちゃったね」


それは半歩先で、上機嫌にしている彼にも聞こえるか聞こえないかとてもか細い声。


帰り道を通り抜ける春風が、かき消してしまうほどの心の声。


れもんにとって、”変わった”という意味は柚木が感じた成長からくる変化ではなく。


知っていた人が、違う人になっていく様を憂いている感じだった。


その微かに漏れ出た本音が風に乗り、柚木へ届いたのか、足を止めてれもんの方へと振り返る。


「――ん? 今なんつった?」


しかし、彼女は頭を横に振った。


「ううん、なんでもないよ」


それは繰り返されてきた日々とは違う反応。


1年前のれもんなら、柚木に「い、今のゆず。ちょっと苦手かな……」と遠慮気味でも、素直な自分の気持ちを伝えていた。


でも、本音の気持ちを口にしなかった。


だが、彼も同じだった。


1年前の柚木なら、いやホントの柚木なら、「なんかあるならちゃんと言葉にしろっての!」と口籠るれもんを気遣っていたのかも知れない。


しかし、彼も繰り返されてきた日々とは違う反応をした。


「そ!」と一言で返し、自分の何が変わったかダラダラと垂れ流していた。


夕日に照らされていてもわかるほど。


れもんの表情が暗くなっているというのに。


でも、彼女もまた自分を出さず頷くだけ。


そんな2人の間に再び春風が通り抜け桜が舞う。


こうして2人の影は重なることなく進んでいった。


どうにか友人と呼ばれる関係で。


1年前と変わらない道を――。




◇◇◇




――そこから2年の時が流れた。


とある住宅街には3年前と変わらず、桜の花びらが舞い別れと出会いの季節。


そこに緊張感を漂わせながらも気合の籠もった元気な声が響く。


「……じゃあ、行ってくる!」


この声の主は高校を卒業し、今年の春。


新社会人としての一歩を踏み出そうとしている冬野柚木だ。


3年間で徐々に明るくなっていった髪を落ち着いたトーンへと変え。


その身には、紺色でシワのないおろしたてのストライプ柄のリクルートスーツ。


パリッとした真っ白なカッターシャツを着用し。


光沢のある黒色の鞄をその手に抱え、艶のあるダークブラウン靴を履いていた。


装いは、お世辞にも着こなせているとは言えない。


でも、表情は充実しており、3年前入学式へと向かう日と同じ顔をしていた。


彼は、自宅から数歩。歩みを進めると自分の頬を叩いた。


「おっし! 気合いれていくか!」


だが、やる気が空回りしたのか、それとも緊張しすぎたのか躓き。


「っと、あぶね……」


そのまま膝に手を付くと、平然を装う為に息を整えた。


「ふぅ……俺、緊張してたんだな。はは、柄にもねぇ」


頭を上げると、そこには手を差し伸べる亜麻色の長髪をした綺麗な女性がいた。


「大丈夫……? ゆず?」


女性は心配そうな顔をしながら、柚木の顔を覗き込んでいる。


女性の正体は、夏乃れもん。


彼女もまた高校を卒業し、彼と同様に社会人としての歩みを進めようとしていた。


その外見は幼さの残る顔に、亜麻色の髪に相性のいいオレンジベースのメイクを施し。


服装は、オフィスカジュアルと呼ばれるノーカラージャケットと白のブラウスとパンツの組み合わせを着こなし。


佇まいだけであれば、彼よりも数段大人びていた。


そんなれもんは、3年前のあの日と同じように自分の素直な気持ちを柚木に伝えて、もう一歩近づき手を差し伸べる。


「その……ゆず、手。手を握りたい」


あの日と繰り返されてきた日々と同じく、少し口籠るところはあるが、表情は明るく彼を真っ直ぐと見つめている。


また、れもんの言葉を受けた柚木もいつもと同じように、耳をほんのりピンクに色づかせながらも見つめ返し。


その手を握った。


「お、おう!」


そして、2人は歩幅を揃えて歩いていった。


その間には2年前と同じように春風が吹き抜け。


桜が舞う。


だが、もうその声が届かないことはない。


一緒に時を積み重ねてきた分。


友人より、遥かに上で。


恋人よりも少し上となった2人が。


朝日に照らされ影を重なり合せながら、歩んでいくのだから。

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