第5話 相性




そんな中、突然ずっと薬をもらっていたクリニックが閉院することになり、次の病院を紹介してもらうことになる。


転院先の候補は二つ。


片方は、女医さんが担当。


もう片方は、大きな病院に長く勤めていた医師が新しく開院するという、こじんまりとしたクリニック。


後者の方は開院前にもかかわらず、予約がかなり先にならないと無理なほどの人気だと聞かされた。


心療内科が繁盛するって、世の中どういう状態だというのだろう……。


薬がなくなるのはまずいという思いがあったのと、同じ女性ならば、より理解してもらえるとか期待したかった部分があった。


今までよりもいろんなことに寄り添ってもらえるかも、なんて。


薬に対しての怖さが消えたわけじゃないのに、なくなったらなくなったで不安になってしまう。


矛盾しているなとわかっているのに、通院しないという選択は自分の中になかった。


前者の女医宛てで紹介状を作成してもらい、それまでのクリニックから少しだけ薬を多めに出してもらって別れを告げた。


しばらくして訪れた次のクリニックは、今までになく合わない場所となる。


心療内科という数値化できない病を抱える人が訪れる場所だけに、いろんな意味で選ぶのが難しい。


それを痛感せざるを得なくなる出会いだった。


医者と患者は、相性があると思う。


同じ病気で診てもらっても、話にならない人はどこまでも分かり合えないまま終わる。


期待をして行っただけに、余計に心が折れた。


カウンセリング込みのはずなのに、話せば話すだけ眉間にしわが寄っていく。


会うたびに、そのしわが深くなってしまい、通院後の鏡を見るのが嫌で仕方がなかった。


理解してもらえていない気がする。


そもそもで話を聞いてくれているのかすら怪しい、あたしと女医との会話。


交わらない言葉。すれ違う会話が、病院のカウンセリングで起きてしまうって問題があるんじゃないか。


病気だということを疑われている気にもなった。


“話半分”という言葉が何度脳裏に浮かんだことだろう。


(あたし、この人に何かしたっけ?)


そんな疑念すら浮かび出す。


行くことがストレスになってしまうのならば、それはもはや治療をしに行っているのではない。病みに行ってどうする。


足が遠のく。


女医に会いたくない。でも、薬の内容が内容だけに診察なしで処方をしてもらえない。


ある日のネット仲間とのやり取り。


「最近はいくらかでも眠れているの?」


薬を使っていることを知っているから、とりあえず眠れていることを祈っての言葉だったよう。


それに対して、いつもうとうとしていたあたしは、どこか夢うつつなままにスマホに文字を打ち込んだ。


ちゃんと送信したのかも、記憶半分で。


きっとその直後に寝落ちしたのだろう。


目が覚めて、スマホで時間を確かめて。


(…………あぁ、そっか。そんなにか)


画面の文字を見て、今の自分の状態に“合っている”と感じられた。


『ぬむい。』


現実と夢のはざまで、な行を四回押したつもりで、続きの文字も打ち込んだのかと思えた。


画面を確認することもなく、送信の紙飛行機マークを押したんだろうな。


とにかく送信しなきゃ、と。


『ぬむい。』


そう書かれている文字が、布団の上でゲル化したように眠っていた自分の姿のようで、妙にしっくりした。


“ぬ”の字が横にデロンと伸びているような錯覚をするほどに、眠たそうに寝転がっている様子にぴったりだと思えた。


そして、気づかされる。


今の状態で過ごし続けても、マイナスの方が大きいんじゃないのかなということ。


また、イケナイ薬のようにそれがないと眠れない状況になっても、眠れないという事実が一切変わっていないというだけの話。


女医とのことは、人と人同士、合わない人は生まれて死ぬまでに何人もいる。彼女はそのうちの一人だと諦めることを選んだ。


それ以外に選択肢が見つけられなかった。


わずかな回数のやり取りで全部合わないと思えるのならば、きっと生理的に無理だった可能性だってある。


出会うすべての人と仲良く出来ずとも丸く収めて生きるなんて、どんだけコミュ強だよという話だ。


あたしはそこまでの人間じゃない。


葛藤をして、諦めて。


人と人が互いを知ろうとすることは難しいと痛感させられた。


好きになった相手ですら、寝かせてもらえないとか弊害が出る関係になり下がったのに。


他人同士なら尚のこと、容易にわかりあえなかろう。


結局、先のクリニックで挙げられた候補の後者に連絡をすることになった。


その時でも予約は三か月先といわれ、通院しているところの薬を自分で調整していた。


飲んだり飲まなかったり、というだけの調整。


実際、体に残った薬の蓄積は、思いのほか大きなダメージになっていたから。


そんな状態のあたしが寝坊しようが、家族は文句が言えなくなっていく。


あたしはあたしで「迷惑かけてごめんね」ばかり口にするようになった。


状況をみて、大事な行事前には薬を飲まないようにした。


必要以上に迷惑をかけないようにしつつ、睡眠を維持するのに必死だった。


次のクリニックには、過度な期待をしないようにした。


通院までに、女医さんに紹介状を書いてもらわなきゃいけなかったけれど、それすら会わずにすませたくて電話で相談した。


女医さんに、悪意はなかったんだと思う。


ふと頭の端っこによぎることがあった。


女医というよりも、女性だったから……なのかな。なんてこと。


自分も罹ったことがある病気が頭に浮かぶ。


PMSという、生理前の心身が不安定になる病気だ。


自分は低用量のピルを飲みながら、生理を整えたりしつつ、その病気に向き合った。


その経験があったから、自分の娘が同じ病気で悩み始めた時には理解ってあげられた。


娘のそれは、まだ向き合っている最中だ。


酷い時には自分を否定しまくって、自分がいらないと泣いた。


娘も、過去の自分も。


心身ともにいろんな意味での痛みを伴う病気。


女医さんは、転院後最初の面談時が最悪だった。


心療内科にかかる際、他の科よりも問診が長めになる。


現状だけじゃなく、それまでのことをいろいろ聞かれるからだ。


親や兄弟のこと、通院までの生活環境や普段の生活サイクル。


親や兄弟の過去の病気なども参考になるので、把握しきれていなかったので苦労した。


食事で積極的に摂っているものや、病院によっては水分の摂取量も聞かれた。


趣味があるか、もしも悪化した際に入院できる状況下かどうかも。


女医さんと会う前に、これまでの病院での話や相談したいことを助手らしき女性の問診が先にあった際に伝えた。


そこで話したことが、女医さんのパソコンに表示されているはずなのに、聞いてくることはどこか違う患者と勘違いしているような内容が多かった。


そこを指摘すると、必要以上にカリカリして言葉を荒げてきた。


モラハラのことも話してあったのに、そんな相手に詰問状態で問いかけてくるなんてありえない。


(委縮しながら通院しろってことですか)


(薬を出してやるから、大人しくしてろってことですか)


白衣を着て、上から目線でガアガア喚くあひるみたいと思った。


喚く声だけやかましい相手に、どうして自分を助けてほしいと手を伸ばせるか。


――――伸ばしたいなんて思えない。


自分の心を救ってくれる場所が見当たらなくて、何度も俯いた。


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『ぬむい。』 ハル* @chipaco

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