第4話 家庭教師は悪役令嬢の道へ誘われる
四輪馬車での帰路、分厚いカーテンを閉じるとすぐに、シンシアはマリーの肩にもたれて小さな寝息をたて始めた。
「……やはりご婦人がいて良かった。ところで、どうしてあの宝石だと?」
アルバートの試すような視線をマリーは真っすぐに見返した。
「本来の台座は、薄いピンク色を生かす銀でした。台座を外したのはデザインを変更して同定しにくくするためでしょう。
更に金の台座に移せば、色が透けて濃いピンクに見えます。
また濃淡二色の宝石をサイラス様が『色が違う』と仰ったのは、二つが同じものであると知っている証拠ですね」
マリーはレースのハンカチに包んでいた髪飾りを、そっとアルバートの手のひらに乗せた。
「ありがとう。これは祖母が祖父から贈られたものでね」
「それは……大切なものですね」
会話と、カーテンの隙間から漏れる闇とガス灯の明かりが、マリーの高揚した気持ちを少しずつ静めていった。
「ああ。……サイラスはろくに贈り物を寄こさなかったが、シンシアにはほかに贈り物をくれる男性がいてね、それをよく眺めていた。そういう情緒が合うひとと幸せになってほしいね」
シンシアが傷つけられるばかりではないと知って、マリーは安堵を覚える。
それからもっと現実的な事項、手当を少しばかり増額してもらおうかなどと考えているうちに馬車の揺れが止んだ。
カーテンを開けば伯爵邸の門と、その前に立つ若い紳士の姿が目に入る。
「お嬢様、着きましたよ」
御者が声をかけて扉を開くと、目を覚ましたシンシアに紳士が駆け寄ってくる。彼は暗がりの中でも彼女とよく似た髪色と顔立ち、瞳の色が伺えた。
そこでマリーの中の違和感が芽生え、シンシアの声で膨れ上がった。
「ただいま、アル兄様」
シンシアは慣れたように紳士の手を取って地面に降り立ち、晴れやかな笑顔で車中の二人を見上げた。
「立ち向かう勇気をくださって心より感謝申し上げます、マリー先生。改めてお礼いたしますが、それを抜きにしてもまたお茶にいらしてくださいね。
ロバートお兄様も色々ありがとう。おやすみなさい」
アル兄様、と呼ばれた男性は目の前のロバートと呼ばれた――鴉に似た男と何言か交わすと、マリーにもまた後日、と帽子をあげてから、屋敷へシンシアをエスコートしていった。
扉が閉められ、馬車が再びレンガ道を進む。
「伯爵家に……お住まいではない?」
少々混乱しながらのマリーの問いかけに、アルバート――いやロバートは楽しげに微笑んだ。
「言ってなかったが、シンシアは妹ではなくて従妹だ。兄のアルバートと三人で兄弟同然で育った仲でね」
「確かミス・アリスはご友人のお兄様だと……」
「彼女の友人は実妹のレオノーラの方だ。ああ、妹は婚約破棄とは無縁だよ」
マリーは頭の中で依頼を受ける直前に確認した貴族名鑑の記述を繰る。
アルバートもロバートも、愛称は同じバート。しかし確かに二人いれば、シンシアの略し方がすっきりする。それに確か伯爵家は分家筋で、本家は――
「あなたはベイル侯爵家の方なのですか? お祖母様とは先代の侯爵夫人……?」
「わたしは三男だから跡継ぎの責務もないし
それでマリーは毎朝の新聞記事を思い出す。どこぞの貴族子息が探偵業を営んで事件を解決しているとか――確かにシンシアの言う通り、型破りだ。
「それはともかく、今回は宝石の件では存外に迷惑をかけた。侯爵家に睨まれるのは色々不都合だろう」
「少なくとも悪役令嬢の指導はしばらく控えますが……」
「ほとぼりが冷めるまで別の仕事はどうかな?
住居と食事は依頼主持ち。家事は多少。演技は必要。報酬は月に金貨5枚と必要経費。時々依頼主の仕事への協力はあるがこれには別途報酬が支払われる」
マリーは訝しげに眉をひそめた。
「報酬は私には破格ですが……演技が必要とは、具体的にはどのようなお仕事ですか?」
「わたしの妻の役だ。仕事の協力というのは、この国では妻同伴でなければ目立つ場所も多く困る場面があってね。条件は可能な限り相談に応じる。勿論断っても構わない」
マリーは本心から呆れて、真顔のロバートに真顔で返した。
「架空の妻を雇うおつもりなのですか? しかも私は平民です。非常識では」
「軽率に持ち掛けたわけじゃない。ウィッカムから守る意味もあるし、今回の件であなたが側にいてくれると助かると思ったからね。
それにまあ、なかなか興味深い。本当に結婚したって面白そうだ」
いつの間にか優しく微笑んでいるロバートに、目つきの悪さは以前より感じなくなっていた。
「良くはありません」
「では?」
「即答はできかねます。後日、仔細をよく話し合ってから……」
何故か耳に熱が昇るのを感じつつ、マリーは慌てて俯いた。
「そうか。いい返事を期待しているよ、わたしのマリーゴールド」
からかうような声音に腹を立てながら、しばらく収入と支出を頭の中で計算し、それから自分の身に起きた物語を反芻する。
――お父様、これは確かに納得するかどうかの問題でした。
突拍子もない次の依頼は、侯爵家の息子をたぶらかした悪役令嬢になること――馬車が家に着くまでの間それを想像してみたけれど、何故だか意外と嫌ではなかったことに、マリーは気が付いたのだった。
悪役令嬢の家庭教師 有沢楓 @fluxio
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