エピローグ

 ルーメンの光景は、あの頃と全然変わりない。変わったとすれば――

「あー、くっそー、ミラちゃんはかわいいなー! 待てー! 私たちの娘になれぇー!」

「あはは! やだー!!」

 追いかけてくる六尾りくおさんから逃げながら笑うミラ。そして、そのミラに併走するカイ。彼女たちがこの光景の中にいることだろう。

 ……しかし、彼女持ちの女性でありながら腐女子属性も持ち合わせるという業の深い六尾さんが、麗しき幼女を追いかけ回す姿は、まごう事なき――いや、さすがにこれはミラを楽しませるために冗談でやってくれているのだろうから、それ以上は失礼か。…………冗談だよね?


 あの地下施設で、それこそ冗談のような真実を告げられてから、十ヶ月と少し。まだ一年も経っていない。

 ルーメンを発ってから日本に辿り着くまでに掛かった月日は一年と八ヶ月以上。トキヤで半年ほど腰を落ち着けたのを考慮しても十四ヶ月ほど。日本で一ヶ月強を過ごした後、その旅路を八ヶ月程度で戻ってこられた大きな理由は、俺が与えられた“権限”について模索しているときに行った“シベリア鉄道の復旧”だ。

 かつてのロシアは、現在では『死の大地』と呼ばれ、そこに人が暮らしているかどうかは不明とされている(権限を使い調べたところ、“この世界では”南部に人が暮らしているのが確認できたが、今この世界ではロシアや中国やモンゴルといった区分け自体意味が無いので、ロシア人と呼べるかは疑問だ)。残念、というよりは、幸い、と言うべきだろうけど、絵本にあったようなドラゴンはそこに生息していないようだが、しかし、多くの魔獣が闊歩する、人にとっては正に『死の大地』だ。

 ロシアがそんな土地になってしまった原因は、『コンチネンタル・フォール』にある。かつて天から降ってきた『大陸』が、突如として現れたのがロシアの上空だったことから、それが実はロシアの質量兵器であるという陰謀論が流布した。それによって世界中から集まったヘイトが魔素と結びついたためにロシアがその後の大パンデミックの起点になり、またそれによって生まれた新たな陰謀論がさらなるヘイトを呼んだ。そういった悪循環が生んだ“世論”に反発した当時のロシアは、破棄せず秘匿していた核兵器の使用を断行“しようとした”。その禁忌に触れようという行為は、世界中から呪詛とも呼べるほどのヘイトを集めることとなり、魔素と結びついたそれはロシア全土に悲劇的な結末を呼んだ――ということのようだ。

 その、“呪詛”と結びついた魔素が、具体的にどのような作用を及ぼしたかまでは明記されていないために分からない。そのあたりは全て“現実”で起こった事なのだが、この世界では環境さえ変えてしまえる俺の権限でも、その詳細を確認することはできなかった。

 ともあれ、そんな“現実”が反映されたこの世界でも旧ロシアの状況はほぼ同様だ。人の住んでいない場所なら、権限でできることの実験にはもってこいだろうというのが、シベリア鉄道の復旧を考えた理由として挙げられる。

 ただ、その前提として、かつてシベリア鉄道が走っていた区域が、魔素溜まりとまではいかずとも、他よりも魔素の流れが“太く”なっており、聖域化する要件を満たしやすかった状況だったというのは重要な点だ。これは、かつて多くの人々を集め、運んだこの路線が、それだけ多くの“想い”を蓄積した土地だったということなのだろう。

 もし、ゼロから魔素溜まりに変えようとすれば、環境パラメータを操作した後、徐々に魔素濃度の上がるのを待たなければならない。おそらく、早くても一年ほどはかかる仕事だ。だが、最初から魔素の流れが多ければ、そして、元々魔素の集まりやすい土地ならば、その時間は大きく短縮できる。実際、設定から一月ひとつきと経たずに聖域化できるだけの基準に達した。

 その聖域化の条件などは、現実をより精確に再現するにあたり、このシミュレータのメインシステムを司るAIが勝手に設定したものだが、結果的にそれは現実の状況と大きな相違を見せず、今は“現実”に於いてもシミュレータの設定したメカニズムはおおよそ適用できると考えられているようだ(もちろん、現実では環境パラメータをいじったりはできないのだから、意図的な聖域生成は極めて難しいと思われる)。

 また、シベリア鉄道に着目した別の大きな理由もある。ウラジオストクから、チェリャビンスクまでではなくサンクトペテルブルクまでの路線を聖域化できれば、ロシアの北部を路線の南側とほぼ隔離することができる。つまり、そこに跋扈する魔獣達を長大な聖域を以て北側に封じ込めることによって、ミラのような不幸を減らすことができるのではないか、と考えたのだ。

 そのために俺がしたことは、先述の通り環境パラメータに操作を加えたこと、そしてもう一つは、地下で休眠状態だった、シベリア鉄道やその周辺施設の保全ロボの、ほぼ全機を再稼働させたことだ。全線各地でトータル万を超えるロボット達が不眠不休で働き続け、これもまた、わずか一月程度で仕事を完了させた。地下に十分な資材が残されていたことも良い方向に働いたようだ。

 ウラジオストク周辺が海没していたために完全復旧とはならなかったが、復旧したシベリア鉄道は、俺をぬしとして聖域化した。その土地に定着せずとも主となれるのは俺の権限によるもので、現実に於いて再現性は無いようだ(が、魔素はその全てが解明されているわけではないので断言もできない)。

 この聖域化によって、南側にいた魔獣達がさらに南下して村落を襲ったのは大きな誤算だったが、ミコラビァやメルトポゥ周辺で起こっていた魔獣被害が広く周知され、どこも警戒を密にし続けていたことが、大きな悲劇を生まなかった。

 そんな反省点もあったが、聖域による封じ込めは現在も意図通りに成功している。


 一週間ほどの鉄道の旅を終え、クィービァを経由して一月ほどでミコラビァに辿り着いた俺たちは、新しい土地への興味もありはしたものの、敢えて往路を辿るようにルーメンを目指した。

 一番大きな理由は、カイと出会った洞窟だ。久しぶりに見た小狼たちは本当に小さいまま、正義かわいいの体現者だった。洞窟入り口手前の川を中心に小さな村ができていたのはびっくりしたが、そこで小狼たちは、ごくたまに姿を見せるマスコットキャラのような扱いになっているようだ。俺の造ったアトラクションも予想以上に楽しまれているようで、創作への意欲はますます刺激された。


 ルーメンを発ち、ルーメンに戻るまで、おおよそ二年半。

 かつての“現実”なら飛行機で丸一日もかからないことを考えれば、とても長く、だが、道程の多くが徒歩だったことを考えれば、決して長過ぎはしないだろう時間。大陸落下後、つまりは地球に魔素が満ちてから、人の身体能力は総じて向上したという統計があるので、その現実が反映されたこの世界で、俺の身体能力にもプラスの影響があったのだろう。

 ともあれ、それだけの時間を掛けて戻ってきた俺に、ルーメンの人たちはやはり、温かかった。

 帰ってきてからまだ十日も経っていないが、ミラもカイも、既に長年を過ごしていたかのように受け容れられている。

 そんな土地柄、人柄だ。保科君、森本君、結城さん、六尾さん、みんな俺よりずっと流暢にこちらの言葉を話すようになっていて、すっかりこの村の住人だった。

 ちなみに、ここらで使われている言葉はラテン語ベースのものらしい。大陸落下後、世界中で大きく人口を減らす中、東西ヨーロッパでは『ラテン回帰運動』というものが起こったそうだ。これは、広域での意思の疎通を円滑にする目的が一つ。もう一つが、“言語統一”によって、大陸落下が引き起こした旧約聖書的カタストロフィに対して抵抗を試みる目的があったようだ。“現実”の現状がどうなっているかの詳細までは俺には知れないが、少なくとも“この世界”では、地上に戻ったヨーロッパの人たちはラテン語を使うだろうという演算がなされたようだ。

 閑話休題。

 戻ってきた俺に対し、保科君達は、旅の話に耳を傾けはしても、この世界の“真実”については多くを尋ねようとはしなかった。

 俺から彼らにちゃんと伝えたことといえば、ここはやはり地球で、日本も形は変わっていたがちゃんと存在した、ということくらいだ。

 他にも分かったことはある、とは伝えている。だが、彼らは、少なくとも今は、それを訊かないことに決めたようだ。


 当初の“過去へ帰る”という目的は、ある意味では達成できるし、決して達成できないとも言える。

 新浜が俺に求めたことの一つである「新しい世界を創る」ということ。その『世界』に、過去を再現することはできるだろう。おそらくは、未来を予測するよりも高い精度で。

 だけど、それはあくまでも演算結果であり、過去の完全なトレースではない。ならそれは、俺たちの主観で見れば『パラレルワールド』になるのではないか。そしてそれは、帰りたかった過去では、きっと無い。

 それでも彼らが「戻りたい」というのであれば、その『過去』を創り、そこへ彼らを送ることが、今の俺にはできるだろう。

 ――だけど。

 今の彼らの表情を見れば、そういった提案は余計なお世話でしかないのではないかと思える。

 俺たちの身に起こったことを無理に彼らに伝えないのも、彼らはもうここで、ちゃんと彼らの“人生”を“生きている”のだと信じられるからだ。

 ここはもう、そういう一つの“世界”だし、俺は、ここがそうであり続けるように、管理者としてやれることをやると、決めた。


 あとは、その『新しい世界』の創造についてだ。

 あくまでもベースがシミュレータである以上、地球、というか太陽系をモデルにした『世界』にならざるを得ないと考えている。

 環境パラメータはその辺りも変更できるのだが、ゼロから演算される“宇宙”に浮かぶ惑星では、人が生存できる環境が維持される保証がない。俺から見ればやり直しはいくらでも利くのだが、そこで目覚める人の主観では、俺が最初そう思ったように、異世界や未来などへ転移したように思うはずだ。そこがまともに生存できない世界というのは……さすがに気が引ける。

 ただ、見知らぬ世界が地球と同じような環境というのは、適応するのに都合は良いはずだ。どんな世界を用意するにせよ、あくまでも主目的は、まだ知らぬ“彼ら”に“残りの人生”を与えてあげることなのだから、そこは安定を取るべきだろう。

 もちろん、個々の趣味嗜好が分かれば、それに合わせてゲームのような世界を創ることもできる。というか、ぶっちゃけ、それはやってみたい。

 一方で、今でも俺は自分がデータであるなんて、理解はしても実感は無いし、セーフティがあると聞かされていたって、死ぬのは怖い。だからどうしても“優しい”世界にしたい気持ちがある。だが、同時に、ただ“易しい”だけの“ゲーム”にはしたくないという面倒なこだわりもある。

 そのバランス設定はゲームクリエイタの腕の見せ所だ――というのは本音だが、一方でそんな考え方は不謹慎だという思いもある。

 俺は今、“生きている”と実感している。だけどもしかしたら、同じように感じるだろう“彼ら”を、その“命”を、俺はただ弄ぶことになるのかも知れない。

 それでも、もし、それを望んでくれるなら――俺は、俺の持てる能力の全てを以て“彼ら”を、楽しませたい。

 だって……俺は今、この世界で“生きて”いて、なんだかんだ、楽しいと感じている。そしてそれを、幸せだと、思うから。


 システム的には、いきなり世界を想うがままの完成形で創造することは難しい。ただし、ベースの“世界”をしっかり創れば、その環境パラメータを調整して、望む未来を導くことはできる。つまり、俺が望む世界を創るために重要なのは、綿密な計画の設計、言い換えれば、旧来的な意味での“プログラム”の作成だ。

 今はまだ、俺がこの世界でできること、やるべきことを手探りしている状況だが、目処が立てば、俺をベースにして作られたという管理AIに預けることもできる。そうなれば、俺は『世界をプログラムする』ことに、少なくともしばらくの間は夢中になってしまうだろう。

 俺が自分で選べば、俺は、この世界を演算するサーバが何らかの理由で停止するまで、生き続けることができる(新浜は、サーバの耐用年数と地球の耐用年数のどちらが先に限界を迎えるかは分からない、なんてうそぶいていたが)。それがどういうことなのか、あれこれ想像したところで、きっと本当に理解なんてできやしない。だから、体験できるだけしてみようと思う。

 その、永遠とも思える時の中で、俺がいつまでその“創造”に歓びを感じていられるのかは分からない。きっと、楽しいことばかりじゃないし、報われないことだってあるだろうから。

 それでも、情熱や意欲が続く限り、そして、それが誰かを幸せにできる限り、俺はそれに向き合い続けよう。

 既に管理AIの倫理観に関しては現状でロックを掛けた。もし、長い年月の中で、俺という人間が悪い方へ変質してしまったら、システムが俺を終わらせてくれるはずだ。


 ――まあ、そういう先の話は、その時にまた考えれば良い。

 俺が、誰かを楽しませたい、幸せにしたい、と願うのと同じくらい、俺だってまだまだこの世界を楽しみたい。権限でこの世界の色々を知れたって、それは“体験”には及ばない。俺が実際はどんな存在だろうと、主観では普通に生きているんだから。

 そんなわけで、しばらくはルーメンでゆっくりしたいし、落ち着いたらトキヤでやったように遊具を作ってみてもいい。その内、また旅に出たくなるかも知れないし、他にやってみたいことができるかも知れない。そうやって未来を思うことは、不安だってあるけど、楽しくもある。

 カイは相変わらず俺を恩人と呼ぶが、この前子供達と久しぶりに会った時には嬉しそうだったし、定命の無い聖獣とはいえ、未来永劫俺に付き従うとは限るまい。

 ミラも、出会った頃よりずっと成長している。子供の頃の女の子の成長は早い。きっとこれからも、もっとかわいく、美しく、聡明に育つのだろう(贔屓目? そんなことないと思いますけどね)。

 だが、俺やカイとは違って“普通”のミラがそうやって変わっていくということは、どんな形であれ、その先に、避けられない別れがあることも意味する。そのことを思うだけで、大きな悲しみが俺を圧し潰そうと迫ってくるような、漠然とした予感がぎる。

 だけど。だからこそ。それまでの時間を、ミラにとっても、俺にとっても、楽しく温かく幸せな想いでいっぱいにしたい。

 あの日、あの時、俺がミラのいた村への道を選び取った偶然に、一欠片の後悔も無いように。それが、ミラを幸せにしたんだと、胸を張れるように。

 そのためなら――あまり考えたくないけど――いつかミラが、彼氏を連れてきたって……、俺は、笑って、祝福、できるように……。うん、今のままでは無理そうなので、今のうちから少しずつでも覚悟を固めていかねばならないようだ。


 そんな感じに、やらなきゃいけないこと、やりたいことを、見つけ、こなしながら、まずは満足いくまで、俺はこの、せっかく与えてもらった“人生”を、只の人間としても、特殊な人間としても、ただ目一杯、精一杯に生きてみようと思う。

「オサムー!」

「おんじーん!」

 目の前の“日常”を、大切に、大切に、積み重ねながら。





『プログラミング・ザ・ワールド ~魔法の呪文詠唱なんて面倒だし恥ずいので関数化して運用します~』

 ――完――

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プログラミング・ザ・ワールド ~魔法の呪文詠唱なんて面倒だし恥ずいので関数化して運用します~ みたよーき @Mita-8k1

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